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記事一覧

小学校で打ち合わせ

筑前町の小学校へ18時にお邪魔。

7月10日の「シイの木はよみがえった」公演の打ち合わせです。

四年生の約80名への公演。
今まで学習してきた積み重ねもある子どもたちです。

筑前町は大刀洗空襲の地元。
ちゃんと学習の時間もとられているのですね。

素晴らしいことです。
ふるさとの歴史を学ぶことで、ふるさとを客観的に知ることは。
幼い子どもたちの学びが、きっと幼い心に刻みこまれているのでしょう。

次は7月10日の、こんな小学校公演。
頑張ります!

【釜】

人形劇ワークショップのお手伝い

昨日の公演から、今日は人形劇ワークショップのお手伝い。
それは「子どものぶんかたいけんプログラム」の一連の取り組みでした。

人形劇ワークショップの樣子

今日は神奈川県からいらっしゃった人形劇団の講師のお手伝いです。

劇団のメンバーには、ワークショップ指導のお手伝いが、初体験のメンバーも。

いっぱい勉強になったことでしょう。

子どもたちに、素敵な体験を提供した講師の篠崎さん。

劇列車メンバーも、大変素敵な時間をいただきました。
感謝です。

いまから、毎月続く「子どものぶんかたいけんプログラム」。
来月はパントマイムです。
劇列車は、来月もお手伝いです。

劇団員一同、たくさん学ばせていただきます。

たくさんの刺激をいただけることに、主催の「こどもアート」の皆様に、厚くお礼申し上げます。

【釜】

今日は公演日。無事終了。

今日は子ども未来館はきにて、「宮沢賢治語りの小部屋」初演でした。

初演にての硬さはあるものの、暑い中、子どもたちを相手に無事終了。

子どもたちにとって、どんな作品がふさわしいのか?

やりながら試行錯誤がまだまだ必要でしょうか。

今日の初演をバネに、まだまだ練り上げたいものです。

次は7月10日に、筑前町東小田小学校で、しいの木公演。

公演が続きます。

【釜】

いよいよ明日です

今日は、劇列車も参加する「くるめ市民劇団ほとめき倶楽部」の稽古日でした。
今年から始動したくるめ市民劇団!!
8月末にある1期生の中間発表会に向けて、毎週金曜日に稽古中です。
先週は、ふらわ〜うぉ〜くと重なり出席できなかったため、稽古の進行具合も気になり、ちょっぴり緊張ぎみで稽古に向かいました。
3作品を3グループにわかれて稽古していますが、別の会場で稽古中の他グループの声が聞こえてきたり…。
皆さん気合いが入ってます!


さて、明日はいよいよ子ども未来館はきでの公演です。
子どもたちとの間に何が巻き起こるのかを楽しみに、頑張ります!

【法】

新しい楽器も仲間入り!!

今日は、27日の『宮沢賢治童話 語りの小部屋』に向けて最終稽古日!
通し稽古はもちろんですが、細部まで合わせる作業をより念入りに行いました。
紙芝居と朗読は、うたと様々な楽器を組み合わせながら進行します。
楽器って、使い方によって楽しくもなり、単調にもなり…使いこなすのは難しい。
でも、『宮沢賢治童話 語りの小部屋』では、その楽器が、賢治童話の世界の魅力を引き出してくれています。
新しく、「オカリナ」や「パーランク」という沖縄の伝統舞踊(エイサー)で使われている太鼓も仲間入り!
そんな童話の世界が、子どもたちに触れることで、どう変わり成長するのか…。
27日が楽しみでなりません!

【法】

通し稽古でドキドキ(● ̄▽ ̄●)

日曜日、27日子ども未来館はきで行う「宮沢賢治童話・語りの小部屋」の通し稽古を行いました。

衣装も決まって、いざ通してみるとあら不思議。劇列車流宮沢賢治の空間が出来上がります。
通しの稽古を行うと、宮沢賢治童話から子どもたちに何を感じ取ってもらいたいのか、その想いがが空間を作る空気を形成します。

“感じ取ってもらいたいもの”
先日のブログでも記述していますが、それは賢治童話に潜むアニミズムの精神。
動植物から無機質なもの(たとえば道端の石ころなど)まで、さまざまにおしゃべりができる子ども時代は、その感覚が強いといわれます。

この宮沢賢治世界に子どもたちがどのように反応してくれるやら。
27日土曜日にどんな反応があらわれるか、緊張と期待が混じりドキドキしています(● ̄▽ ̄●)

【尚】

記憶継承は町づくり

昨日に続いて、戦争記憶継承をめぐる考察です。

記憶継承は、ひとり一人の記憶から集団の記憶へ、歴史を紡ぐ運動でもあると思っています。

「集団の記憶へ」という言葉がイメージを喚起しにくければ、「町の記憶へ」という言葉でもかまいません。

ひとりの個人記憶の「こんなことがあった」を、町の共同記憶に織りなしていくことで、戦争の記憶は個人記憶から町の歴史となります。

歴史とは、今を生きる人々が「意味あることと共同記憶した過去」のことなのですからね。

単なる過去は歴史ではなく、忘却されていく時間でしかありません。

また、今を生きる人々が、意味あることと理解した過去の共同記憶は、町のアイデンティティを形成するものといえましょう。

この町に住む私たちが、この町の何を大切な過去と共同認識するのか。
それは私たちの「町アイデンティティ認識」に関わるのです。

記憶継承は、町の歴史というアイデンティティ創造につながるという点で、町づくりに連なるしごとなのだと思うのです。

一つの町が壊滅したこと、それは阪神淡路震災を考えても大変なことです。
その土地に住んでいれば、私たちは、その記憶を忘れずに継承することが、町の再建に大切なことと、肌で感じることでしょう。

同じく、空襲で町が壊滅し、多くの命が奪われたことを、町の記憶へと紡ぐことは、町の歴史づくりを通じての地域づくりに関わること。

継承運動を、そう考えてみると、継承と地域づくりの連関が見えてこないでしょうか。

【釜】

記憶継承バトンの受け渡し

昨日のふらわーうぉーくを終え、今日は紙芝居枠のキャスター付き土台を作成、それから、いつもの基礎レッスン。

さて、今日の新聞に、福岡空襲継承の難しさを語る記事が出ていました。体験世代が減少していることについての記事です。

体験世代の減少は、自然加齢において当たり前のこと。

自然加齢問題を「嘆き」に終わらせず、戦後世代による継承へバトンタッチすべきなのだと思います。

もちろん、体験世代の継承と戦後世代の継承には、質的な差が出ます。
戦後世代の体験は、体験世代からバトンを受けての間接体験の継承なのですから。

ですから、間接体験を生かした継承が大切なのです。そう思えてなりません。

間接体験を生かした継承とは、「表現文化」という媒体を使った継承活動となるのではないでしょうか。

例えば、演劇や朗読や物語や映画。
戦争遺跡の保存運動なども、あるでしょう。
継承の難しさを嘆くのではなく、戦後世代の新しい継承運動の理論構築と活動交流が大事。

劇列車のこの発想は、他でもちらほら散見されるようです。

戦後世代の継承運動、そんな市民の方々と膝つきあわせて、議論する機会はないものか。

【釜】

戦災地蔵に花を捧げて歩きました

福岡大空襲があった6月19日。
戦災地蔵に花をそなえて歩く『ふらわーうぉーく』の日でした。

冷泉公園にある戦災記念碑の前に集合し、出発!
そして、堂沖浜稲荷神社→黒田神社→下洲崎恵比寿神社と戦災地蔵を巡りました。
また、下洲崎恵比寿神社では、昨年と同様に慰霊祭が開かれていました。
街の端にひっそりと立てられた戦災地蔵。
だけど、その存在は、かけがえのない記憶の欠片。
目を閉じ、手を合わせるとよみがえる記憶。
それはきっと、福岡大空襲のあった日に訪れたからこそ感じる不思議な感覚なのでしょう。
私たちが記憶し、継承していくべき大切なものを感じることができました。
最後は、冷泉公園へ戻り、黙祷を捧げました。

冷泉公園慰霊碑前でキャンドルを灯す

また来年の6月19日。
この場所を訪れたいと思います。

【法】

新聞第一面で紹介いただき感謝

6.18西日本新聞記事 『世代超え語り部活動 戦争体験の継承今こそ』

明日のふらわーうぉーく、8月のピースキャンドルナイトくるめ、新聞第一面で紹介いただき、記者さんにとても感謝しています。

おかげ様で、もうお二人から問い合わせのお電話あり。

新聞の力は本当に大きいですね。

さて、今日問い合わせがあったお一人は、奈良屋校区ご出身の方。
戦地から帰ってみると、ふるさとが一面の焼け野原になっていたとのこと。

ご近所の方々もたくさん犠牲になったそうです。

ご高齢のため、明日のふらわーうぉーくに参加出来るかどうかわからないとのことですが、ご一緒出来れば、いろんなお話しが伺えるものと思います。

戦後世代は、体験世代が語りたいことに向きあって、きちんと聞き取っていきたい。

聞き取とり、次世代に伝えること。それは、聞き取ることができる私たちの、世代的責任と思うのです。

【釜】

作品「宮澤賢治童話、語りの小部屋」

今日は、作品「宮澤賢治童話、語りの小部屋」の稽古。

まだまだスキルに甘い私たちですが、スキルアップは劇団員の日々の課題で大事なこと。

毎日毎日の、いつ果てることもなき、そんな自己鍛錬の結果がスキルアップ。

そんなプロセスがスキルアップの王道です。

まだまだならば、まだまだ精進すべし。
これが、劇列車の姿勢です。

さて、そういう意味でまだまだですが、劇団が語りも歌唱も演奏も、全部ナマで、しかも三人でやることができるまでには、なってきたようです。

これからが楽しみですよ。
6月27日の、子どもたちに向けた公演。
頑張っています。

【釜】

宮澤賢治童話のアニミズム

6月最後の土曜日に行う「宮澤賢治童話、語りの小部屋」。

紙芝居や語り、演奏と、だんだん出来上がってきました。

出来てくると思うのですが、宮澤賢治の初期童話群は、アニミズムに溢れた奔放さに満ちています。

岩手に根ざし地域性に満ちた賢治童話は、法華経と当時最新の科学知識を一つの源泉としたことで、強い普遍性を持ちました。

初期童話群は、その普遍性よりも、地域性【土着性】の色が濃く、その分、アニミズムに溢れているといえましょうか。

子どもたちにとっては、そこが魅力なはず。

子どもは、草とも動物とも虫ともおしゃべりができるのですから。

人間でなきものの声を聞ける子どもは、きっと豊かな感性を育むはず。

そう思い、賢治童話を子どもたちにぶつけてみたいと考えています。

【釜】

ぴーすきゃんどるナイトくるめ相談会

今日は、ぴーすきゃんどるナイトくるめの相談会を行いました。
14時から2時間ほど。
7名の参加。
今回、初めてお会いする方もいました。
この企画に参加する想いを語り合いながら、少しずつですが、確実に輪が広がるのを感じました。
8月11日。
市民の手によって、久留米空襲の記憶を刻む時間…。
音楽や朗読を通して追悼する時間…。
そんな大切な時間を少しでも多くの市民の皆さんと共有できることを願いながら、7月19日に2回目の準備会を開きたいと思います。


そのあと17時からは、今月27日の公演に向けて、紙芝居『雪わたり』と朗読『月夜のでんしんばしら』をMCと音楽で繋ぎながらの稽古。
そして、日舞のお稽古がありました。
指導していただいたのは、藤間勘志龍先生。
くるめ市民劇団でもお稽古していただいた先生です。

座りの所作

お辞儀・立ち・歩きなどの基本的な動きに加え、扇子を使いながら「さくらさくら」の1番を躍りました。
やはり、身体はなかなか思うように動いてくれませんね。逆に、自分の身体に染み付いた癖がすぐにわかってしまいます。
ですが、とても面白く、日舞に魅せられた日となりました。

【法】

街に蘇る福岡大空襲6.19

本日は晴天の中、「ふらわ~うぉーく」に向け戦災地蔵を回りました。

6.19福岡大空襲があった当日、鎮魂のメモリアルである戦災地蔵に祈りの花をおいて歩くという企画。
昨年から始め、今年で2回目となります。

冷泉公園~沖濱稲荷神社~黒田神社~下洲崎恵比寿神社を回り、今年も戦災地蔵の元気な姿を見ることができました。
回っている際に下洲崎恵比寿神社ではちょうどテント張り作業が行ってあり、わずかだけれども確実に、街に福岡大空襲の記憶が蘇ってきていました。

下洲崎恵比寿神社の戦災地蔵

5つあった戦災地蔵の2つが撤去・移転になり、記憶・関心の風化が恐れられている福岡大空襲。
1945年6月19日、福岡の街で何が起こったのか。
イマを生きる私たちは、その記憶を刻むことがとても大切だと思います。

【尚】

7月10日東小田小学校へお邪魔

この日は、東小田小学校の四年生へボランティア公演が決まりました。

平和教育の一環として、シイの木公演です。

東小田小学校は、元大刀洗北飛行場のそばの学校。
頓田の森事件を文化の力で語りついできた劇団にとっては、気持ちの引き締まる公演です。

非業の最後を遂げた人々の記憶を、その地域に生きる人々が、記憶に繰り返し刻み続けること。

それこそ、今と未来のために地域の歴史を造りだす作業。そのささやかな一環でありましょうか。

戦後世代が、記憶の語り部となることで、新しい継承運動を造りだす。そして、継承運動は歴史創造という地域づくりの一翼であると、頑張って主張していきたいものですね。

小学校の子どもたちに、戦後世代が朗読劇をつうじて、継承の灯を。

【釜】

多面的に毎日の活動を

昨日に引き続き、写真は、中江岩戸神楽の様子です。

昨日は、ブログにあがったとおり、劇列車は中江岩戸神楽の見学でした。

もちろん働きながらの劇団ですから、個人、有志、全員で、と可能な形態で様々な次元で見学を組んでいます。

九州各地の地域伝統芸能と地域起こしの関係を見て歩いているのです。

劇団は、まだまだ表現スキルの向上も大事、フィールドでの見学も大事、劇団活動に対する理論的考察も大事。

いくら時間があっても足らない状態で、気持ちは焦りぎみ。

だからこそ、一歩一歩。
この積み重ねが、地域に必要な創造と活動につながるのだと信じています。

それにしても、フィールドでの見学は、地域とアートとの関係を考える大きな力になります。
これからも、もっともっと見たいですね。

【釜】

地域が輝く-中江岩戸神楽

今日は熊本県阿蘇市波野へ、中江岩戸神楽を見に行きました。

中江岩戸神楽

昼の13時から始まり16時近くまで。
神楽を奉納するための儀礼の舞から神々が生まれた舞、神と人との運動会と表わされる舞など、全33の舞のうち5つを拝見することができました。
舞手と観客の関係が非常に曖昧で、“舞台と客席”という概念が野暮ったく感じられます。

大きな扇子で頭を撫でられる観客

神楽の笛・太鼓に合わせて踊りだしてしまう子どもまで♪
神楽には人を魅了させ、心も体も軽くする力があります(≧▽≦)

舞手も観客も生き生きし、笑顔と拍手が絶えない中江岩戸神楽でした。

“神と人との運動会”

【尚】

地域と地球

「地球的視野で地域に生きる」とは、劇列車のキャッチフレーズ。
これは私たちの造語と鼻高々?だったのですが、ところがどっこい違ってました。

鶴見和子氏の対談集「内発的発展とは何か」の一章は、「地域と地球」であることを発見。

地域という部分で構成される全体が地球。

当たり前に見えて、当たり前でない。
いままでの思考パラダイムでは、地域†国家†世界。
そうではなく、地域†地球。

地域が綴れて地球となる、地球という全体性は地域を構成単位とする。
鶴見和子対談集は、そんな主張に満ち満ちています。

新しい発想の主張です。
そして、またまた劇列車活動と同じ主張。
ほんと、不思議ですね。

【釜】

オティウムとネゴティウム

人間時間をめぐる社会学。

消費社会に生きる私たちは、人の暮らしの時間を「仕事」と「余暇」にわけて考えるのが普通です。

この時間概念は、職業として芸術を選んでいない市井の芸術家は、余暇時間をアートに費やすアマチュアという分類に入れます。

ところが、劇列車はこの分類方法にいつも不同意でした。

私たちの活動実感とは違うからです。

さて、オティウムは、生活や仕事の営みから自律した生の時間。
ネゴティウムは、生活や仕事の時間。

こういう時間概念把握に、最近出会いました。

とても興奮しました。

劇列車の活動実感に、ぴったりの時間概念なのです。

オティウムの時間概念でみると、劇団メンバーは、ネゴティウム時間で暮らしながら、オティウム時間を捻出して、その時間次元で、劇団活動をしているといえるのです。

なるほど。

劇列車の活動本質を、ぴったり言い当てることができます。

仕事と余暇という、消費社会の時間概念では、劇列車活動は把握不可能。
オティウム概念で成り立っている活動なのですから。

オティウムとネゴティウムという時間概念。
新しい政治哲学から生まれた概念らしい。

時代転換をとらえようと格闘する、いくつかの新しい学問潮流を勉強してみると、なぜか劇列車活動が客観的に鮮明に見えてきます。

最近、そういうことがよくあります。

【釜】

オトが生まれるとき(1)

先日雪わたりで使用する楽器を探しに楽器店へ行きました。
様々な楽器が並ぶ店頭。パーカッション奏者のためにおもしろい民族楽器が並んでいます。
その中のひとつ、「カリンバ」について紹介します。

カリンバとは、主にアフリカ大陸で見られる楽器で、何本もついている金属の薄い棒を親指で弾くことにより、音・リズムを楽しむ楽器です。

カリンバにはギターのような音を響かせる穴があります。
ですが、ちょっと不思議なのはこの穴が演奏者向きについていることです。
なぜ相手に聴かせるためではなく、自分が聴くために創られた楽器なのか?

―それもそのハズ。
カリンバは夜に移動する遊牧民が、飲み込まれそうな暗闇の中を自分を勇気づけるために創られた楽器なのです。

鉄クギを、汽車が通る線路に置き、汽車の力で潰し薄い棒状にして楽器を創る。
その楽器で水のように透きとおった音色を奏で、寂しいひとときを癒しのひとときへとかえながら暗闇の中を歩く。
カリンバは、耐えがたいほどの寂しい夜に“奏者が”希望を抱くためにうまれた楽器だったのです。

オトは環境・経験・慣習の日常の中から、いつのまにか…しかし必要性を持って生まれます。
楽器が生まれた背景には、切ない中にも力強い希望をもった人々の、願いが透けて見えます。

【尚】