Calendar

<< 2011/8  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

記事一覧

たんぽこたんの里

2011.08.08 (月)

ファイル 570-1.jpg

大分民話「たんぽこたん」の生まれた里は、豊後大野市三重町伏野だ。

昨日は、現地に行って写真を撮ってきた。
秋には、劇列車の九州民話かたり芝居の作品3本を一冊にして、脚本集をつくろうという魂胆なのだ。
九州民話と民話がたりの魅力を広めるために。

手作り脚本集にするつもりなので、粗末なものだ。だから、どうしても写真が欲しい。
一日がかりの行程となった。

じつは、たんぽこたんの生まれた里は、私の母のふるさとでもある。

幼くして父母を亡くした四人姉妹が、身を寄せ合って暮らした里だ。

母は成人の頃、石炭で沸いていた筑豊に流れていった。

筑豊の炭坑労働者たちの原基は、食いはぐれた流民たちであった。

田舎を出奔し、追い出された流民たちは、筑豊の炭坑住宅街に、流民のコミュニティーを形成したのだった。

おばあたちが、腰巻き一枚でそつくアジア的な炭住で、流民たちは、助け合って暮らし、神輿を作り、祭りをはじめた。炭坑住宅街を、出奔したふるさとに似た新しいムラに作っていったのだ。

今は消えてしまった、そんな炭住街を、私は懐かしく思い出す。
お金はないが、紙芝居屋が路地を回り、子どもたちに、紙芝居を見せていたあの頃を懐かしく思い出す。
5円のお金が払えない子も、水あめはもらえないが、後ろで見て楽しめた。
優しい無名の民の芸能だった。

私は、そんな炭坑地帯で生まれた。
流民の子である。

さて、たんぽこたんの里から、流民の町炭坑地帯に流れた母は、里との行き来が絶えていった。

母の姉妹も、鉄の町北九州に流れたため、父母のいないふるさととの行き来は、自然となくなっていったのだった。

だから、たんぽこたんの里は、私にとって懐かしい里でありながら、記憶のほとんど欠落した里でもある。

たんぽこたんの民話と出会った時、その民話が生まれた里が、行き来も途絶えた母の里だとは、思いもしなかった。

だが、たんぽこたん民話との偶然の出会いは、見えない糸で引かれた出会いだったのだと思う。

話はズレたが、私の民話再創造は、自分はどこから来たのか、どこへ行くのかを振り返る心の旅の部分がある。

私の由来と行く末を、複数形で「私たち」としたものが、民話かたり芝居であるのだ。

そんなことを思った昨日だった。
写真はたんぽこたんの里だが、ピントが甘い。
ご容赦!
【釜】