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記事一覧

台風一過

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週末は雨、風、台風。
今日は一日中引きこもって、新作民話かたり劇台本作成。
次回稽古日には、御披露目できる。
あとは12月の上演に向けて、書き換えながら完成型をめざす。

やっと、劇団通信の作業にもかかれる。
春号の発行が遅れているから、しゃきしゃき進めたい。

最近、とみに劇列車の創造と活動が、オリジナリティあるものとなってきたようだ。

民話かたり劇を転回点に、ふるさとアジア弧状列島の民俗芸能(暮らしに根ざした芸能)を再発見していく営みをはじめている。

そこから、私たち自身の心の表層にあるコロニアルな感性、都市消費文化に馴染んだ感性をひっぺがし、私たち奥底にある「アジアヤポネシア」を感じとっていっている。

平和とこどもをキーワードにした、コミュニティー創造のための演劇活動に、ちょっびり歩みはじめた。

そんなこんなが、「地域のこどもたちへ九州民話かたり劇を」というアウトリーチ活動へと結実しつつある。

いや、アウトリーチなどと、立派な言葉は使うまい。
「出前」である。

地域への出前を専門にした、地域の小さなお店のように、出前していくのだ。
みんなと共有できる夢を紡ぎながら。

写真は、現在再稽古中の大分民話かたり劇で使う手作り仮面なり。

【釜】

「秋月語りのまつり」募集

台風2号が近づいています。

今日もあいにくの雨。

公共施設を借りて行う稽古。

稽古で使う道具は、毎回、各々の車に乗せて持ち寄っているため、雨が降っていると、荷物を運ぶだけで一苦労です。

さて、稽古が終わってからは、10月「秋月語りのまつり」への出演者募集のチラシを置かせていただきに回りました。

初めた時は小さかった朗読会も、回を重ねる毎に、出演者もジャンルも、だんだんと広がってきました。

様々に活動されている実演者どうしの交流の場としても!

朗読、語り、紙芝居、影絵などどで活躍している方、そして、ミュージシャンの方も同時募集☆

ゆったり流れる秋月時間を楽しむひとときです。

【法】

かたり劇も劇なり

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1月に初演して、3月に台本改定した大分民話かたり劇。

4月に再稽古に入って、まだ稽古中なり。

わずか15分の作品に、週2回の稽古を投入している。

まだまだなのだ。
15分間、子どもたちと大人を楽しませるには。

表現者として、厳しい自己修練を積むこと。このことに終わりはない。

その上に立った稽古で、あと半月で仕上げるつもりだ。

写真は、水の張られて田んぼ。
蛙の声がかしましい。
【釜】

コトバ~方言

新作民話かたり芝居に向け、遠賀川流域の民謡を調べています。
先日、民謡のメロディとコトバは一体であることをブログに書きました。
今日は、コトバの中でも方言、とりわけ九州地方の方言のルーツについて書きたいと思います。

--------

日本の方言は、まず大きく二つに分けることができます。
ここで「西日本」と「東日本」と思われた方も多いことでしょう。
私もまずそう考えてしまいました(笑)
ですが、その分類の前にまず、「内地方言」と「沖縄方言(琉球方言)」の二つに分かれます。
それほどまでに、内地方言と沖縄方言(琉球方言)は異なっています。

そして、内地方言はさらに三つの区分に分かれるという説が定説になっています。
「東日本」、「西日本」、そして「九州」の三つ。

九州方言は、全体として日本語の古い形が残っているとされています。
三百年ほど前には標準の言葉であったものが、その後他の地方の言葉の変化とは離れて停滞を続けたため、今日見られる九州方言の形になったといわれています。
例えば、ひと昔前まで「ジェット機」を「ゼット機」と書いたりすることは、珍しくありませんでした。
これは、今でこそ九州特有の方言とバカにされますが、「セ・ゼ」を「シェ・ジェ」と発音することは、中世には全国的にあったこと。
「カ(ka)」音と「クヮ(kwa)」音の区別も、同様です。

・「失くす」を「うしなう」
・「綺麗だ」を「うつくしか」
・「~のようだ」を「~のごたる(如ある)」
上記例のように、古来の文語に残っている表現も多く聞かれ、今では九州らしい特徴となっています。

久留米の山沿いの町に生まれ、生まれた地に育った私は、“恥ずかしながら”方言まみれです。特にこの地方の訛りは、共通語へ“矯正”しにくいと蔑まれます。

方言は、“恥ずかしい”ことなのでしょうか。
“矯正”しなくてはいけないことなのでしょうか。
そうではないと思います。

誰にでも通用する“共通語”を操ることができることは、素敵なことだと思います。
ですが、方言と優劣をつけるのは、なんだか的外れに思えてなりません。

大まかに九州方言について書きました(^^)
更に詳しく分析したいのですが、それはまた別の機会に。

【尚】

夏至も近づき

蛙の合唱。田には水が張られて、もうすぐ夏。
昨日は早朝に狸と鉢合わせ。

地球の回転を全身で感じて、夏の息吹きを深く呼吸して、歩んでいきましょう。

さて、冬の定期公演用新作脚本、とりあえず最後まで書き上げました。

初稿とするには、もう少し練りたい。
手をつけてから、かれこれ2ヶ月。
わずか30分の芝居に、これほどの時間をかけたのははじめて。

さあ、ストレッチで体のほぐしが終わったら、また少し脚本に手を入れましょう。

働きながらの活動ですから、疲れと睡魔との闘いの毎日です。

【釜】

過去を読み替え、未来を構想する

昨日の続きです。

一つの社会(システム)が、どうにもこうにもならぬくらい行き詰まった時、人間は過去にあったものを読み替え、新しい理念と社会を構想した。

例えば、古代ギリシアローマの古典文化を読み替え、ルネサンスを生み出したように。
例えば、「民族」という19世紀ヨーロッパの概念を読み替えて、20世紀のアジアアフリカの民族解放運動が起きたように。

いま、私たちは、コミュニティーが解体した後の裸の個人が、むき出しの競争原理にさらされて生きる時代を生きている。

ものの価値が貨幣価値に換算されて表現され、貨幣を生む賃金労働が「しごと」の地位を独占する社会を生きている。

不安な個人は、依ってたつコミュニティーと、人生を創造するしごとを喪失しているため、根無し草のように、この競争原理社会と都市の消費生活に漂っている。
生きることの意味を、消費に求めて、漂っている。

そんな私たちの社会は、決定的に行き詰まったようだ。

知れば知るほど、原発をめぐる問題は、根深い。原発は発電方法ではなく、原発社会システムである。

米軍基地は、基地問題ではなく、基地社会システムである。

原発依存を変えることは、基地を撤去することは、強固に構築されたシステムの変更につながることなのだ。

私たちの大衆社会に、原発と基地のシステムが組み込まれているがゆえに、(大衆社会が原発と基地社会システムを生み出したゆえに)、私たちは、原発と基地を見なかったことにする。あるのに、まるでないもののようにふるまう。
見ると、私たちの暮らしを成り立たせている社会システムの、無機質な残虐さが、見えるからだ。

そんな中で、こんな社会システムから脱却を図る人々は、やはり過去を読み替えて、未来を構想してきた。

原発システムに対抗して、過去の遺物である風車から風力発電を。基地に対抗して、豊かな海や森のある生活を。

そして、そこには競争原理と貨幣価値社会によって解体されてきたコミュニティーが、新しい形で形成されているように思う。

いまの私たちに必要なのは、裸の個人として生きるのでなく、新しいコミュニティーの創造であるように思う。
賃金労働を「しごと」の王者から引きずりおろし、社会に有用な使用価値を生み出す「しごと」を、つくりだしていくことだと思う。

言い替えたい。
社会に有用な使用価値を生む「しごと」を軸にした、新しいコミュニティーの創造。

これが必要なのだと思う。

産直運動、さまざまなNPOやNGOの誕生、脱原発や脱基地の様々な運動。
これらに流れる地下水流は、こんなところにあるのではないか。

長々と書いたが、いま、演劇も問われていると思うのだ。
演劇に内在するコミュニティーを結ぶ力を、新しいコミュニティー創造の流れに合流させていくこと。

人に喜んでもらえる社会的使用価値の創造をめざして、直接に貨幣価値の獲得を目的としないこと。

フクシマ後の社会の変化は、地下水のように流れてきた、社会システム変更につながる人々の動きを、より太く、大きな流れにしていくだろうと思う。

いや、そうなるように願っているし、私もそのために努力したい。
(一方でフクシマ後の変化を、国家主義という古い共同幻想概念に向けて、私たちを統合しようとする動きがみえる。)

劇列車は、前にも書いたように、演劇界のどこの流れから出てきたわけでもない。

だから、このように書いてきた未来への流れの中にいる。
(気がついたら、流れの一滴だった)
意図したわけではなく、いつの間にかそうなっていた。

劇列車の課題は、社会的使用価値を生むしごとをして、そこに新しいコミュニティー創造を試みることであるだろう。

そこに自覚的に、そこに効果的な事業を計画し、実行していくこと。

私たち劇列車の構想力が試されていくだろう。

おもしろく魅力的な活動で、素敵な事業をつくりだしたい。

【釜】

筑豊。エネルギー革命以前の幻影

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今日の午後、あることを考えて、筑豊飯塚を見て回った。

筑豊は石炭の都だった。

黒ダイヤ。逞しき炭鉱マンたち。炭住長屋の喧騒。

そこには、農村離脱第一世代の、働く者のコミュニティーがあった。

実は、私は、飯塚で生まれた。
村で食いはぐれた農家の長男と、大分の神楽の里から流れてきた、孤児の娘が、流れ労働者も懐に入れ込む、寛容な、貪欲な筑豊の炭鉱で出会った。

私は、その二人の息子である。
私の中に流れる「民衆性」の原点である。

かつて、谷川雁や上野英信は、筑豊の炭住長屋の路地裏コミュニティーに、変革のエネルギーと可能性をみた。

だが、1980年代に私が20歳代の頃、私のルーツを確かめるために、筑豊をそついていた頃と違って、炭鉱地帯の趣は、もはやない。

ボタ山も樹木に覆われ、あれがボタの山であったことを、何人が知っていようか。

炭住長屋も、ほとんど姿を消し、鯰田地域の一部に、その面影を留めるのみ。

今の筑豊の景観は、炭鉱地帯の景観では、もはやない。

あの強い絆で結ばれた、炭住長屋コミュニティーも消えた。

どうりで、軽薄な消費都市で、消費される演劇ばかりが、さかんになるはずだ。

コミュニティーを結び直す芸能の持つ力を発揮したくとも、コミュニティー自体が崩壊しているのだから。

演劇は、消費される効率悪き、やっかいで楽しくない娯楽へ成り下がったのであろうか。
こんどの博覧会で、しっかり確かめていきたい。

初体験

今日は1日カラッとした良い天気。

どんより空で、雷が鳴ったり、ヒョウが降って大荒れだった昨日の天気が嘘のようです。

さて今日は、大衆芸能を観に、久留米民会館へ向かいます。

いつかはみたい!と思ってはいましたが、なかなか観る機会がありませんでした。

初めて触れる世界に、ウキウキと緊張が入り混じりながらも、しっかりと楽しみたいと思います。

【法子】

千円のうれしさ

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15日日曜日、秋月の着て民祭で、野外上演させていただいた時の話だ。

上演させていただいたのは、「そばと山姥」15分。
全く野外での大道芸的な上演で、無料だ。
見ていただけるだけで、ありがたい。
路傍での上演は、とても鍛えられる。
だから、楽しくてたまらない。

だが今日は、そういうことを言いたいのではない。

上演が終わって、見知らぬ方から「珍しいものを見せていただいたお礼に」と言って、千円札を渡されたことについて書きたい。

いまでこそ、少しはましになったと思うが、私たちは、とても下手であった。上演するごとに、顔をしかめられてきたものだ。
(今だって上手いわけではない)

人を楽しませたいのに、顔をしかめられる。こんな辛いことはなかった。

だから何年も、石にかじりつくようにして、精進してきた。

「ごめんなさい、次はもっと楽しませることができるようにがんばりますから、許してください」と、いつも心の中で謝ってきた。
精進で自分たちを支え、恥ずかしながら上演してきたのだった。
だから、今も精進を欠かさない。

今やっていることは、そんな日々の積み重ねの上にある。

秋月でいただいた一枚の千円札。

私たちのやることに、顔をしかめられてきた日々を振り返ると、万感の思いがこみ上げる。

人から見れば、たった一人の方から、お札一枚いただいただけのこと。

けれども私たちには、とてもありがたい、かけがえのない千円である。

千円札で現されたお気持ちをいただけるくらいには、人様のお役に立てることができるようになったのだから。

さあ、また明日も、元気にがんばろう!!

【釜】

着て民祭におじゃま

本日は、晴天!
昼間の日差しは、痛いほどの暑い天気でした。

さて、今日は秋月にある、アジア雑貨店「ろまんの道」で開催されている、「着て民祭」に、民話かたり芝居を持っておじゃまいたしました。

上演後

「着て民祭」は、世界中からの観光客の方々をはじめ、多くの観光客で大賑わいでした(*^o^*)
そんな中で、上演をさせて頂く機会を下さった、「ろまんの道」オーナー鹿田夫妻に感謝です!

また、企鵝一座の粗忽家企鵝さん、遠方よりお越しいただき、ありがとうございましたm(*_ _)m

今回初めて行うお囃子の曲もありました。
普段の稽古は室内で行っているため、音が響き、上手に演奏できているように感じます。
野外での上演は、音が響かない分自分たちの実力がよくわかるため、とっても鍛えられます。

平太鼓に締め太鼓にパーランクにチャンチキに神楽笛。
お囃子もまだまだがんばりますよ~p(*^^*)q

【尚】

世界は奥深くで、動きはじめている

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沖縄の辺野古、高江。瀬戸内の祝島。福島。
…遅ればせながらだが、ここ一年ほど注目してきた場所、ここ2ヶ月、注目してきた場所。

ネット時代とは便利なもので、ブログなどを通じて、現地の様子を現地の声で、瞬時に知ることができる。

特に知り合いがいるわけではない。
何か、私が特別に行動しているわけでもない。

けれども、注目してきて考えることは、辺野古から福島までの最大公約数的な共通項に、暮らしと歴史、文化、共同体を守り抜こうという意志があることだ。

これはイデオロギーではない。
あえていうなら、積み重ねてきた、かけがえのない大切な、手触りある世界を守ろうとする「保守主義」であろうか。

福島第一原発事故で露呈したことは、巨大技術と結びついた政=財=官界の「原子力村」が、手触りある世界の価値観とは異質の成長神話にのって、原子力依存社会をつくりあげたことである。

そして、事故を過小評価しつつ、原子力依存社会の延命を図っていることである。

沖縄からの発信でわかってきたことは、はじめに日米同盟ありきの政=官界が、現地の声ではなく、海のかなたのアメリカ、ホワイトハウスに忠実である姿である。

そんなことは、敏感な市民の皆さんに言わせると、もう何年も前から、わかっていたということだろう。

だが、ヤポネシア列島のあちこちで〈辺野古から福島まで〉、粘り強く、かけがえのない小さき世界を守ろうと、孤軍奮闘している人々の手によって、広く知られるようになってきたと思う。

また、福島第一原発事故以後は、留まることなき勢いで、知られつつあるように思う。

原発事故以降、ヤポネシア電脳列島社会が、何か変わりはじめているようだ。

成長、とまることなき進歩、競争、都市、消費。
近代と国民国家、市民社会への疑問が広がりつつある。

伝統と地域、共同体、歴史、固有の文化、使用価値を生む生産が、見直されはじめている。
たいへん図式化した言い方で申し訳ないのだが…。

かけがえなきものを守ろうとする「保守主義」、よいではないか。

劇列車活動は、見方によれば、バラバラな個人社会となった地域を、文化と歴史のアプローチから、かけがえなき協同社会へと、再創造しようとしている活動なのだ。

もう、その一歩を踏み出している。
だがその一歩は、千里の道を歩む蟻の一歩だ。

そして、劇列車のような射角で、さまざまに活動する個人や団体が、さまざまなジャンルで、さまざまに生まれていることが、だんだんわかってきた。

社会の奥深くで、マイノリティだが、なにかが、確実に動きはじめている。
繰り返すが、福島第一原発事故以降、強く感じている。
【釜】

劇列車というしごと

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哲学者内山節さんの著作を読むと、しごとという概念のとらえ直しがされている。

近代(資本主義)社会は、しごとといわれるものの範囲を、貨幣を生み出す賃労働とした。
その結果、社会的有用性を生み出すしごとは、趣味とか家事とか道楽と呼ばれるようになり、しごととみなされなくなったというのである。

けれども、有用価値(有形無形の使用価値)を生み出す労働を、本来しごとと呼んできたというのである。

山で山菜をとりに遊ぶも、しごと。
村の寄り合いも、しごと。祭りもしごと。
土着の芸能を演じ、田の神や山の神に奉じるもしごと。

しごとのある部分が、貨幣報酬を生み出すこともあるし、そうならない場合もある。
たまたま貨幣報酬を生んだ場合を、「稼ぎ」と呼んで、しごとと区別したというのである。

そして、「稼ぎ」よりしごとを上位に置いていたというのである。
しごとは、使用価値を生み出すことによって、人と人のつながりを紡ぐわけだから、貨幣を生むより上等だというわけだ。

内山氏は主張する。
賃労働のみをしごととする以前の伝統的しごと観を、新しい視点で読み直すことで、貨幣でつながる現代社会を、相対化できるのではないかと。

人に役立つ使用価値を生むしごとを通じて、人と人のつながり方が変わり、貨幣中心企業中心社会から、人間中心社会へ変わるのではないかと。

こんな観点でみると、劇列車活動はしごとである。
むしろ堂々と、私たちはしごとをしているのだと主張してよいではないか、と思った次第。

さて、今日も台本書きだ。一行一行、刻むように書いている。

【釜】

芸能と人間

雨が降りません。日差しは強く、土はカラカラです。
今晩から、少し雨が降るもよう。しっかり降るといいのですが。

さて、神楽に関心が高い劇列車。
今年度の劇団研修も、神楽を見に行こうと計画中。

神楽という芸能の質も関心が高いのですが、神楽という“芸能”に対する地域人の姿勢にも関心が高いのです。
集落に芸能があることで、地域人の人間関係が結びなおされ、線の太い人間関係が紡ぎだされてきました。
その点で見ると、確かに芸能は、あくまで手段でしかありえません。
ですが、芸能の質が高いほど、身内の集落だけでなく、まわりの集落にまで、人間関係の紡ぎ合い効果が及びます。
そのためには、芸能の質を高めたくなるほど、集落において、芸能が大事にされていないといけません。
芸能の場に居合わせた者にとって、芸能を行う者たちの姿勢や考え方は、不思議と見えてしまうものです。

だからこそ、演じ手はそのことを肝に銘じておかなければ。
そんなことを考えながら、日々の精進に暮れています。

小さな白い花

【尚】

広がる出前公演

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だんだんと夏が近づき、木も花も、もりもりと空へ向かって伸びています。

さて、今週は、総会へ出席が難しかった維持会員の皆さまへ、総会の資料を郵送したり、税関係の書類を記入したりと、2010年度分の事務作業の終わりが見えてきました。

法人としての登記や申告などは、年に一度のこと。

だからこそ、ひとつの区切りとなるこの時期は、前年を振り返り、次なるステップへと進むために、より思考を巡らせます。

明日は、稽古。

活動の軸となる出前公演も、新しく広がっています!

【法】

劇列車の強さと夢想

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今日は仕事の休みを2時間いただいて、NPO登記変更のために、法務局へ。
登記変更は、毎年恒例の手続きですが、まだなれません。

年一度、所管の役所関係に提出する書類準備をしていると、劇列車という団体が、私たちの団体であって、同時に公共性ある団体であることを実感します。

公共性とは、みんなに開かれ、みんなにとって必要なこと。それが公共性。

劇列車は、演劇のどの流れかから出てきた団体ではありません。
なんらかの師弟関係から現れたわけではありません。

ですから、演劇の世界では、弱小劇団どころか、視野にも入れていただいてなかった団体です(と思っています。この自己評価は、あながち間違っていないと思います。)

だから、全く自立して独立独歩で歩んできました。
つまり、認知されざる団体として、大いなる弱みを抱えてきた団体なのです。

しかし、登記変更で考えたのですが…。

そんな団体が、正会員の拠出する会費の4倍のお金で活動するまでに、自力で成長してきました。

これが、劇列車の強みです。演劇関係の視野外に咲く野草。

野草だから、肥料が無くても、愛でてくれる人がいなくても、咲くことができてきた。
自力でより大きな花をつけることができるようになってきた。

さて、正会員会費の4倍のお金(活動資金)は、フェイストゥフェイスの関係で集まってきたお金です。

劇列車活動を通じてつながった、人と人の関係から生まれてきたお金、浄財です。

つまり財政規模が大きくなった、ということは、活動に寄せられる好意と信頼、共感が、大きくなったということであるのです。

私たちの自力とは、劇列車に寄せられてきた、みなさんの好意と支援の賜物です。

そんなみなさんの好意の集合が、正会員規模では到達できない、大き力を生んでいます。

みんなとともに夢を語り、共有し、活動を紡ぐ劇列車へ。

ともに夢を語り紡ぐ、大きなネットワークへ。

一年に一度の登記で、そんなことを考えました。

「地域.子ども.平和」をキーワードに。

正会員と維持会員、そしてみんなの夢を紡ぐ団体へ。
劇列車を成長させていきたいものです。
【釜】

野の花満開!

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きんぽうげ、シロツメグサ、レンゲ、人知れず咲く野の花が満開だ。
桜のような華やかさはないが、素朴に美しい。

さて、最近台本のことばかり書いているが、今日やっと山頂にたどり着いた。
台本のゴールまで来たのだ!

山頂に登る山道の形は、回想スタイルだった。
それも複式夢幻能のスタイル。

現世を生きる旅人が、いわくありげな人物に会う。すると、その人物は、過去に死した人物であり、亡霊に戻って、過去の悲しみを述べる…。そして成仏していく…。
それが複式夢幻能のスタイルだ。

このスタイルで、ピッタリと!物語がはまった。

どうりで、この物語に仮面が似合う、と直感したはずだ。
なんとか本格的な鬼面が欲しい。費用がかかっても。

山頂までたどり着いたが、一人しか登れないか細き道を、太く確かなものに広げていかねばならない。

小学校低学年の子どもたちにとっても、心に届く物語に仕上げなければならない。

この新作民話劇は、今年冬の定期公演で初演して、来年には、子どもたちへの出前公演主力作品にするつもりだ。

練って練って、練りあげる。いまから。

けれども、夢幻能スタイルで山頂に登れたのだから、台本製作プロセスの7合目までは来た。
一安心だ。

さて、民話は昔話ばかりとは限らない。
現代でも生成しつつあると聞く。
ネット上でもだ。
ネットで生成している現代の民話を、ネットロアというらしい。

このことも、近々触れてみたい。
劇列車も、そのうち現代民話(フォークロア)に挑戦してみたい。

子どもたちに、学校の怪談話を届ける…、なんて結構ステキじゃないか。
個人的には、次に実現したいと密かに目論んでいる、楽しみな企画なのだ。

「劇列車出前劇場、学校の怪談」なんて、面白いと思っている。

【釜】

憲法の誕生日に冷える心

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新作民話劇台本に悩む日々。
心が晴れない。
他のことをしていても、頭の隅に台本のことがこびりついて離れない。

私たちの集団は、役者を自由自在に集めることが出来るグループではない。
人数をやりくりしながら、表現と公演を重ねているグループだ。
物語が変わっても、演じる人数を大きく変えることが難しい。

だから、物語が変われば、物語がバシッとおさまるスタイル〈形〉が変わるのだ。

今回は、そのスタイルの発見に苦労している。

山頂をめざすルートを、いろいろ変えてみている状態だ。

それはさておき、今日は、いまの日本国の形を決めている憲法の記念日だ。

64年前の今日。平和の国であろうと宣言した憲法が生まれた。

よりによって、そんな今日の日の朝。
新聞を手にとってみると、パキスタンにて9,11テロ容疑者殺害のニュース。

私は決してテロに賛同しない。
けれども、殺害を祝福する米国国民のテレビ映像に、心が冷えた。

テロに対する対テロ戦争暴力の成功を喜ぶ心のあり方が、私にはわからない。
(もちろん、映像で紹介された以外の米国国民の反応も、あることと思うが…)

これは、テロの暴力と対テロの暴力行使。
ここから生まれるのは平和ではなく、憎しみの連鎖ではなかろうか。

平和な島国を創るはずだった憲法の誕生日のニュースに、心が冷えた。

台本のことで晴れない心が、いっそう重くなった。

大切なことは、世界経済の心臓を攻撃したテロは、世界経済の足の裏から放たれたことを考えることではなかろうか。

足の裏は、体の全体重を支えて土にまみれ、決して陽の目をみない。
そこから、テロが放たれてきたのではなかったか。

平和は、戦争がない状態というだけではない。
暴力を生む土壌を耕し、豊かにすることでもあるだろう。

かつて戦争と暴力に活路を見いだした島国が一面の焼け野原になり、平和な国づくりで世界に貢献することを誓ったこの国。

振り返ると、何かが違う道を歩んできたこの国。

だが、私はかつて平和を誓った国に住む住民として、今日のニュースを考える。

【釜】

新しい出会へ向け精進

昨日、春夏のイベント情報を更新いたしました。
8月に、とすでに3ヵ所お声かけ下さり、嬉しい限りです。

日々の稽古にも、いつも以上に力が入ります。
新しい出会いに胸躍らせるとともに、もっともっと精進せねばと感じます。

まずは、5月15日(日)、ろまんの道「着てみん祭」にて。
今回は、新しいお囃子にも挑戦します。
がんばるぞ~!

【尚】