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記事一覧

地域語【方言】の味

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最近の劇列車作品は、意図的に地域語【方言】を多用する。

それは、喋りやすいからではない。
創造の方法論、私たちの創造のための武器として、地域語を使った表現をつくろうとしているのである。

地域に暮らすとは、漂泊の旅と違い、様々なものをしょいこんでしまっていることでもある。

家、土地、家族、仕事だけでなく、風土、伝統と歴史、地域文化、そして地域語。

それは『自由な飛翔』に対して、個人を制約し縛りつけるものでもある。

地域に生きる表現者は、どうしても何かの形で、その制約にあがき、それと闘うことになる。

劇列車の地域語使用は、私たちの表現を制約する地域語を、逆手に使って表現しようという目論見なのだ。

共通語に較べて卑下され、下品で土くさいものとされてきた地域語は、私たちの暮らしの言葉である。

暮らしに根ざし、暮らしを考え、暮らしを元気にしていくには、風土や歴史、文化をひっくるめた暮らしの実感から育った地域語による表現こそ、私たちの武器になる。
そう考えている。

まだ、地域語を使った表現の独自性と洗練に成功しているわけではない。
だが、私たちの創造方向として、しっかりと方法論になってきた。

さて、『かたんべべ』という本を買った。
甘木朝倉方言の辞典だ。

私のふるさとは朝倉だ。だが、もはや純粋方言をしゃべることのできなくなっている私には、貴重な本だ。

化石のようになった純粋方言で、作品を作りたいわけではない。
言葉は生きて変わっていくのだから。

アイヌの人々の中で、アイヌ語をしゃべる人々が激減してアイヌ文化の根幹が揺らいでいると聞く。
それと同じく、純粋方言をしゃべることができなくなっていることは、豊かな地域文化を失ってきていることなのだと思う。

私が、私たちが、何を失ってきたのかを自覚するのだ。『かたんべべ』に採録された純粋方言語彙の数々によって。
その自覚は、私に新鮮な発見と驚きをもたらしてくれている。

【釜】

城島学童にて公演

今朝、自宅を出るときに、うぐいすの鳴き声が聞こえてきました。

気温もあたたかかくなって、やっと春らしさが感じられたかな〜と思います。

さて今日は、城島学童保育所と江上学童保育所との合同公演にお招きしていただきました。

民話「たーろべーはたんぽこたん」と「ソバと山姥」の2作品を上演。

「たーろべーはたんぽこたん」は、今回が3度目の上演。

前回公演の反応を受けて、形態を変更して臨みました。

まだまだ工夫次第で面白くしていきたい作品ではありますが、子どもたちが今日のこの時間を楽しく過ごしてくれたら幸いです。

次は、4月3日。

秋月ろまんの道で開催されるフリーライブへ参加します!

【法】

頓田の森ぴーすきゃんどるナイト

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今年で4回目となる頓田の森ぴーすきゃんどるナイト。

昨日無事終了しました。
お世話になりました皆様、参加いただいた皆様に厚くお礼申し上げます。

想いだけではじめたぴーすきゃんどるナイトです。4回目を迎えて、また一つ朝倉の地に馴染むことができたようです。

祈りと戦争の記憶継承から、平和のための人の輪を。
そのために、『地域での継承が必要だ』と思う人々にたくさん集って欲しいと思います。

朝倉だ、久留米だ、福岡だ、と行政エリアで継承を分けて考えることは止めにしたい。

地域という多層エリアでは、それぞれが違う地域であると同時に、同じ地域でもあるのです。

朝倉も、久留米も、福岡も、それぞれの継承がみんな大切なのだと思いますよ。
継承のために、みんながつながるのです。
そうやって継承の輪が広がるのではないでしょうか?
そう考えています。

さて、頓田の森の悲劇は、見えない地下茎で、朝鮮半島につながっています。在日の子の被爆をつうじて。

森に一発の爆弾が落ちた事件は、想像力の飛翔によって、玄界灘を渡って朝鮮へたどり着くのです。

これは何も、頓田の森が特別だと言いたいわけではありません。

『汝が立つところを掘れ、そこに泉あり』
私たちが立つ地を掘ると、そこには見えない豊穣な地下水脈が、とうとうと流れているのです。

頓田の森がそうだというだけでなく、どこでもそうなのではないでしょうか?

今回のぴーすきゃんどるナイトでは、運営の不手際がありました。

それに増して、参加された皆様の想いに助けられました。

一歩ずつ根づいていっているぴーすきゃんどるナイト。
参加いただいた皆さんにお礼申し上げるとともに、また来年も集いましょう。

【釜】

一ツ木神社慰霊祭へ

今日は朝倉国際子ども芸術フェスティバル二日目。
昨日と違って、暖かくてよい天気。

劇列車メンバーは、二手に分かれて、フェスティバル関係では会場ボランティア。
私は、頓田の森事件で亡くなった子どもたちの66回忌へ。

一ツ木神社とは、亡くなった子どもたちのお地蔵様がある神社です。そこでは毎年、慰霊祭が開催されています。

明日は頓田の森ぴーすきゃんどるナイト。
その開催に向けた動きの一環です。

さて、甘木での慰霊祭が終わり、杷木町へ。
昼ごはんに、バサロのおいしいおにぎりを食し、今からフェスティバル参加企画を見てまわります。

見てまわり、もっともっと勉強するぞ!

【釜】

注文の多い料理店公演無事終了

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今日は、朝倉国際子ども芸術フェスティバルでの注文の多い料理店公演でした。

朝7時半より機材道具を搬入。
10時より第1ステージ。14時20分より第2ステージ。
搬出完了は17時半。

こういう移動公演では、いつもそうなのですが、ヘトヘトになりました。

でも計180名以上の皆様に見ていただき、とっても良かったです。

篠栗よりはるばる来ていただいたぺんぎんさん、十分ご挨拶もできませんでしたが、本当にありがとうございました。

今はホッと一息。
公演チームで夕食です。そして甘木に宿泊。
ゆっくりして、明日に備えましょう。

【釜】

レベル6の日本

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本日の朝日新聞朝刊は、福島第一原発事故が国際基準レベル6「大事故」に相当する、と記事を掲げていた。

事故報道を毎日追ってきた身としては、実感に近い記事だ。

関東一円まで広がった放射線汚染。居住地に帰れない避難民。
九州電力呼子原発も、定期点検中の原子炉再稼働を延期した。

それに関連して、九州の電力不足が懸念され、計画停電もやむを得ないとのこと。

それでもよい。
これだけの被害をもたらした事故を経て、何食わぬ顔で、原発は今までどおりとはいくまい。

事故が、少しずつ社会に深い変化をもたらしはじめている。
私たちは、SFではなく、レベル6の世界を生きることになった、と実感する。

それが、人間が大切にされる社会の構築へ向かえばよいのだが。
切に願うとともに、そうなるように力を注がねばなるまい。

さて、そんな中、市民劇団公演から劇列車活動と、息つく暇もない毎日を送ってきた。

そして、民話の世界を思考していた。
そのことは、また別の機会に書こう。

明日は、朝倉国際子ども芸術フェスティバル本番だ。
『注文の多い料理店』で臨む。
今夜は搬出準備。

地震の余波も深刻、原発事故進行中の中でのフェスティバルだが、それだけ多くの人々の協力と想いがあって開催される。

がんばろう!!

【釜】

真ん中とはしっこ

ますます、事態が悪化しているように感じます。
毎日、テレビやラジオで流れる原発のニュース。
作物も土も植物も水も…そして海も。
汚染されています。

福島県に造られた原子力発電所は、首都圏で消費されるための電力を発電。
だから東京電力の管轄。

都市と辺境、中心と周縁、中央と地方。
あまりにも、優劣で使われることが多すぎるように、思います。

都会からやってきた紳士たちを、村のこどもたちの視点から描く「注文の多い料理店」。
朝倉フェスへ向け稽古を行う中、各地のことを想わずにはいられません。

今はただただ、事態の収束を、息をひそめて祈るしか。

【尚】

心は被災された方々とともに

今日明日は、くるめ市民劇団ほとめき倶楽部の「駅」公演。

今日明日のために、1年間お芝居を稽古してきました。

写真は、受付に置かれた、義援金募金箱。

ほとめき倶楽部受付

くるめ市民劇団ほとめき倶楽部も、被災地へ心寄せます。

【尚】

明日に公演をひかえて

今週末、19日・20日に公演する、くるめ市民劇団ほとめき倶楽部「駅〜それぞれに旅立ち」の稽古も佳境へ。

連日の稽古体勢の中で、本番を明日に迎え、緊張感が漂っています。

ですが、常に気にかかっているのは、東北・関東地方で起きている大震災。

避難所で身を寄せ合って過ごしている方々はもちろん、東京都心でさえも物資が不足しているようです。

ですが、現地の受け入れ体勢が整っておらず、物資をトラックで運んでも、避難所まで運ぶ手段やガソリンがなく、荷物をのせたままのトラックが戻ってきたりしているところもあります。

1人でも多くの方へ、支援の手が届くようにと願うばかりです。

この状況で、私たちは、何ができるのか…。

公演を明日に控え、切々と考えさせられます。

【法】

原発事故から迫るカタストロフィ

地震津波にともなう福島第一原発事故は、新聞テレビ報道で、少なく見積もってスリーマイル島事故、最悪の想定ではチェルノブイリ事故を超える未知のものとなっている。

なんとしても!この段階で収束に向かって欲しい。

チェルノブイリ事故規模で、日本列島は核汚染列島化する恐れがある。

原発の危険を訴える学者研究者たちは、安全神話に寄りかかることの危険性を訴えてきた。
だから、深刻な事態が仮定のシナリオとして描かれてきたことは知っている。

だが、それが現実となった時、まるで悪夢の中を浮遊しているような感覚がする。

もはや、事故以前と同じ社会には戻れないだろう。
原発を絶対安全だという方便で建設予定地域を説得し、補助金という名の札束で慰撫し、原発に依存する歪な地域経済を生み出してきたのが、日本の原発政策である。

中心から遠く離れた土地に苦しみを押しつけ、都市では便利な生活を享受してきたのが、原発に依存した日本社会である。

演劇は、そんな私たちの社会の姿と、どこまで格闘してきたのだろう。
私たちは、そんな社会との格闘の中で、どこまで創造活動をしてきたのだろう。

この問いは、表現の上手い下手や、プロかアマチュアかなどの次元の問題ではない。
表現を生きる糧とした創造者としての問題である。

今回の重大事態は、汚染の危機が、私たちに突きつけられているだけではない。

私たちの暮らしの質の問い直し、私たちの演劇の問い直し、私たちの世界との向き合い方の問い直しに至る問題が突きつけられているんだ、と思う。

ただ、そんな検証と内省、出直しが出来る段階で事故が収束してほしい。
なんとしても!

祈るような気持ちで、毎日を過ごしている。
【釜】

コメント一覧

ぺんぎん (03/16 22:44) 編集・削除

九州・福岡でも「節電しよう」という声が高まっています。それはそれで正しい行動だと思います。

しかし、そもそも24時間「眠らない」社会を作り、様々な快楽を享受してきたのはほかならぬ人間自身であります。

電力事情が回復するまでではなく、エネルギー消費(というか浪費)のあり方を根本的に、恒久的に考え直すべきではないでしょうか。

夏に長袖を着たり冬に半袖でビールを飲むような冷暖房や24時間営業の店があることが前提の生活を続けるための電力を供給するために原子力が必要だとすれば、「原発反対」と「エネルギー浪費生活をやめよう」はセットでなければなりません。

だからといって、明治以前の生活に戻れと言われてもそれは現実的ではありません。今こそ「文明」によらない発展のために人間の英知を集める必要があります。

「文明によらない発展」....それは「文化による発展」といってよいかもしれません。例えば、冷暖房に頼らず気候にあった服装で過ごしたり、ペットボトルをやめて水筒を活用したり、といったことです。
考えてみれば、「もったいない」のひとことを原点とした日本人らしい生活ではありませんか。

...日本全体で、と言う前にまず自らの生活を今一度見直さなければならん、と思いました。


ごぶさたしています。昨年12月に行けなかったので、
「杷木フェス」行きます。たくさんお話がしたいです。

かまほり (03/17 17:59) 編集・削除

ぺんぎんさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
エネルギー浪費社会は、ほんとうになんとかしていきたいものです。
私たちの暮らしのあり方もふくめて。

また、地震津波と現在進行中の原発被害のトリプルパンチに見まわれたうえ、必要な情報と救援が不足していると聞く原発近隣の人々に、心から応援を送りたいと思っています。何かできることはないかと思案しつつ、被害が拡大しないことん念じております。

杷木フェスティバルへのお越しを、楽しみにお待ちしております。お気をつけて、お越しください。

稽古どころではないのだが。

東北関東大震災の犠牲者の皆様のご冥福を祈るとともに、被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

この大被害と福島原発の甚大なトラブルが続く中で、日頃はテレビとは縁遠い私も、極力テレビを見るように努力している。

劇団の稽古や個人のレッスンも、気を奪われがちで、なんだかフワフワした感じだ。

深刻な事態が進行しているなか、稽古をしている場合なのかとも思う。

だが、3月26日の本番も30日の本番もやってくる。

見ていただける皆様に、気持ちを投入した最善の作品を届けるのは、実演団体の義務である。
私たちが拙く、私たちがプロでなくても、踏み外してはならぬ。

いっぽう私たちが、私が、地震被害に対し、何ができるのか?
しっかり、素早く考えよう。

【釜】

東日本の大震災

今日は、「第10回朝倉市国際子ども芸術フェスティバル」準備のためのボランティアで、子ども未来館はきへ。

高校生ボランティアの皆さんと、道の駅バサロにて、チラシの配布を行いました。

お店の入り口正面に、募金を呼び掛けるポスターと2つの箱が置いてありました。

宮崎県と鹿児島県の境にある霧島連山の新燃岳噴火への募金と、もう一つは、昨日発生し、こうしている今も余震が起きている東日本大震災です。

マグニチュード8.8という国内史上最大規模の地震。

ですが、被害は、地震や津波、火災に留まらず、福島第一原発の爆発へと拡大しています。

しかし、原発の爆発が起きて、3時間ほど経ったにも関わらず、国や安全委員の責任者たちは、何も情報がわかっていない…これから対応を検討する…との発言ばかり。

そのため、メディアで報道されている情報は、非常に錯綜しており、何が真実なのか、わからない状態です。

このような中で、これ以上の被害が拡大しないこと、そして何より、被災地の皆さまの無事を、心より祈っています。

【法】

マグニチュード8.8

九州でさえ、まだ霜がおりています。
東北はもっと寒いはず。

観測史上最大のマグニチュード8.8。
地震や津波、そして火災。

いまもまだ震度4の地震が続いている。

現地の恐怖が伝わります。

早く早く落ち着いてほしい。
心より祈ります。

朝霜

【尚】

限られた時間の中で

吹く風は、まだまだ冷たいですが、川沿いの堤防では、菜の花が咲き、とっても綺麗です。

そして、約2週間後は桜の開花予想日。

4月はじめに秋月ろまんの道でのフリーライブに参加させていただくころには、満開の桜並木が見れるかも。

みなさんも、よろしかったら、ぶらりと遊びに来てみてください。

さて、今日は、今月26日の「朝倉市国際子ども芸術フェスティバル」へ向けた「注文の多い料理店」の稽古日でした。

24日〜27日の4日間で開催され、全国から演者が集まり、九州一円からお客様が足を運ぶフェスティバル。

フリーパスチケットを購入すれば、1日に何本も、お芝居などのパフォーマンスが観れるという素敵なフェスティバルです。

そのような場所で上演させていただけることを大切にし、フェスティバルに集まる大人たち、子どもたちに、楽しんでもらえるように、日々、奮闘中です。

どうぞ、お楽しみに!

【法】

注文の多い料理店稽古だ!

森

今日は今から、朝倉国際子ども芸術フェスティバルへの参加作品である『注文の多い料理店』稽古だ。

月曜日から金曜日まで夜間稽古の連日体制も、二週目を終えようとしている。

これは、本番間もない久留米市民劇団の稽古を最優先して、その休みの日に、劇列車稽古を入れているからだ。

劇列車稽古は、市民劇団本番が終えた翌日から本格化するが、まずは少しずつ稽古を進めておかないといけない。

今日の稽古は、そのための貯金稽古だ。

さて月曜日から金曜日の連日体制は、来週まで続く。
体調管理に気をつけてがんばろう。

あっ、それから劇団通信27号の反応が返ってきた。
激励のハガキだった。うれしい!

さあ、今から稽古だ。

【釜】

台本修正完了!!いい感じ。

初演済みの新作かたり芝居台本の修正が終わった。

グッとシンプルに引き締まり、太い一本の展開に収まってきた。
いい感じだ。

役者の動きも明確にイメージできる。
稽古で、役者に要求したいことも明快となった。(もっとも私自身も役者だが)
あとは、二回の稽古で仕上げるのみだ。
仕上げが楽しみだ。

もっと時間回数をとった稽古をしたいところだが、市民劇団の本公演まで二週間を割った。

この期間は、稽古を積み重ねてきた市民劇団の稽古仕上げが優先だ。

春の訪れに、山野は草花が。
昼と夜の時間が同じになるまで、あとおよそ半月。
大好きな季節だが、いまは味わえる時間も僅か。

心のゆとりを失わずに、がんばるぞ!

【釜】

シンプルで太いドラマツルギーを

昨日の『九州民話出前劇場』は、前半の新作語りしばいから、中間の手遊びまでが、不発に終わった。
後半のエイサーからそばと山姥で持ち直した。

前半不発の原因を究明し、次の出前劇場に備えなければならない。

一つには、朝一番で見にきてくれた子供たちの温度を上げる一工夫が必要だったこと。

だが最大の不発原因は、前半の新作語りしばいで、いろんな事情からドラマにムリがかかっていたことだ。

僅か15分のドラマに、いろんななものをぶち込みすぎた。
脚本が二転三転したこともあって、僅か15分にぶち込めるのは、シンプルかつ太いドラマツルギーであることを、うっかり置き忘れていた。

前回出前劇場の初演では目立たなかったが、それは迎えてくれた子供たちが、そもそも最初から熱かったからであろう。

子供たちは様々だ。
同じ子供たちだって、時と場所で空気が変わる。

だが、私たちには、どんな状態の子供たちでも楽しませる力が必要なんだ。

脚本の欠陥に気づかせてくれた子供たちに、感謝せねばなるまい。

今日、早速脚本の修正を行った。
幸い小幅の修正ですみそうだ。
そして現れたのは、シンプルで太いドラマツルギー。

次の稽古でやってみよう。がんばるぞ!

【釜】

民話の魅力を届けたい

本日は、荒木コミュニティセンター土曜塾へ、九州民話出前劇場でおじゃま。
民話2作品やお囃子・民舞エイサーを組み合わせて上演させて頂きました。
お呼び頂いた関係者のみなさま、ありがとうございました。

少し前から、子どもたちは家庭で「ヒト」の話を聞く機会がほとんどないといわれます。
自宅に戻れば、テレビ。
テレビをつけて待っていれば、たった数秒間であっという間に何回も画面が切り替わり、考える間もなく次々に情報が与えられる。
そんな状況になれています。

自分の関心のあることであれば、ものすごい速さでものすごい量の情報が与えられるテレビを見続ける。
関心のあることでなければ、自分の思うままにチャンネルを変える。
(この「自分の関心のあること」というものも、果たして「自分」なのかは怪しいですが)

「テレビ」があれば、家族の「ヒト」とまともに話をしないまま、寝る時間。
ひと昔前はよくあった、地域の民話のおはなしを聞かせてくれる大人も、いない。

「テレビ」で育った子は「テレビ」を疑わない。
果たして「テレビ」は、地域の埋もれてしまった民話を取り上げているだろうか。

そんな環境で育つ子どもたちの前に、全国的に有名なわけではない民話を、かたり芝居にして上演する劇列車。
足下からアジアを世界を見つめ、地域に生きる子どもたちに育って欲しいと願います。
そのためには、どんな子どもたちへも民話の魅力が届くように工夫しなければ!
新作の研究は続きます。

小さいけれど大きい

【尚】

稽古で秋月へ。

今日の稽古は、19時から秋月にて。

いつもお世話になっている「ろまんの道」のイベントスペースをお借りしました。

明後日5日、荒木コミュニティーセンターでの公演へ向けた稽古です。

東国分学童保育所にて初御披露目した、「水口囃子」と「たーろべーはたんぽこたん」。

また一つレベルアップした姿で披露できるよう、頑張ります!

…稽古会場へ向かう途中、ポツリポツリと、車のフロントガラスにしずくが落ちてきました。

雨?と思ったら、チラリと雪が舞っているのが見えました。

あまりの寒さに写真を一枚。

雪は写っておりませんが、山越しにうっすらと見える夕焼けがきれいです。

それでは、いざ稽古へ。

山越の夕焼け

【法】

演劇を目的とする愚

演劇を目的とする演劇ばかりとなった今日。
なんて!!演劇がつまらなくなったんだろう!と、実感している。

ずっと感じていたことだが、やはり声に出していこう。

演劇は世界認識のツール。
世界のなかで立ち、世界に参加するための拠点。

演劇が目的となった演劇には、世界への参加が欠如している。
せいぜい都市文化の消費の対象にすぎない。

小劇場しかり。
都市のあだ花にすぎぬ。
そんなものに拘泥するところから、未来は生まれるのか。
否であろう。

もはや都市消費材としてしか価値のなくなった演劇なんぞ、なくなってよいのではないか?

世界参加のツールとしての土着の表現を紡がねばならぬ。

劇列車の試行錯誤は、世界と関わるための試行錯誤だ。
決して、いわゆる演劇愛好家とベクトルが重なることはあるまい。

そんな表現を創っていこう。
ヤポネシア列島九州島の土着民として。
【釜】

春、弥生。祝島。

花開く梅

弥生3月は、いのちの芽吹き。
それにあわせて、劇列車も今年師走の定期公演にむけて、演目研究中。

或る一人芝居のプロットを分析すると、一プロット2分から3分が基本。
一人で演じる分、飽きさせない工夫が随所にある。
いや、感心しました。

ところで、瀬戸内海の祝島では、中国電力の建設する原発に対する息の長い反対が続いてきた。

いま、中国電力の強引なやり方に、ネットを通じた関心の高まりが見られるようだ。

さきに紹介した、沖縄のヘリパット基地建設に抵抗するウチナンチュとのつながりも生まれているようだ。

ヤポネシア列島のあちこちで、自力で自前の自立した、生身の人間たちの立ち上がりを見ることができるようになってきた。

そこに共通するのは、土地の記憶を体に刻みこんだ民の立ち上がりだ。

春に、風の便りが沖縄から祝島から、届いてきている。
耳をすませ。聞き取るのだ。
風が運ぶ遠くのかき消されがちな声を。

この土地の記憶から、拙い表現を綴る劇列車なのだから。
他の土地が放つ声を、心で聞き取っていこう。

【釜】