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民話の断絶は社会の文化継承の断

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今回の定期公演の集客の難しさには、深い問題が横たわっていると思われる。

民話という民衆民俗文化が、じつはいまの子どもの親世代には、継承されてないのではないか。

民俗文化という民衆の自前文化が、世代間継承が途切れて、継承されていないのではないか、と思われるのだ。

これは世代論に還元する問題ではなく、日本社会の奥深くに横たわっている問題のようだ。

マスメディアが、文化を文化資本として貨幣価値に換算し、文化を支配する力が強まってきたのが、1980年代以降だ。

それ以前は、高度経済成長で村コミュニティーが崩れはじめたりしていても、まだまだ民俗文化は命脈を保っていたように思う。
民話にしろ、家庭での親子の会話をつなぐもの、手作りの娯楽として生きていた記憶がある。

1980年代に資本主義が情報資本主義化していった時から、家庭での民俗文化継承も、カウンターカルチャーもコケていったと思うのだ。
文化は文化資本となり、一見多様化し華やかになっていったが、文化産業が生み出し、お金を払って購入するものに、一元化していった。
ハーバーマスのいうところの「生活世界の植民地化」と同じである。
手作りの多様化な生活が、企業の手で生産されたものを購入して成り立つ生活へと変質していったことを、「生活世界の植民地化」という。
文化も、文化産業の作りだすものの一元支配が強まり、手作り文化(民衆の民俗文化)や、カウンターカルチャーは駆逐されていった。

これが、自前文化の衰退と継承断絶を生んだと思うのだ。

今の親世代は、この時代と社会の中で育った世代だ。

民話がアンテナにかからないのは、ムリはない。民話は、学校での読み聞かせや紙芝居で味わった「学校文化」として感知されるのだろう。

私たちの民話芝居への、見事な無反応ぶりには、こんな巨大な問題が横たわっているのだろう。

「民話芝居を、できるだけお金を介在させずに、親子で地域で楽しもう」という、私たちの目論見は、エイリアン的な、またはアナクロ的な妄執に見えるのだろう。
ヘタクソというだけでなく、こんな問題にぶつかっているのだろう。

けれども…時代と社会に負けてたまるか!

【釜】

満天の星、徒手空拳で挑む

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朝のジョギングが、満天の星の下での走りになってきた。
西に沈むオリオン。天の頂にしし座。
冬至も近い。

定期公演も近い。
お客様の集客状態は、良くない。
二年前の定期公演を、彷彿とさせるお客様の入りの悪さだ。

ヘタくその烙印が押されてきた劇列車のコアチーム。
ヘタくその烙印が押されても、自分を追い込みきれないチーム。
それが劇列車だったので、コアチームによる定期公演に、期待がないのはムリはない。

歯ぎしりあるのみだ。

けれども、今やもはや、劇列車の稽古場は怒号が飛び交う。
劇を演じる楽しさなど、くそくらえなのだ。

お客様を楽しませてこそ、なんぼなのだ。
「お客様を楽しませるためには、自分たちが楽しんで」などというオタメゴカシは、もう劇列車には通用しない。

「お客様が楽しむためには、死ぬほど苦しめよ」という稽古しか存在しない。

稽古を楽しむなどという根性は、張り倒す。

ヘタくそならば、死ぬ気で稽古する。
そこに妥協はない。

歯ぎしりして歩んできた全てを、今度の定期公演で叩きだすのだ。

それがいまの劇列車だ。
今まで受けてきた屈辱と羞恥と、苦いものばかり飲み込んできた苦しみと悲しみと、張り裂けんばかりの心を、稽古に叩き込む。

格好をつけたりはせぬ。
劇列車は、剥き出しのありのままを晒して、1ミリずつ、崖をよじ登る。
気を抜いたら、登ってきた崖の底まで落下する。
爪をはがしても、よじ登ってきた崖にしがみつき、1ミリずつよじ登る。

【釜】

濃厚なひととき

窓の外から見える柿の木も、だいぶ葉が落ちてきました。

昨日は一日中定期公演へ向けた稽古。
その後は、朝倉フェスオープニング企画「子ども寄席」を見に行きました。
寄席の入門という趣旨で、わかりやすく面白いプログラム内容でした。
出囃子に落語に曲芸に紙切りに…もりだくさんの1時間45分!
1,000円の入場料とは思えないほど濃厚なひとときでした(*^0^*)
12月のFOLKSTORY芝居LIVEも、濃厚なひとときにしたいです(*^_^*)

さて、本日は久しぶりに事務作業に専念できました。
定期公演準備はもちろん、来年へ向けた準備も着々と進んでいます。
誰もが自己肯定できるような暖かい地域社会を目指し、邁進あるのみです!

【尚】

着々と。

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冬到来。

一昨日の朝は、車のフロントガラスが霜で凍っていました。

明日はもっと寒くなるそう。

インフルエンザも流行る季節です。

公演へ向けて、健康管理も十分に気をつけなければ…。

さて昨日は、定期公演へ向けた1日稽古を行いました。

音響を手伝っていただく馬場園さんも参加しての稽古。

初の音合わせとなりました。

残り15日。

秋月での特別公演へ向けた広報も行いながら、稽古も広報も、いよいよ大詰めです。

写真は、新作「太平伝」の小道具の狐面。

【法】

朝倉宣伝はじまる

定期公演の親子券、ファックスでの申し込みが、少しずつですが、続いています。

これが手売り範囲を超えた、確かな動きにつながっていくことを願うのですが。

採算を取りたい訳ではありません。
手打ち公演は、そもそもから赤字覚悟。
公演が、ちゃんとした出会いの場になることに、汗を流して努力しているわけです。

ちゃんとした出会いの場とは、顔見知りの範囲を超えて、公演にいろんな方が足を運んでいただける場のこと。
その場を、知り合いの友情や義理を超えて(それも大切ですが)、公演そのものを楽しみに足を運ぶ方々と、私たちで一緒に創る時間にすること。

そのためには、制作で汗を流し、知恵を絞り、大胆に行動する。
作品創造に、キリキリと邁進する。

さて、12月17日土曜日には、朝倉の秋月で、定期公演番外編です。
番外編といっても、朝倉での出会いを創る大切な公演なのです。

そちらの動きも、始まりました。
そちらにも、どうぞお越しください。

それにしても、たくさんの人にお世話になりながら、歩んでいる。

今回お世話になっている皆様、本当にありがとうございます。

まだまだ、本番に向けて頑張ります。

【釜】

民の芸能の豊かさ

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昨日は雨、今日はまた一段と寒くなりました。
12月初演の新作太平伝も、いよいよ稽古大詰めです(^_^)

クライマックスのシーン、劇中歌など、いい感じになってきています!
みなさまどうぞお楽しみに(*^_^*)

さてさて、定期公演の準備もさながら、来年度事業の準備も徐々に進めています。
3名で実務をこなすなか、締め切りを間違えないように、連絡をする時期を間違えないように、手帳とにらめっこ。
気が抜けません。

今日の夜間も新作稽古の日。
今を生きる子どもたちに、大人たちに、民の芸能の豊かさを楽しんでもらえるよう、試行錯誤です!

【尚】

あっちへこっちへ宣伝行動へ

昨日、今日と、久留米市内の学童保育所に宣伝行動へ周りました。

第13回定期公演の案内を各家庭へ配っていただくためですが、まだまだ、ほんの一部。

公演初日まで、残り20日!

一人でも多くの方に足を運んでいただけるよう、私たちも足を使って、顔と顔を合わせながら、宣伝していきます。

さて、明日は、久留米市荒木町の文化祭へおじゃまします。

今日はあいにくの雨でしたが、明日は晴れることを祈って…。

初めて来た司会の依頼ですが、楽しい時間を皆さんと創れるように、一生懸命頑張ります♪

【法】

うれしい一報

風邪具合の悪化を食い止めつつ、毎日定期公演制作行動を行っている。

今年の定期公演制作目標は、制作に手をつけない日がないようにすることだ。

一週間なんか、あっという間だ。
仕事をしながらの稽古創造と制作行動は、いつも自覚的でなければ、日にちだけがイタズラに過ぎてゆく。

さて、広範囲に広報している「こども無料、親子500円」の宣伝取り組みで、今日はじめての申し込みファックスが入った!

この取り組みは、もちろん採算を度外視したものだ。
私たちの毎月の積み立てと、公演収入で赤字を補う企画だ。
助成金もいただいていない。

なけなしをはたく企画なのだ。
みんなのために。

でも、自腹を切ってなけなしをはたいて「こどもの体験を、お金のあるなしで格差をつけない」企画に、全く無反応しか返ってこなければ、こんなに悲しいことはない。

熱いメッセージが、100%空回りなら、私たちのやっていることは、何なのだ?ということになる。

自力で歩む私たちは、いつも賭けてなければ、次の一歩が出ないのだ。

さて、そういうことで、今日の予約依頼第一報ファックス、とっても嬉しい。手応えのはじまりなのだ。


もっともっと広げよう。
明日も、こどもと親子のための制作行動、頑張るぞ!

【釜】

こどもに集まってもらうのも、運動

劇列車は、子どもと親子を軸とした公演活動を、主力としてきている。
これは、もちろん大人を考えてないわけではない。
演劇活動と地域づくりとのリンクを、このような部分で考えているわけだ。
この点ではまだまだ、スタートラインから走り出したばかりだ。

今回の定期公演では、小学生以下の子どもは無料だ。
また親子は、4人までを500円で入っていただく。
演劇公演の場が、こどもが集まる広場になることが、大切なのだと思う。

こどもの鑑賞体験が、地域のおとなの手で、きちんと保障されることが大切なのだと思う。

こどもの鑑賞体験を保障すると言えるくらいの作品を創ることも、大切だ。

だが広報しなければ、このような企画も、オジャンとなる。

だから広報は、子どもと親子に届く場所を選び、広範囲に大胆に。
同時にフェイストゥフェイスで、趣旨を伝えていくことも大切だ。
要するに、汗をかくことなのだ。

こどもと親子の場所を創る運動と思い定めて、頑張っていこう!!
【釜】

対面から作品づくり

稽古のようす

定期公演まで、1ヵ月をきりました。
制作行動や、作品づくりも、大詰めです。

制作行動は、公演案内チラシをもち、顔を合わせに回ります。
対面することで、さまざまな方々の反応を直接に感じ、その体験を作品づくりに反映します。

写真は、稽古のようす。
奥に見えるパネルが、いい感じです(*^0^*)

さて、今日は久留米市民劇団ほとめき倶楽部の出前公演。
三井学童保育所にて、2作品を上演いたしました(*^_^*)
参加されたみなさま、スタッフのみなさま、お疲れ様でした!

【尚】

マナビィランドへ参加!

今日は、初参加となったマナビィランドの特設ステージで、お囃子やエイサー、そして語り芝居「ソバと山姥」をさせていただきました。

大人も子どもも、親子でも楽しめるコーナーが、い〜っぱいのマナビィランド!

会場に着いてからは、ワクワク感と緊張感が入り混じって、4階まで吹き抜けのエントランスに仮設されたステージでは、会場全体の空気が、ガンガン伝わってきました。

そんなお祭りの雰囲気を感じながら、会場の皆様にも、ちょっとでも楽しんでいただけていたら、幸いです。

また、共演者の皆様、スタッフの皆様、本当に、お疲れ様でした!

【法】

天は冬の星

気がつくと、天は冬の星空だ。
定期公演が近づいてきた。

自分に甘えて演劇してはならん。
世間に甘えて演劇をしてはならん。
肝に命じて、毎日を歩いていこう。
しっかりと歩む。

暮らしに表現の土台を据えて、そこからエネルギーをとる。
劇列車の創造の土台だ。
民話に題材をとっていても、やはりそうなのだ。
暮らしから逃避するのではなく、暮らしに向き合う。
表現を、キリキリと、突き詰める。
まだまだ未熟だ。

制作はしっかりと。
毎日少しずつしか出来ないのだから、少しずつを確実にやっていく。

少しずつ、少しずつだ。

今日は小道具も作る。電話もしなければ。
手を抜かずに歩むことで、はじめて公演は成り立つのだから。

これで食べているプロには、なかなかかなわん。
どだい基礎づくりや稽古にあてられる時間とお金が、極めて限定的なのだ。

だからこそ、わずかの時間を大切に。
通勤の時間を使って、出来る稽古をする。
そんな毎日から生まれる表現を磨く。
暮らしから生まれて磨き抜いた表現で、僅かでも未来を切り開く。

その未来は、人がつながり、誰もが笑顔で暮らせる未来。
重荷を背負った人々が、その重荷に押しつぶされなくてすむ未来。
そうして、子どもがフツーに大切にされる未来だ。

【釜】

30分の新作

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今、進行中の新作太平伝は、30分の芝居だ。
立派なホールで上演することなどないだろう。

体育館や集会所や、場合によっては野外を想定した小作品だ。

それにいくらの資金投入をしているか。
神楽面と種子島銃と箕だけで、軽く大枚五枚か。
劇列車的には、莫大な大金を投入した。
回収に失敗すれば、ただちに財政逼迫に結びつく。
劇列車は、どがつく貧乏世帯なのだ(笑い)貧乏神とは仲良しだ。千円の買い物に悩みながら、しっかりと自力で歩いている。

たかが30分、されど30分である。
役者2名、演奏1名で30分プレイする。
ボランティア価格ながら、胸を張って僅かなりの謝金をいただくまで、何年かかったか。
一念発起して、逃げ場なく役者をやろうと心に決めて、8年目。
作演出片手間の役者というアマチュアが、40歳代後半に、無謀な役者精進を始めて、8年。

やっと、30分を持たせることができるようになってきたか。

こんな無謀なチャレンジは、自分のことだけ考えて出来るものではない。

世のため人のためと、気がついたら、周りからはまるで変人と見られ。まるで仙人のように無欲になり(笑い)

おかげで、無欲になればなるほど、人のエゴが発散する臭いには、人一倍敏感になってきた。
お金の心配で、胸が潰れそうになっても、世のため人のために役立つことならば、元気に活動できるのだ。
(もっとも、私たちのすることに、『世のため人のため』と理解していただけない方々もたくさんいるが…)
消費社会と都市の薄っぺらさも、身に染みてわかってきた。
消費は心を貧しくする。

そんなこんなの太平伝初演まで、あと1ヶ月だ。
失うものは失って、それでも続けた時に、人の笑顔を見られることが嬉しくなった。
たくさんの人に助けられた。

長い年月をかけて、やっと、次のステップが始まりそうだ。
役者2人、音楽演奏1人で、それなりのものをお見せします。
どうぞ、お越しください。

写真は稽古場の大道具。
【釜】

FOLKSTORY芝居LIVEまで、1ヵ月!

昨日、今日は、定期公演へ向けた稽古と、制作活動!

稽古内容は、抜き稽古からシーンごとの通し稽古へと移りつつあります。
そこまでに苦悩もありつつ、つまづきもありつつ。
ちょっとづつ、稽古場がわくわくする空気になってきています(*^0^*)
こりゃあ音楽効果音担当も気合が入ります!p(^0^)q

制作活動は、郵便物の発送作業。
劇団通信30号と、定期公演チラシなどを同封。
みなさまのお手元に届くようすを楽しみに、もくもくと作業!

自宅に戻ってからは、友人知人にチラシの発送作業。
これも、3時間かけてようやく一段落。
封筒詰めしながら、メールのやり取りをしながら、励まされます。

さあ、定期公演まで残り1ヵ月!
作品づくりも、制作行動も、がんばるぞー!

【尚】

大道具作り

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今日のお昼からは、「太平伝」で使う大道具、パネル作り。

昨日の雨が嘘のように晴天で、作業もはかどりました。

花札のデザインを参考にしながら、あ〜でもない、こ〜でもないと試行錯誤しながら作成。

写真は、パネルの片面です。

写真では伝わりにくく残念ですが、枝はフェルト生地の布、そして葉は造花を貼り付け、質感や艶やかさが際立ちました。

【法】

こどもの機会均等

最近、繰り返し書いているが、こどもの文化体験の機会均等が大切だ。

もちろん学校での体験は、みなが平等だ。
だが、学校は万能ではない。地域や家庭の営みが、大切なのだ。

こどもの地域での文化体験を、情操教育お塾にしてはならないし、ましてや、プロダクション入りの踏み台や、プロダクション所属子役の発表機会の場にしてもなるまい。

かつて紙芝居屋のおじさんが、路地で五円という小遣いを出せば、平等に紙芝居を見せたような場が必要なのだ。

私が小さなこどもであった頃の五円は、いまの五十円くらいだろうか。

そんな場を作りだせないか。
「地域のおとなが創る良質の舞台を、あらゆる層のこどもが楽しめる」「こどものお小遣い範囲の参加費で、良質の文化体験ができる」…そんな場を作りだせないか。

中央のグループの「地方」巡業をありがたがるのは、やめよう。
そもそも、私たちのかけがえない土地を、「地方」という十把一絡げの言葉で括る精神を、ありがたがることをやめよう。

「中央」をありがたがる精神、「中央」文化を物差しに、我が土地をみる心性は、植民地人の心性そのものだ。

この土地のおとなが、この土地のこどものために、良質の舞台を創る。
これを性急に排外主義とみる考えは、抜きがたく我が身に「中央」を内面化した精神の生み落としたものだろう。

私たちは、地域のおとなが、こどものために良質の舞台を創ることをめざす。

難しい道だが、劇列車の道は定まりつつある。
結成から10年かけて、定まりつつある。

たくさんの恥をかいてきた。
たくさん酷評されてきた。
褒められた記憶は、あまりない。

それでも、歩む。
いや、恥をかいても酷評されても歩んできたから、これからも歩めるのだ。
ヘタなのに、誰も望んでないのに公演を打ち、恥をかいてきた。
だから、据わってきた肝っ玉というものがある。
だから歩めるのだ。

【釜】