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記事一覧

虫の音、しきり。

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一昨日の新聞記事の話だ。
3.11を敗戦の日と位置づけていた。
上手いことを言うものだ。
たしかに、経済成長と企業社会を価値として歩んできた日本社会が、痛烈な敗戦を被った日である。

3.11後の福岡の演劇関係者の、あるブログは忘れない。
それを読んで以来、彼が自己批判を発表をしない限り、彼の主張は、一切信じないことにしている。

彼は、東北を応援するために、西日本の人間は、頑張って消費に精を出すべき…云々の主張を展開していた。

今、はっきりと批判しておく。その価値観が敗戦したのだと。
また、自己批判なきならば、今後一切、彼の発言は、信用しない。もっとも、私が信用しなくても、痛くも痒くもなかろうが、宣言しておくことは、大事なことだ。

それは、演劇的力のあるなしではない。
人としての価値観が、私には到底許せないと云うだけのことだ。


さて、今日帰宅すると、秋11月の紙芝居講座の案内が届いていた。

一度講座に参加させていただいただけのご縁で、年賀状はいただくは、新しい講座のご案内はいただくは、ありがたいことだ。
こんなご縁は、大切にしたい。
写真は、語りのまつりをおこなう秋月だ。
詳細後日だが、皆様お越しいただければ、とても嬉しいです。

【釜】

多くの力に支えられ

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先日、お二人の方が維持会員になって下さいました!
山口守圀先生と、鹿田義弘さんです。
NPO劇列車の正会員は、20名となりました。
すでにご支援頂いているみなさま、新しく会員になって下さったお二人さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします(*^_^*)

実働部隊は少人数ですが、少人数でもどうやこや活動できていますのは、本当に多くの方々に力を分けていただいているからだと感じます。
自前イベントしかり、出前劇場しかり、定期公演しかり。

今年の定期公演のチラシは、森山佐知子さんデザイン!
昨年「注文の多い料理店」でご一緒させて頂きました、劇団鍋風呂の女優さんです(*^O^*)
裏面は劇列車メンバーこがのりこ作!
みなさま、どうぞお楽しみに!

【尚】

「秋月語りのまつり」チラシ完成

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もうすぐ8月も終わり。

気温は、まだまだ夏の暑さが残っていますが、空には秋の気配が…。

さて、12月の定期公演へ向けた太平伝の本格的な稽古も始まりました。同時に「秋月語りのまつり」の準備も進行中。

本日チラシが出来上がり、明日以降は、久留米市内、そして開催場所のろまんの道がある朝倉市内を中心に、置きチラシ行動へまわります。

もし、「秋月語りのまつり」の黄色なチラシを見かけましたら、手にとって見ていただけると嬉しいです!

さてさて、次回は、9月3日荒木学童保育所お楽しみ会へ向けた稽古も行います。

昨年に引き続き、お声をかけていただきました。

子どもたちと一緒に、楽しい時間を創れるように、頑張ります。

【法】

「民主と愛国」を読む

「民主と愛国」とは、小熊英二氏の戦後思想に対する評論集だ。

私が呼吸してきた戦後日本と、戦後思想について、客観的な眼差しを持って見ることができる。そんな本だ。

最近ブログで、30歳代くらいの小劇場演劇人について、批判めいたことを書いたりするが、その批判の核心は、彼らに思想がないことである。

いや、思想がないわけではない。彼らが時代思潮として浴びたであろう、ネオリベラリズムの思想の刻印が、はっきりしている。
(私がブログなりで読ませていただく範囲でのことです。アンテナにかかってないところに、優れた思想を展開する演劇人がいるかもしれません。…いて欲しいものです)

自らに刻印されたネオリベの思想すら、客観的に相対化できない演劇実践。
そのことに、無思想性という言葉を投げつけているのだ。

いま、ネオリベ=グローバリズムと、アンチネオ=アンチグローバリズムが、せめぎ合う時代だ。
自らがネオリベの主張をしていることを気づきもせずに、なんで現代を描けるというのだ。

「民主と愛国」を読むと、私が演劇をつうじて言ってきたことは、1970年代に現れ、1980年代に日本を覆った高度消費社会化でこけた、一連の思想群から生まれていることがわかる。

うら若きころの、未熟な思索と実践だったが、80年代に入って都市の豊かさと快楽の愉悦のなかで、突き詰められることなくコケていった。

だが、いまはフクシマの時代だ。
豊かさの愉悦が、フクシマとつながっていることが、広くはっきりとしてきた。
コケて顧みられなくなっていた70年代以前の思想群が光っている。

いいではないか。
不発に終わった70年代思想と演劇実践が、ここからまた再開されるのかもしれない。

【釜】

太平伝、本格的に。

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12月定期公演新作「太平伝」が、昨日の稽古で、本格的に稽古をはじめた。

30分の民話かたり芝居に、8万円の道具費用と、3ヶ月の稽古を注ぐ。
「たんぼこたん」と組み合わせて、来年出前公演の主力作品に仕上げていくつもりだ。
道具にかかる費用は、出前公演で回収していく算段だ。

昨夜、17日出前公演のビデオ記録を見たが、見て良かった。

自分たちの当面課題が、しっかりわかったから、稽古に生かしていく。

「自分たち」という集団の課題、「自分」という個人の課題。
しっかりクリアーしていこう。

それが「太平伝」の仕上がりにも、大きく影響を与えるはずなのだ。

毎日の精進は、薄皮一枚をめくる前進のためのもの。
怠らない精進で薄皮一枚しかめくれないのだが、精進しなければ、その一枚さえめくれはせぬ。

稽古というのは、正直に結果を出すものだ。

写真は中津江への差し入れ行動の時のもの。暑い中にも、秋が忍び寄ってきた。

【釜】

光風会病院で夏祭り

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今日は、光風会病院で夏祭り。
劇列車メンバーは、フランクフルトとジュースの販売で参加しました!
お手伝い頂いた馬場園さん、準備をなさってあった杉尾さん、西村さん、そして病院のみなさま、お世話になりました。ありがとうございました(*^_^*)

写真は販売のようす。
あっという間の楽しい2時間でした!

【尚】

8月のヤマを越えて

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8月に予定されていた4回の出前公演と、1イベントを終了した。20日のバザー出店を除けば一段落だ。

次の9月は、2回の出前公演だけなので、ホッと一息だ。

そこで、懸案の10月イベント「秋月語りのまつり」の準備に入った。
今年は、合わせて9つの団体個人の参加となる。
始めた時は、劇列車のみで「風の音朗読会」と呼んでいた。
観客は20名くらい。少しずつだが、環が広がってきている。
昨年は、7つの団体個人で、70名の参加者だった。
ムリな動員はしていないのに、少しずつ増えていく。
リピーターも多い。
今年は、もう少し増やしたいものだ。

ステージも、屋内と屋外に二つ造りたい。

「都市に演劇が生まれる」と言われてきた。
福岡で盛んな小劇場演劇が、田舎を意識しているかというと、ほぼ意識の枠外にあるだろう。
都市小劇場演劇なんぞは、都市消費者の比較的リッチな低年齢層娯楽以上には、なっていないのだ。

田舎で、ゆったりとした企画を、人の環を広げよう。

お互いのパフォーマンスを楽しみあう、老若男女の集う「地域の語りのまつり」を、みんなの手で造りたい。

そんな夢と人のつながりが、次の時代の扉をちょっぴりこじ開けるのではないか?

楽しみを個人の楽しみにミクロ化して、そのミーイズムな楽しみを享受するために、極めて排外的態度に終始してきた都市消費娯楽。エンターテイメント娯楽。

そんなモノは、ポイッと投げ捨て、人とともに在ること、空の下に生き、風に吹かれる楽しさを、人と一緒に楽しもう。

語りのまつり、準備始動だ。

【釜】

高良内校区学童保育所へ

今日は、久留米市高良内校区学童保育所へ、昨年に引き続き、おじゃまさせていただきました。

呼んでいただいた先生方、本当に、色々とありがとうございます。

今日は、「たんぽこたん」と「ソバと山姥」にお囃子やエイサーを組み合わせた「九州民話かたり芝居」を上演しました。

私は、芝居中にお面をつけていることが多いので、なかなか子どもたちの表情を見ることができません。

ですが、笑い声が聞こえてきたり、山姥が出てきたときに「後ろにおるよ?!」と教えてくれたりすると、子どもたちが集中して観てくれてることがひしひしと伝わってきます。

何より、子どもたちにとって楽しい時間となってくれていたら、幸いです。

そして、もっともっと良質なお芝居を子どもたちに届けられるように、精進いたします。

そして、ビデオ撮影をしてくださった馬場園さん、お手伝いありがとうございました。

3人が全員出演者となってしまうため、なかなか写真や映像がないのでありがたいです。

次回、出店でおじゃまする、光風会病院での夏祭りでは、またお世話になります。

【法】

久留米市宮の陣学童保育所におじゃま

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今日は、久留米市の宮の陣校区学童保育所に、「九州民話かたり芝居」でおじゃま。

「たんぽこたん」と「ソバと山姥」の組み合わせに、お囃子やエイサーを付け加えて、楽しい50分を過ごすことができました。

受け入れにお世話いただいた皆様に、厚くお礼申し上げます。
ことに笠先生、いろいろとありがとうございました。
子どもたちに、よき時間を保障できたのであれば幸いです。

演劇をする者にとって、子どもたちは「手段」であってはなりません。
「手段」とは、自分たちの演劇活動にとって利用する存在であること。
そうであってはならない、と思います。
子どもは「目的」なのです。

子どもたちの「必要」と「要求」から、鑑賞を提供する創造団体は、その活動を考えるべきです。

私たちの未熟なところは、毎回の舞台で真剣に克服していきましょう。

さあ、明日も学童保育所出前公演です。
がんばろう!

【釜】

手作り脚本集にコツコツ

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お盆の間、九州民話かたり芝居の脚本集づくりに取り組んだ。
まだ作業は、始まったばかり。

「ソバと山姥」「たんぽこたん」「太平伝」の脚本を、手作り脚本集にしようというわけだ。

脚本を印刷して綴じただけでは、脚本集にする意味は半減する。

「民話かたりを創る」という論考も入れる。
それは、民話とは何かから始まって、地域語と共通語、民話再創造の考え方、語りと語り劇など、民話かたりで、私たちが試行錯誤してきたことについて、まとまった短い論考にするつもりだ。

また三本の民話かたり芝居脚本については、作品ガイドと、民話が生まれた土地ガイド、上演ガイドをつけるつもりで考えている。

つまり、手作り脚本集は、民話かたりの広がりを創ることに寄与する内容にしたいのだ。

発行は12月の定期公演にあわせて。
10月の「語りのまつり」に間に合うとよいのだが、それは難しいようだ。

販売価格は、350円から400円で。

一冊一冊手作りだが、中身は、グッと詰まっているつもりです。

【釜】

記憶しなおす

先日は、ぴーすきゃんどるナイトくるめにご参加頂いたみなさま、また、ご協力頂いたみなさま、本当にありがとうございました。
お話しして下さった方々、参加された方々の想いを聞きながら、戦争に対する想い・これからの平和について考える想いが、また新たに芽生えます。
きっとこれが、「記憶しなおす」ということだと感じます。

さて、世間はお盆休みに入りました。
仕事をしながら活動を続ける劇列車メンバー。
お盆休みはたまった事務作業を一気に片付けることができる絶好の機会です!

お盆明けには、宮の陣、高良内の学童保育所のみなさまにお会いできることを楽しみに、まずは溜まった作業をお片づけです(^^)

【尚】

月夜のぴーすきゃんどるナイト

ぴーすきゃんどるナイトくるめ、無事終わりました。

参加者約40名。
戦争体験の継承が困難な中、広報が足りない中、よくお集まりいただきました。

久留米空襲の日に集い、記憶を新たにするおしゃべりと、キャンドルのつどい。

とっても月がきれい。
小頭町公園のキャンドルが、月に照らされて、美しいつどいでした。

誰もが対等で、思いを持った誰でもが発言し、みんなで耳を傾ける。
ステキな会ができましたことに、ご協力いただいた皆様に、厚くお礼申し上げます。

また来年、8月11日につどいましょう!

【釜】

明日!ぴーすきゃんどるナイト

明日は久留米空襲の日。
劇列車と有志の会で主催する「ぴーすきゃんどるナイトくるめ」の日です。

記憶は忘れていくもの。
だから、繰り返し呼びもどし、心に刻むことが大切なのです。
平和のために。

■場所は、久留米市金丸校区コミュニティーセンター【金丸小学校横】

■19時から、20時半まで。
参加費無料。

どうぞ、奮ってご参加ください。

【釜】

たんぽこたんの里

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大分民話「たんぽこたん」の生まれた里は、豊後大野市三重町伏野だ。

昨日は、現地に行って写真を撮ってきた。
秋には、劇列車の九州民話かたり芝居の作品3本を一冊にして、脚本集をつくろうという魂胆なのだ。
九州民話と民話がたりの魅力を広めるために。

手作り脚本集にするつもりなので、粗末なものだ。だから、どうしても写真が欲しい。
一日がかりの行程となった。

じつは、たんぽこたんの生まれた里は、私の母のふるさとでもある。

幼くして父母を亡くした四人姉妹が、身を寄せ合って暮らした里だ。

母は成人の頃、石炭で沸いていた筑豊に流れていった。

筑豊の炭坑労働者たちの原基は、食いはぐれた流民たちであった。

田舎を出奔し、追い出された流民たちは、筑豊の炭坑住宅街に、流民のコミュニティーを形成したのだった。

おばあたちが、腰巻き一枚でそつくアジア的な炭住で、流民たちは、助け合って暮らし、神輿を作り、祭りをはじめた。炭坑住宅街を、出奔したふるさとに似た新しいムラに作っていったのだ。

今は消えてしまった、そんな炭住街を、私は懐かしく思い出す。
お金はないが、紙芝居屋が路地を回り、子どもたちに、紙芝居を見せていたあの頃を懐かしく思い出す。
5円のお金が払えない子も、水あめはもらえないが、後ろで見て楽しめた。
優しい無名の民の芸能だった。

私は、そんな炭坑地帯で生まれた。
流民の子である。

さて、たんぽこたんの里から、流民の町炭坑地帯に流れた母は、里との行き来が絶えていった。

母の姉妹も、鉄の町北九州に流れたため、父母のいないふるさととの行き来は、自然となくなっていったのだった。

だから、たんぽこたんの里は、私にとって懐かしい里でありながら、記憶のほとんど欠落した里でもある。

たんぽこたんの民話と出会った時、その民話が生まれた里が、行き来も途絶えた母の里だとは、思いもしなかった。

だが、たんぽこたん民話との偶然の出会いは、見えない糸で引かれた出会いだったのだと思う。

話はズレたが、私の民話再創造は、自分はどこから来たのか、どこへ行くのかを振り返る心の旅の部分がある。

私の由来と行く末を、複数形で「私たち」としたものが、民話かたり芝居であるのだ。

そんなことを思った昨日だった。
写真はたんぽこたんの里だが、ピントが甘い。
ご容赦!
【釜】

くるめは、8月11日

まだまだ暑い日が続きます。
子どもたちは夏休み真っ最中。

昨日は、やまばと児童館へおじゃまいたしました。
10月に開催される、児童館フェスタについてお話を伺いました。
また、当日ご一緒させて頂く企鵝一座さんも、ハードスケジュールの中同席して下さいました。
やまばと児童館のみなさま、企鵝一座さん、よろしくお願いいたします。

さて、66年前のこの時期、毎日のように空襲があっていました。
1日に、多数の場所で、毎日のように。
私の住む地域・筑後平野も、例外なく空襲をうけています。

久留米は、8月11日。
これからの戦争体験継承のあり方を問う、「ぴーすきゃんどるナイトくるめ」を開催いたします。
場所は、金丸小学校となりの、金丸校区コミュニティセンターにて。
参加無料、どなたでも参加できます。
みなさま、どうぞお越しください。

【尚】

お骨折りいただいた皆様に感謝!

本日、秋月小学校と大宰府市人権講座ひまわりでの、「シイの木」公演無事終わりました。

まだまだ、作品の奥行きと精神性をあげていきたい、と気持ちを新たにしています。

それにつけても、人の心の真心に触れた1日でした。

秋月での公演で、暑い中、舞台仕込みばらしを手伝っていただいた「ろまんの道」の鹿田さん。

大宰府市の隣保館での仕込みばらしを手伝っていただいた皆様と、受け入れにご尽力いただいた平嶋さん。

ほんとうに、ありがとうございました。

精一杯のことはしたつもりですが、まだまだ未熟な部分は、これからも精進に心を配ることで、お許しいただければ、うれしく思います。

それにしても、お世話いただいた方々と、見ていただいた皆様の温かい心に、私ども劇列車が励まされた1日でした。

また明日も、頑張ろう!

【釜】

夏風さやさや

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気持ちよい夏風吹き抜ける夕べ。

いまから、明日の出前公演に向けたラスト稽古だ。
8月は、明日を皮切りに、ぴーすきゃんどるナイトくるめ、学童保育所に2公演が続く。

仕事の合間をぬっての出前公演だが、いつもペースを崩すことなく頑張りたい。

さあ、明日は7時半から舞台道具を車に乗せて、仕込みばらし、また仕込みばらしと続く。

体力温存しつつ、夏の公演を楽しもう。
お客様方と、素敵な時間をつくろう。

【釜】

衣装もリメイク。

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8月5日の「シイの木」公演が、迫ってきた。

土地の記憶の声を聞くスタイルへ、リメイクしてきた「シイの木」だが、衣装もリメイクした。

5日は、午前に朝倉市秋月小学校。夜に大宰府市の人権講座へ。
明日は、搬出の準備なり。
久しぶりに、大型スピーカーが活躍する。
(小学校体育館用だ)

私たちの心が朝鮮海峡を超えるリメイクまでは、まだ手をつけていないが、土地の記憶の物語としては、なかなかよい感じになった。
リメイク版が、皆様の心に届くように、全力を尽くそう。

【釜】

8月と戦争

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8月がやってきた。
言わずもがなであるが、日本が敗戦した月であり、マスメディアも毎年恒例のように、特集記事(番組)を組む。

そういえば、私たちもNHK第一テレビの番組で、15分ほど紹介していただいたことがあった。ありがたいことだ。

さて、兵士であった以外の日本国民にとって、戦争は「空襲」であり「欠乏」であったという。戦争体験は、そんな被害体験として語られてきた。
私が父母から聞いて育った体験談も、そうであった。

その結果、被害体験に一面化した記憶は、多くの場合、「あの時はあんなに大変だった」という苦労話で終わったともいえる。

だから、戦争責任問題の国民的議論も広がらなかった。
戦争をくぐり抜けた世代がそうであれば、戦後世代が「戦後責任」を考えなかったからといって責められまい。

「戦後責任」とは、戦後世代には戦争を起こした責任はないが、戦争を記憶し、非戦社会をつくる責任があるという考え方である。

こんな考え方は、固くて古いとして、大衆次元では1980年代にコケていったように記憶している。

変わって、高度消費社会に適合したモノが、もてはやされるようになったとも記憶している。

だが時代は反転した。
90年代になって急に、日本国と日本国民が、忘れてしまったはずの「戦争」が立ち上がってきたのだった。
立ち上げたのは、アジアの民衆だった。

従軍慰安婦の国家賠償問題などを筆頭に、次々とアジアから「忘れるな!」という異議申し立てがあげられたのだった。

その時、もはや日本国民の多数派は、アジアからの異議申し立てを受けとめる能力を喪失していたと思う。

そこから、幾多の歴史認識問題や外交問題が発生した。

さて、私たちは「土地に埋め込まれた悲劇」の声を聞き取って、朗読劇にしてきた。
だから、空襲のお話を昔の苦労話として取り上げてきたつもりはない。

土地に堆積して埋もれた声を聞いて、イタコの役割を果たしてきただけなのだ。

ただ、これだけは考えてきたつもりだ。
土地の声を聞くことは、地域発見の心の旅であるとともに、戦後責任の実践なのだと。

名もなき一つの泉も、地下水脈で広大につながっている。
イタコとしての、戦後責任実践としての私たちの朗読劇は、頓田の森から、被爆児童張萬相くんを通じて、朝鮮海峡を渡る心の旅でもあるのだ。

それが、アジアの人々と食い違ってきた「戦争体験」のすり合わせの一滴になれば、こんなにうれしいことはない。

また、それが出来るだけの力を、まだまだ蓄えよう。
まだまだ足りない。

8月に、そんなことを思うのだ。

【釜】