今日は、筑紫野市にあるカミーリアで開催された子どもフェスティバルへおじゃましてきました。
今日は、と〜っても良い天気でフェスティバルにもたくさんの親子が訪れていました。
子どもたちが手作りしたものを10円や20円で販売する子ども市も開かれていました。
ここでの売上げは、東日本大震災への義援金へ。
自分で作って、自分で売ってと子どもたちが主役の子ども市になっていました。
主催のちくしの子ども劇場の方も、子どもたちが遊べる場所を作りたいという想いから、このフェスティバルを始められたそうです。
楽しそうに活き活きと走り回る、たくさんの子どもたちがいて、素敵なフェスティバルだと感じました。
【法】
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筑紫野で子どもフェスティバル
- Date:2011/04/29(金)18:33
土の唄
- Date:2011/04/26(火)22:02
民謡はおもしろい。
多くの人々の口を伝い、練り上げられた筋の太いメロディになっています。
同時に、メロディに絡み合うことばも特徴です。唄いながら、気持ちのいい節回しであると感じます。
私たちは、明治以降、入ってくる音楽を手あたり次第、雑多に取り入れてきました。
ドイツのリード、フランスのシャンソン、イタリアの民謡からオペラ、アメリカのジャズソング…
いずれも、素晴らしい音楽です。取り入れることにより、音楽の視界が広くなりました。
ですが、音楽を取り入れる際、歌が産まれた土地のことばをひきはがし、ことばとメロディを分けてしまいました。
そりゃあ、私たちは日本語を話します。現地の方々と話す言語が違います。
ですが、ことばを引き剥がすことで、ことばとメロディの複合的なリズムを、いっしょに引き剥がしてしまったように思います。
もしかして、ことばを引き剥がすことにより、意図的に、土くささを消しているのかもしれません。
土くささを消したものが音楽。生活から切り離し、専門性を高め、一部に独占されているものだけが音楽なのかも。
歌が産まれる現場は、もしかしてもっと身近にあるのではないかと思います。
新作かたり芝居にて、遠賀川流域の唄を組み合わせます。
組み合わせる民謡を模索しながら、土からはなされ、足がないまま生みだされた歌の数々を思わずにはいられません。
【尚】
NPO通常総会を終えて
- Date:2011/04/24(日)20:56
昨日はNPO劇列車の年次通常総会と懇親会。
昨年の事業報告、今年の事業計画、収支報告と収支計画。
無事審議を終えました。
昨年今年と、劇列車の財政規模は、80万円台。
小粒ながら、財政規模の拡大があり、それが活動拡大の結果であることを、改めて考えました。
日頃の稽古では、どうしても強い求心力が働き、息詰まるくらいの緊張感が漂っていきます。
それくらいの稽古がなければ、次を拓くことができないのですからね。
でもそれだけではダメ。
広く開放され、多くの方の目に触れて、社会的に鍛えられることも大事。
それで広がっていけるのですから。
そういう意味で、NPOを構成する方々と、報告や計画を語りあう場は、とても大事です。
参加された方々、ほんとうにありがとうございました。
また票決委任をされた方々、近々総会結果を郵送いたします。
総会を経て、つながりの広がりの作り方や、公演活動の新しい発想が頭をよぎっているのですが、まだ言葉にすることが難しい段階です。
総会で捕まえた新しい発想を、おいおい言語化して、しっかりした検討を加えたいものです。
【釜】
明日は、総会
- Date:2011/04/22(金)23:07
新しい事業年度を迎えて、もう20日と少しが過ぎました。
役所への申告関係も含め、事務的な作業が多い、この時期。
一昨日は、理事会。
そして、明日の23日は、総会です。
第2回の総会。
維持会員として支援してくださっている皆さんの納得をいただけるよう、今日は、書類の最終チェックをおこないました。
総会の後は、懇親会。
お酒を酌み交わしながら、会議の席ではなかなか話しにくいことを、和気藹々と語りあうひとときも、とっても大切ですよね。
【法】
見なければ見えない相似形
- Date:2011/04/21(木)22:28
そんな相似形とは、原発と基地。
中心が周縁に押しつけたもの。
利便性と見せかけの平和は、周縁に転嫁した犠牲のうえに構築されている。ゆえに、特権的な砂上の楼閣ではなかろうか。
原発をめぐる中心と周縁の関係と、基地をめぐる中心と周縁の関係は、相似形を描いているように思えてならない。
見ないようにしていることを、見えないものにして。
見えないものにしたことを、存在しないものとしてしまう。
厳にそこにあるものなのに、そこにないものになってしまう。
そんな相似形だ。
あるものが、ないものになり、私たちは、それを〈現実〉と呼ぶ。どうも〈現実〉とは、在るものを見ないことらしい。
現実とは、在るものを見ないことであるらしい。
…原発と基地。
表現するということは、世界に参加することだ。現実をひっぺがし、真実を描くことだ。
民話かたりしばいの脚本を書きながら、そんなことを考えている。
昔話を語るということは、いまを相対化して、いまを豊かに生きるために語るのだから。
昔話へのアプローチは、いまを生きるためなのだ。
それにしても悪戦苦闘の毎日だ。わずか数行で2時間なんていうのは、ざらにある毎日なのだ。
けれども、やっと、今日。登場人物の男の子が、生き生きと動きだした。
この作品にふさわしい語りのリズムが現れた…ような気がしている。
明日もがんばって書くぞ。
【釜】
仮面と人形、そして苦闘。
- Date:2011/04/19(火)21:23
新作民話かたりしばい脚本が、少しずつ進んでいる。
だが、苦闘の日々だ。
劇列車の芝居づくりでは、なにがしか仮面を使ってきた。
仮面を全く使わなかった作品は少ない。
旗揚げ作品以来、そうである。
民話かたりしばいでは、現レパートリーの2作品とも仮面を使用し、しかも表現に占める比重は高まっている。
仮面使用は、その舞台効果予想もふくめて、手慣れた表現ツールとなっている。
しかし、今回は人形を使ってみようというのだ。
人形を操作した時の効果は、実際に椅子などを人形に見立てて、確かめながら進んでいる。
でも、本物の人形ではない。また、進む脚本は、人形操作を舞台効果に高めるものになっているか?
初めての人形使用だから、日々苦闘している。
けれども、新しいチャレンジの苦闘なくしては、表現の向上はない。
苦闘から逃げずに、悩み抜こう。
ヘタに安定する時期ではないのだから。
昨年見に行った野外劇団楽市楽座が、ヤポネシア列島のあちこちをまわる旅公演を、今年もスタートさせたそうだ。
昨年見て、とても素晴らしかったゆえに、今年もまた見にいきたいと思っている。
【釜】
日本民謡の特徴その2~ことばのアクセントとメロディライン
- Date:2011/04/19(火)21:19
「日本の民謡の多くは、アクセントの弱い音からうたいだし、第二音になって、ようやくアクセントを強めるということをしている」
■先日、民謡のメロディと日本語のイントネーションの関わりについておもしろい資料を発見しました。
■民謡のメロディが弱い音から始まる、それは日本語のアクセントに深いつながりがあるようです。
■日本民謡が裏拍(アップ・ビート)の弱拍から始まるということは実に徹底しています。
たまに表拍(ダウン・ビート)の強拍からうたいだす曲があれば、それはとくに威勢のいい労働歌や、勇ましい男性的な歌に限られていて、それも強拍の音を低い音程から歌いだす場合が多い。
■ところで、民謡の曲にあわせて踊りを演じることもよく行われます。
踊りの振り付けでは、曲が弱拍ではじまる直前の強拍に相当する個所で、トンと足踏みをすることがあります。
つまり、踊り手がトンと足を蹴るのを合図にして、唄い手がうたいだせば、ちょうど弱拍からうたいだすようになります。
■民謡は永い年月をかけて、大勢の人の口をとおして練り上げられたメロディです。
口々に唄い伝わる中で、日本語の持ち味をそのまま生かし、アクセントのあるところにアクセントをつけてきました。
少しでも不自然なところがあれば、人々はそれを拒否して唄わなくなるか、もしくは訂正を加えます。
だから、日本語の抑揚をありのままに反映したものが、民謡ともいえるのです。
■保存を目的とした民謡の口承も大切です。
ですが、もともと人々の暮らしの中にあった民謡。
時をかけ多くの人々が練り上げたメロディのありようを知り、イマ心地いいメロディを練り直すことも、民謡のステキな一面だと思えます。
【尚】
足元で懸命に
- Date:2011/04/16(土)19:12
今日は、曇り空。
風も、少しひんやり。
だけど、野に咲くたんぽぽは、足元で元気に咲いていました。
さて、今日は、稽古日。
次の公演に向けて、じっくりと稽古しながら、確実に次なるステップへと進んでいます。
5月には、秋月ろまんの道にて公演させていただく機会をいただきました。
野外での上演は、非常に鍛えられます。
公演を観るために集まったのではない人々の目にとまり、足を止めて観ていただけるだけの魅力と技量を持っていなければなりません。
その場に来られた方々に楽しんでいただけるよう、頑張らなければ!
また、来週は、理事会と総会。
書類作成の準備も、進めながら…。
【法】
春おぼろの夕べ
- Date:2011/04/15(金)21:44
なんて素敵な今日の夕べ。
おぼろに霞む山に、葉桜。温かくて冷気がない。心からとろけるような今日の夕べだった。
さて、新作民話かたりしばい脚本執筆が、少しずつ進んでいる。
朝倉方言を多用し、地域語の美しさを醸し出したい。
人工的中央集権言語である『共通語』と地域語のチャンポンが、私たちの日常言語だ。
そのなかで、美しい地域語の脚本への挑戦は、そのまま地域語を劣ったものとするコロニアルな思考に囚われて、地域語を捨ててきた私自身の欠落への挑戦である。
朝倉方言の本をめくる作業は、忘れてきた【意識的に捨ててきた】言葉の再発見作業のひとときとして、苦しくも楽しい時間だ。
美しい地域語で演じられる演劇創造の、ほんの最初の一歩を、今回の台本で歩みたい。
【釜】
地域語範囲の出前劇場
- Date:2011/04/14(木)22:29
NPO定期総会に向けての準備に神経を払う日々。
本日は、ある学童保育所より、夏休み公演の問い合わせあり。
まだ決まった訳でなく、問い合わせの段階だが、秋にも2団体からの問い合わせが来ている。
まだまだ出前劇場を増やしたいので、決して多いわけではない。
だが、うれしいことである。
昨年では、これだけのことも難しかったのだ。
呼んでいただける相手があっての出前劇場だから、様々な皆さんのご好意が、とてもありがたく身に沁みる。
さて、劇列車の出前劇場の守備範囲は、地域語の通用する範囲だと思っている。
車での移動時間に換算すると、およそ片道1時間半の範囲。
そのエリアが劇列車出前劇場の守備範囲だと、漠然とだが考えている。
やや広い地域の中で移動していく出前劇場のイメージは、かつての半職業的神楽団の移動巡業に重ねたイメージだ。
農閑期に神楽団の農民たちが、根拠地の村と同じような村を巡回した巡業のイメージの延長上に、私たちの出前劇場はある。
神楽団巡業は、同じ流派が舞われる範囲で行われいたという。
劇列車出前劇場は、地域語を使用する民話しばいであるため、地域語の範囲で行っていこうと考えている。
そのエリアは、もしかしたら、一つの神楽団巡業エリアと、ほぼ同じ大きさのエリアではないか。
そんなことを思ったりしている。
それにしても、このエリアで地域の奥深くに入る出前劇場をやるには、まだまだ広報もフェイストゥフェイスの関係も足りぬ。
地域に根ざした、地域に責任を持つ出前劇場創造に向けて、頑張ろう!
【釜】
発見!日本民謡の特徴その1~ことばのリズム
- Date:2011/04/12(火)22:51
これからは雨降るたび暖かくなる…とはいえ夜の風はまだ肌寒い。
先日、民謡に関する興味深い資料を図書館で見つけました。
■日本民謡の代表される拍子は、2拍子で構成されています。
ワルツなどに代表される3拍子系で構成される日本の民謡を耳にすることは、ほとんどありません。
―その理由は、日本語の抑揚(イントネーション)に大きく関わっている!というのです。
■たとえば、「みなさん、ごきげんいかがです」と読み上げます。
2拍子のリズムにのせて読み上げると…
「み・な・さ・ん・ご・き・げ・ん・い・か・が・で・す」
2・1・2・1・2・1・2・1・2・1・2・1・2
(※なぜ1の前があるのかについては、のちほど…)
強拍(表拍やダウンビートともいう)は、数字の1の部分。
ことばのアクセントにかない、違和感なく聴きとれます。
3拍子のリズムにのせて読み上げる。
「み・な・さ・ん・ご・き・げ・ん・い・か・が・で・す」
3・1・2・3・1・2・3・1・2・3・1・2・3
同じく1の部分が強拍。違和感だらけです。
英語圏の外国人の日本語がすこし変なのは、リズムが違うからなのです。
英語はワルツのように三拍子がもとです。日本語は二拍子です。ですから相当に日本語の上手な外国人でも、ついリズムが三拍子になるのです。
■3拍子の民謡と言えば、私が真っ先に思い浮かべるのは、朝鮮民謡!
「アリラン」も「トラジ」も3拍子です。
ちなみに中国の民謡は2拍子や4拍子がほとんど。日本の民謡と近い。どうして朝鮮民謡は3拍子が多いのだろうか…興味深い。
話がそれました。元に戻して…
こちらもことばのイントネーションに注目します。
たとえば、「ありがとう」「カムサハムニダ」。
「あ・り・が・と・う」
2・1・2・1・2
2拍子にのせて読むと、違和感ありません。
「カ・ム・サ・ハ・ム・ニ・ダ」
1・2・3・1・2・3・1
3拍子にのせて読むと、違和感ありません。
■民謡の拍子は、その国のことばの持っている、イントネーションからきた自然の結果だと考えると、すんなり納得。おもしろい。
長くなりました。
続きはまたの機会に。
【尚】
新しい年度に佇み。
- Date:2011/04/10(日)21:31
昨年霜月から、ノンストップに走り抜いた日々も一段落。
新年度を迎えて、NPO定期総会準備、いったん途切れた出前公演開拓、新作台本執筆と、次に向けての充電期間に入りました。
それでも、年間20ステージ以上という内部目標に従って、端境期の春も最低月一回以上のステージをこなしたいと、目下努力中。
こなすことで、私たちがこなされる。
もっと、もっと、もっと、こなされて力強いシンプルな表現をつくりあげるのだ。
劇列車の創造は、民俗芸能を参照系として、民衆文化伝統へ、演劇を接続させることに向かいつつある。
劇列車の活動は、文化で地域を耕す文化工作者集団(民衆的文化プロデュースグループ)へ向かいつつある。
端境期の春に、沈思黙考して次を構想し、たゆまぬ精進で表現を鍛えたい。
それにしても、花薫る春がレイチェルカーソンの『沈黙の春』を想起させるのは、深刻な原発事故のせいか?
桜の花が風に吹かれて花吹雪と舞う中、毎早朝に走りつつ、私たちの島国ヤポネシアの未来を想う。
【釜】
下ごしらえ~新作かたり芝居にむけて
- Date:2011/04/09(土)22:53
昨日は、久しぶりに雨が降りました。
カラカラになっていた畑には、恵みの雨となりました。
量は少し足りませんでしたが、それでも久しぶりの雨は嬉しい。
本日は稽古。集まっての稽古は、1週間ぶり。
「水口囃子」のぱわーあっぷをはじめ、現在あるアコースティック楽器で、できることを模索。
野外で行うとき、お客さんを引き寄せる手法に使えそうなものも。
ぜひ試してみたいです(● ̄▽ ̄●)
新作かたり芝居についても、下ごしらえを始めています。
台本を準備することはもちろん、使用する楽曲・民謡についても、調査開始です。
観て頂ける方々に、もっともっと喜んでもらいたい。
超ハードだったスケジュールが少し落ち着いたところで、知識と技能の蓄えを。
【尚】
人をつなぐ。ぴーすきゃんどるナイト
- Date:2011/04/07(木)22:08
3月28日に終了した頓田の森ぴーすきゃんどるナイト。
参加協力していただいた皆様にお礼の電話を差し上げたところ、いろんななことが返ってきました。
運営した私たちは、運営でバタバタしていたので気がつかなかったのですが、参加者の皆さん同士で、ドンドン交流が進んでいました。
そして、交流できたことに感謝されました。
ぴーすきゃんどるナイトは、お金を払って、その対価としての楽しみを得る(消費する)イベントではありません。
地域の悲劇を継承する輪を広げ、あしもとから平和を大切にする輪をつくるイベントです。
人の輪とは、すなわち人と人の出会いのこと。
ともにひとつの時間と空間を共有すること。
ぴーすきゃんどるナイト、多様な出会いが生まれることで、ようやく本来の役割を果たしだしたようです。
まだ四回目。まだまだまだ小さい。
けれども、ステキな場になってきました。
劇列車は、創造団体であると同時に、アートによる地域づくりを担う、地域の文化工作者グループでもあります。
やっと、出会いを造る文化工作者としての役割が果たせるようになりました。
写真は、今日の夜明けの桜。
【釜】
桜満開!秋月フリーライブ
- Date:2011/04/04(月)18:20
チャリティーライブ
- Date:2011/04/03(日)17:17
パラパラと降る雨を心配しながら開催された、秋月での震災チャリティーライブへ参加。
正午から始まりましたが、徐々に、お日様が顔を出してくれました。
秋月には、満開の桜並木を見ようと、多くの観光客が訪れていました。
チャリティーライブが始まると、音楽や歌声に、ふっと足を止めて、会場に設置されてある義援金箱へ募金をする方も。
被災された方々のために、何かできないだろうかと考える気持ちは、誰もが同じです。
どこにいても、何をしていても…。
【法】
ふるさと~東日本大震災
- Date:2011/04/02(土)21:32
東北太平洋沖地震が発生してから3週間が経ちました。
九州では桜が咲いています。
春の心地いい日差しも感じられるようになりましたが、夜になると風はまだ冷たい。
東日本はどのような状態にあるのか、想像するだけでも胸が締め付けられる思いです。
報道されるように、今なお大きな余震(M5近いものもあり、余震と呼んでいいものか分かりませんが…)が続き、福島原発におびえる現状が続いています。
地域(ふるさと)に生き、足下の地域(ふるさと)から土着の文化表現を創造する劇列車。
震災と原発事故によりふるさとを追われた方々へ、あたたかい愛を届けたい。
離れた地にいる私たちにも、できることがないかと模索中です。
明日の秋月フリーライブは、震災のチャリティーライブとして開催されることが決まっています。
まずは、やれることから。
【尚】