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記事一覧

雨雪交じりの空

昨夜は雨雪交じりの空。我が家は積雪。
今朝のジョギングは、ジュクジュクの積雪を踏みしめながらの走りでした。
いつもの場所には、大きなひずめの足跡が点々と。あれは、何の足跡なのでしょう?


もうすぐ、3.11一周年。地震津波、いまも続く原発事故。
私たちは、もうそれ以前に戻ることはないのでしょうね。

今年3.11に開催される日本列島各地の脱原発集会。久留米でも初開催されるそうです。「さよなら原発、久留米集会」。六角堂広場で午前から午後にかけてロングラン開催。パレードもあるそうです。

皆様、よかったらお越しください。社会的弱者を原発労働者として被爆させ、田舎を札束で屈服させて危険を押し付け、未来世代に今のエネルギー消費のツケをまわす「犠牲のシステム」原発。
原発に依存しない社会をめざすことは、社会的弱者や田舎、未来世代である子どもたちが大切にされる社会をめざすことなのだ、と思います。

ということで、劇列車もエイサーメドレーで出演します。
とっても楽しみにしています!

追伸‥ぺんぎんさん、ブログにコメントありがとうございます。
また、新聞記事も郵送いただいて感謝しております。
なぜか、私の携帯コメントが入らないようで、この場を借りてお礼申し上げます。
【釜】

文化フェス、2日目。

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本日は、朝倉市杷木町で開催されている子ども文化フェスティバル、2日目。
演劇体験ワークショップの講師を務めさせていただきました(*^o^*)

2日目は、三味線や料理教室など、1日目にはなかった体験教室が様々に行われていました!

…ですが、1日目も2日目も、参加当初から「おしばい」体験を希望する子どもはゼロ。
他の体験教室が終わった後に、子どもたちを集めて、おしばいワークショップを開催しました。

この2日間で、「演劇」体験(体を使って自分を表現する体験)は、「やってみたい!」という気持ちになるための、ハードルが高いんだなぁと改めて痛切に思いました。
演劇に関心が高くない子どもたちに対し、演劇の入口の敷居をどう低くすることができるのか。
アプローチ方法の模索が必要です。

子ども文化フェスティバルの片付けまで終えた後は、ほとめき倶楽部本公演の稽古へ。

子ども文化フェスティバル関係者のみなさま、2日間、お世話になりました。
大きな、けれどもとっても大事な課題がみえた、今年の子ども文化フェスティバルでした。

【尚】

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ぺんぎん (02/27 23:49) 編集・削除

「やってみたい!」という気持ちになるための、ハードルが高い....

もしかすると、「うまくできなかったときに、友だちや先生からどう思われるか、親から叱られるのではないか」という不安が「やってみたい!」という素直な気持ちを押さえつけているのかもしれません。

また、「目立つ」ことに対するねたみや斜めに見る態度もあるでしょう。

「うまくできなかった」子や「目立つ」子に対して、悪気はないにしても見る側の子どもは時折残酷な反応をすることがあります。自分が「見る側」だったらそう反応するだろう、ということを知っているからこそ、「見られる側」になることが怖いのではないでしょうか。


「演劇の入口の敷居をどう低くすることができるか」

唯一の正解があれば、先人がすでに教科書に書いておられることでしょうから、いつの時代でも模索の連続なのかもしれません。しかし、模索し続ける意義は大きいと思います。

子ども文化フェスティバル

今日から2日間、朝倉市杷木の女性センターにて開催されている「子ども文化フェスティバル」☆

おしばい・人形劇・和太鼓・三味線・お花・日本舞踊・お茶・お琴・竹細工・陶芸・短歌と、様々な文化を体験することのできる場です。

劇列車は、昨年に引き続き、参加させていただいています。

元々は、地元住民の方々が講師になり、子どもたちに文化を体験する場をつくったのが始まりのフェスティバル。

体験して、終わったあとの達成感に溢れる子どもたちの笑顔は、未来へつなぐ大切な宝物です。

そのような場に、参加させていただけることを、本当に感謝いたします。

そして、明日は2日目。
どんな子どもたちに出会えるのか、楽しみです(^-^)

【法】

ぴーすきゃんどるナイト、動き急

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頓田の森ぴーすきゃんどるナイト、動きが急速展開しています。

今年5回目を迎える頓田の森ぴーすきゃんどるナイト。

一年目は初回ということで、50人。二年目は20人。
それでも続けてきて、3年目4年目は40人。
今年は「舞台アート工房劇列車と市民の会」で開催です。

新しく、朝倉市平和事業で活躍されている方の朗読を迎えました。輪も広がりつつあります。

本日、大刀洗平和祈念館より電話がありました。

私たちがきゃんどるナイトを開催している3月27日に、大刀洗平和祈念館でも、きゃんどるナイトを開催したいとのこと。

私たちは頓田の森の悲劇はカバーしていますが、大刀洗空襲全体の犠牲をカバーしているわけではありません。
ですから、同じ日の同じ時刻に、同じ空襲犠牲者を記憶し追悼するきゃんどるナイトが、同時多発で開催されることは、とってもステキなことです。

戦争体験継承は、避けては通れない大事なことです。
継承困難が進み、無関心の壁も厚くなるばかりの時代に、大刀洗空襲だけは、ますます継承が盛んです。
なんて!珍しいことでしょう!

そこに、様々な市民の手弁当の継承努力があったことを、しっかり心に刻み込みましょう。
それが朝倉の地に、何がしかの継承文化を生み出しているのだ、と思います。

本日、「頓田の森で5年続けていらっしゃったので」というお気遣いをいただいて、小さな私たちのグループに、きゃんどるナイト同時開催のお電話をいただいた大刀洗平和祈念館の皆様。
お気遣いありがとうございました。
大刀洗空襲の記憶を市民が刻むぴーすきゃんどるナイト。
大刀洗平和祈念館の企画のご成功をお祈りいたします。

また、私たちもステキなきゃんどるナイトをつくるために、がんばります!

【釜】

コメント一覧

ぺんぎん (02/24 23:23) 編集・削除

偶然だろうか...今日の西日本新聞朝刊の投書欄に、太刀洗空襲を体験した方が悲しみの記憶を絞り出すように書いておられました。

犠牲者の数だけを見れば、東京大空襲や広島・長崎の原爆とは大きな違いがありますが、その影に隠れて「身近な戦争体験」は風化しやすいと思います。

日本の子どもたちにとって「戦争体験」は修学旅行で長崎や鹿児島・知覧や沖縄に行って学ぶだけのものではなく、

自分たちのおじいちゃんやおばあちゃんが、今自分たちが遊んでいるこの町で、この山で、この海でも体験したことなんだと感じることこそ大切だと思います。


今日、偶然投書欄を見てこちらのブログに飛んできましたが、偶然とは、時に必然でもあると痛感しました。

アリランの稽古

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いま、アリランを歌おうと稽古している。

平和行脚公演「シイの木はよみがえった」では、最後をアリランで締めくくろうと思うのだ。

頓田の森で生き延びたコリアン少年を想い、歌で朝鮮対馬海峡を越えようと思うのだ。

恥ずかしながらのボーカルレッスン通いも、はや7年。少しは人並みに歌えるようになってきたから、出来るチャレンジだ。

私が歌いたい歌は、劇中でどうしても歌いたい歌だけだ。「願い」の歌は、7年かけて稽古してきた。膨大な時間をかけて、ひたすら歌う稽古をした。若くない年齢での不得意分野の稽古は、一念の持続が大事だ。だからその一曲を歌うために、毎日レッスンを続けたが、さすがにそれだけ時間をかけると、少しはマシになるものだ。
普通の人は、一曲を歌うために7年もかけることを笑うだろう。
諦めろというだろう。けれども、歌わなくてはならなかったのだ。私の心は。
どんなに下手であっても。

私の中で、アリランとはそんな歌だ。
「願い」の時ほど、膨大な時間はかからないだろう。

それを人は「上達」というのだろう。

【釜】

コミュニティーの再生考

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週末土曜日は、久留米市内公民館への「九州民話かたりしばい」巡回公演。そして日曜日は、劇団通信31号発行作業でした。


さて、最近、小学校校区や公民館エリアという、市民生活の単位コミュニティーの維持が、難しくなっているらしい。

私たちは、かつての伝統的コミュニティーの持った芸能の力に着目しています。
しかし、昔のコミュニティーを、昔の形で復活させようというわけではありません。
それは、そもそも無理な話です。
芸能の持つ力を、こどもを軸として、こどもと大人、大人と大人の絆を結いなおすのに、活用しようとしているわけなのです。

そのために、かつての「無形共有財産」であった民話に着目をしているわけです。

ところが、現実は私たちの予想以上に、コミュニティーの劣化と崩壊が進んでいるらしい。

世話をする人が少なくなった、こども会に入るこどもが少なくなった。
地域の催しはお年寄りで担われて、青年や壮年がいなくなった。
などなど…。
一部の巨大都市や、「過疎地」だけでなく、普通に、そんな事態が広がっているようなのです。

コミュニティーが解体しても、財力がある市民は社会サービスを購入することができます。
では、サービスを購入することができない市民は、どうなっていくのでしょう…。
たぶん、静かに、けれども止まることなき勢いで、コミュニティーが劣化し、崩れていっているのです。

その後に現れる地域社会とは、どんな社会なのでしょうか。
少なくとも、社会的孤立と対立、排除が、暮らしのベースとなった、ギスギスした社会になることは、間違いないと思われます。

私たちの巡回公演は、学校や学童保育所のみを対象としているわけではありません。

公民館の行事でも、なんでも、どこへでも出かけていきます。
私たちを呼んでくれませんか?
そして、みなさん、話を聞かせてくれませんか?
芸能の力は、人をつなぎます。
私たちは未熟で無力だけど…。
劣化していくコミュニティーを、どうやって、どんな方向に再生していくか?
簡単に結論や処方薬が見つかるわけないですが、一緒に場を共有し楽しむ時間を共にして、出会い、おしゃべりすることくらいは、お付き合いできますよ。

そこから、コミュニティーを「なんとかせにゃ」という方々と、地域に自生した創造団体である私たちが、何か希望と知恵を持てることが、生まれてくるかもしれませんから。

ちっちゃな創造団体の劇列車が、大きなことを言って笑われるかもしれません。
けれども、「組織の存在理由は、組織の外の世界への貢献度にある」〈ドラッガー〉という気持ちは、溢れるくらいありますから。

私たちは、非力だけど、巡回公演で地域を耕す文化の種を撒こうしているのです。
それがプロ集団ではない劇列車巡回公演の果たすべきしごとなのだ、と思っています。


写真は、昨日の雪。
今度こそ、ほんとうに名残雪だといいなぁ。

【釜】

荒木8区公民館へ

朝窓を開けると、ちらほら雪が降っており、あっという間に一面真っ白!
先日より、雪の降る日が続いています。

本日は久留米市荒木8区公民館へ、九州民話かたり芝居をもってお邪魔いたしました(*^0^*)
お声かけ下さり、準備から片付けまでお手伝いいただきました小西先生ご夫妻、本当にありがとうございました!

また、寒い中お集まりいただきました地域のみなさま、本当にありがとうございました。
みなさまのご協力のおかげで、一緒に楽しいひと時をつくることができました(*^_^*)

今日の夜空は晴天。寒いからか、いつも以上に星空が澄んでいてきれいです。
雪だけでなく、澄んだ星空も、冬の醍醐味です♪

【尚】

地道に、確実に…

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今年で5回目となる、頓田の森ぴーすきゃんどるナイト。

チラシを持って、置きチラシのお願いへ。

仕事の昼休みを使って回るため、一気に終了というわけにはいきませんが。

朝倉市の広報あさくら3/1号のイベント欄にも掲載していただきます。

地道に地道に…けど、確実に。

【法】

巡回公演に対する劇列車の考え

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劇団通信31号発行が、まもなくです。
そこに載せる「巡回公演に対する私たちの基本的視点」を、ブログに転載してみます。


〈地域のおとなが、良質の舞台を、地域のこどもにとどける〉

■「専門劇団にたよらず、地域のおとなが良質の舞台を創り、低価格でこどもにとどける」

そんな地域演劇文化があってよいではないか。
いや、あるべきだ。それが劇列車巡回公演趣旨です。
それは、いつも不変の趣旨です。

■専門劇団にたよらない。この考え方は、突飛なものではないはずです。
地域は本来、独自の芸能をもち、自前でおとなもこどもも楽しんできました。

神楽、文楽、歌舞伎など、各地の民俗芸能や農村舞台遺構に、その名残をみることができます。
民俗文化と総称される創造文化を、地域は自前で「共同所有」していたのです。
暮らしのとなりに、芸能が息づいていたのです。
数年かけて九州各地の民俗芸能をみて歩いた私は、そう確信するにいたっています。

■ところが現代は、民俗文化が解体し、手作りの力が衰退した時代です。
芸能は、「趣味や嗜好」の「個人行為」になり、共同性を喪失してしまいました。
また芸能文化は、世代や階層性によっても、寸断されています。

■そんな現代に、「大人が自前の創造をし、低価格で、こどもと楽しむ」巡回公演で、現代コミュニティーに、新しい手作り文化を育てたい。
そんな種まきしごとが、劇列車巡回公演の本質なのだ、と思っています。…


こんな観点に整理されてきた、私たちの巡回公演。
今日も、7月にやってくれないか、とオファーがありました。

しっかり、今年も巡っていきましょう。
どんなところにも、子どもたちと大人のいるところへ!
私たちの母語〈地域語〉による物語を、一緒に楽しむために。

写真は、先日の九州では珍しい積雪の日に撮ったもの。
きっと、今度の冬まで、雪景色ともお別れなんだろうなぁ。

【釜】

2012年巡回公演スタート!

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今日は久留米市東国分学童保育所に、「九州民話かたり芝居」巡回公演。

昨年もこの時期にお邪魔しましたが、今年もお声かけいただき、ありがとうございました。
子どもたちの明るい笑顔が、とってもステキでした。
新作「太平伝」でも、いっぱい笑ってくれてありがとう。
「太平伝」は、巡回公演の初演目で、30分のお芝居。
見てくれるかな〜と、不安もありましたが、その不安も吹っ飛ぶくらい、子どもたちの熱気が伝わってきました。
指導員の先生方、ほんとうにお世話になりました。

さて、今日でもって、2012年巡回公演スタート。
来週は、久留米市荒木町の公民館へ。
「九州民話かたり芝居」の「そばと山姥」バージョンです。

それから、本日「維持会員年会費」を納めていただいた杉尾さん、ありがとうございました。

会員の皆様のご支援で、劇列車は動いております。
これからも、楽しみながら協同していきましょう。

そして、昨年12月の定期公演から「太平伝」の音響をしていただいている馬場園さん、今日も朝早くからありがとうございました。
差し入れのおにぎりとコーヒー、とてもおいしかったです。

「子どものすぐ隣に劇を」「あらゆる子どもたちに平等な機会を」

劇列車の、まだまだ拙い巡回公演ですが、一回一回を大切に、一回一回よりよいものにしながら、2012年巡回公演スタート!

【釜】

年度末

最近は雪がちらつく日和でしたが、春の訪れも感じられます。
春の訪れは、さまざまなところで感じますが、専ら、年度末へ向けての提出資料作成に、春の訪れを感じています!(T▽T)笑

とはいえ、これも様々なところと関係ができてきたことを感じる機会。
うれしく思いながら、日々事務作業に向かっています。

さて、明後日は東国分学童保育所のみなさまのもとへおじゃまします(*^_^*)
昨年もお声かけ下さり、今年もまたお声かけ下さりうれしく思います!

昨年よりバージョンアップした2作品ほかをもって、子どもたちと先生たちと、楽しいひとときを!(*^0^*)

【尚】

案内をお届け

ちらちらと、時には、ごうごうと風に舞いながら、今朝から、雪がふり続いています。

けれども、空気が乾燥しているからか、インフルエンザが大流行してますね。

予防接種している人もかかっているようです。

手洗い、うがいを徹底中。


さて、2012年度の巡回公演案内を、久留米近郊の小学校や学童保育所へ郵送いたしました。

そろそろ、先生方のお手元に届く頃。

2012年度の巡回公演、宣伝開始です。

「太平伝」の学童保育所での初上演は、今月13日。

東国分学童保育所のみなさまとお会いできるのを楽しみにしています。

【法】

表現したいものを表現する遠い道

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まだまだ、表現したいものを表現しきれていない。

溢れるものを、うまく表現する回路とスキルが足りない。

私は「近代的自我」とか描きたくもない。
「近代的自我」を描く演劇も見たくない。
小説も読みたくない。
もうそんな世界は、私を癒やさい。窒息感をもたらすだけだ。

私が描きたいのは、木々の声、風との会話。必死に語っているのに、マジョリティには聞こえてこないサバルタンの声。

耳をすまさないと聞こえてこない声を、こどもたちと聞くのだ。
聞く耳を持つ大人たちで、こどもたちに未来を渡すのだ。
私が表現したいことは、そんなものだ。

2004年から2009年まで、苦しい時が続いた。
表現したいことを表現する力が全くなく、ヘタと言われ、「表現は残酷だ」〈ヘタで才能なき者は表現する資格なしということ〉と言われ、表現を続けることに軽い侮蔑と憐憫の眼差しを向けられ、唸りながら、地べたを這いずり回っていた。

かろうじて、2009年に、微かな手応えを感じ、まだ続けられると踏ん張って、少しずつ歩んできた。

未熟で恥ずかしい愚かな日々を送るなかで、ほんとうに聞こえてきた声は、サバルタンの声、風の声。

そうして、やっと深い息ができるようになってきた。
マジョリティから外れたくないから、マジョリティの真似ばかりして、マジョリティのフリをしてきた自分から、やっと解放されてきた。

表現したいことは、少しだけ表現できるようになってきた。

奢るまい。いい気になるまい。苦しい日々の中で、マジョリティからの自己解放を得て、やっと自分らしく過ごせるようになった日々。
聞こえてくる聞こえない声を表現するために、心を透き通らせ、体を酷使し、微笑み、涙し、生きるのだ。

【釜】

点々と足跡。

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2月4日の朝。雪の上に点々と獣の足跡。

たぬきか、いのししか、いたちか?
たぬきにも、いのししにも、いたちにも、遭遇した場所なり。

さて、今日はデスクワークやチラシ運搬などに時間をとった1日。

さる団体のご好意で、劇列車ワークショップ案内を掲載させていただいているカタログに、劇列車紹介原稿書き。
筑紫野でのこどもフェスティバル参加申し込み書類書き。
新作紙芝居の原稿推敲。
などなど。

頓田の森ぴーすきゃんどるナイト完成チラシも、朝倉地域へ運搬。
ところが、ここにいたってミスを発見!
いくつものスケジュールを同時にこなしながら、劇列車メンバーで連携作業しているため、連絡の行き違いから起きたミス。

あぁ、稽古場といわず、事務所機能を果たせるスペースがあれば……。
忙しい時ほど、違った場所で連携して行う実務は、丁寧にすること。そういう反省と教訓です。

ぴーすきゃんどるナイトには、決して多くはないが、人々の気持ちの輪ができています。
丁寧に、きめ細やかな実務をしなければ…。

【釜】

2012巡回公演チラシ

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木曜日と、金曜日は、一面まっしろの雪でした!
今日は晴天でしたが、寒波の名残か、冷たい風が吹いていました。

外の天気はなんのその。
今日は室内で一日中稽古を行っておりました。

東国分学童保育所のみなさんには、12月の定期公演時からさらに練り上げた太平伝をお届けできそうです!

とはいえ道具のみの、組み立てからばらしまで合計1時間近くとられる作品が太平伝。
贅沢ななやみですが、道具を置いておける常設稽古場が、ほしいです(T▽T)

さて、その後は場所を変え、巡回公演案内を郵送する事務作業。
みっちり行った稽古後の体にむち打って、もくもくと作業です。
といいつつ、年々バージョンアップしていく巡回公演案内チラシを前に、つかれも吹き飛びます。

巡回公演案内チラシは、各場所でそれぞれの人・子どもと出会う最初の顔。
だんだんとわかりやすく、内容も豊かになってきたなぁと、しみじみ思いながらの作業でした(● ̄▽ ̄●)
来年度は、どのような出会い・再会となることができるのか、とってもわくわくです!

写真は、巡回公演案内チラシ。
後日、劇団通信と一緒に同封予定です。

劇団通信購読ご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。
年4回お手元に届きます。もちろん無料。

【尚】

雪明かりを走る

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今日のジョギングは、真っ暗な中、雪明かりのジョギングだった。
これも趣きあり。

さて、先週の土日は筑紫野界隈をウロウロとしていた。
劇列車の活動エリアは「筑後川流域圏」だが、筑紫野まで入れていきたいと考えている。
なぜなら事務局所在地は筑紫野なのだから。

こどもフェスティバルの実行委員会にも、初参加した。
そこには、多様な団体と多様な人々がいた。
こどもを軸に、たくさんの人々がつながっていた。

ここまでフェスティバルを大きくされてきた人々がいる。
そのご苦労が忍ばれたひとときだった。
これから、こどもフェスティバルに向けても、しっかりやりたいと思う。

さて、フクシマからもうすぐ一年。
様々な方々の発信をキャッチしながら歩んだ一年だった。

フクシマを経ることで、みえてきたものがある。

繁栄と豊かさの中で、フクシマでは原発が稼働し、電気は関東の都市圏へ送られ、危険な原発労働を担う労働者の多くは、福島の地元出身で担われた。

中心の繁栄システムは、周辺に犠牲を強いるシステムであったのだ。
それがハッキリと見えてきた。

ところが、周辺が犠牲になっていることが見えなくなったのが80年代からいままでだったのだ。
見ないことにすることが「大人」であり、ことさらに見ようとすることは、野暮ったく「こどもっぽい」こととされてきた。
そんな感性がたしかに支配的だったと記憶している。

私にしても、そんな時代の空気に呑まれていった。
70年代に培った精神的財産に封印をして、生きてきた気がする。「尊厳」「怒り」「平等」「平和」
そんな精神的財産に封印をして生きてきた。少なくとも、本気になることが、気恥ずかしいものとなっていった。

けれど、フクシマを経て思うこと。
封印したものこそが、封印してはならぬものだったんだ。

享楽と消費に囲い込まれ、犠牲を強いられた者たちの声には耳をとざして、聞かないことにしてきた日本の小市民文化は、もうコリゴリだと思う。

排外主義的で小心で保守的なこの国の小市民文化は、私にはもういらない。

私は、フクシマ後を生きはじめているのだから。
フクシマ後にふさわしい文化と精神的価値を作り出していこう。

人と人がつながること。
表現に勝ち負け優劣のレッテルを貼らないこと。
尊厳を侵すものには妥協しないこと。
エリート主義を排し、暮らしに苦しむ人々と歩むこと。
こどもを大切にすること。
あらゆるこどもが、大切に扱われるべきであること。

口をつぐんでしまっていたそんなこんなを、語りだしたいと思う。
【釜】