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記事一覧

金丸コミセンへおじゃま♪

本日の西日本新聞一面に、原発反対総理官邸包囲行動についての記事が載りました。
――「主催者発表20万人、警視庁発表2万人弱」。
この温度差は、何でしょう。
参加した市民の数を具体的に数えることができないことは事実だと思いますが、それにしても、差がありすぎるのでは?

さて、本日は金丸校区コミュニティセンターにお邪魔しいたしました(*^_^*)
3年連続でお声かけくださった関係者のみなさま、ありがとうございました。
また、いつも元気に反応してくれるワイワイキッズの子どもたち、楽しい時間をありがとうございました(*^0^*)

そして、本日初共演となった馬場園さんこと由美ちゃん!
ありがとうございました&お疲れ様でした~(^^*)

また、応援に来て下さった原さんご夫妻、国分さん。
バラシのお手伝いまでしてくださり、本当にありがとうございました(*^^)

そういえば、ローソンが太陽光発電による売電事業に参入する、と報道されました。
ファミリーマートも同様に参入するとのこと。

野田総理は、どうしてこんなに「原子力発電」の再稼働に固執するのでしょうか?
分かりません。

【尚】

総理官邸包囲行動に20万人

本日の総理官邸包囲行動、主催者発表で20万人。

主催者の目標10万人を軽く超えている。
インターネットで写真を見るが、もの凄い人、人、人!

人の波が社会を変える。民衆の力が、新しい時代を開く!

明日は、大飯原発再稼働反対現地一万人集会。

行ける人は現地へ!
行けない人は、可能な手段で声を上げよう!

人の波を一層巨大に。民衆の力と英知で、非暴力直接行動を!

【尚】

子どもと未来を守ろう!

大飯原発再稼働が近づく。

脱原発への道のりを示さないままの再稼働は、なし崩しで原発依存に戻る道だろう。

そもそも社会的弱者を被爆させながら働かせないと成り立たない発電システムは、異常なシステムだ。
汚染と核のゴミ処理問題は、子どもと未来世代への私たちの責任を明るみに出している。

本日18時より、総理官邸前包囲行動。地下鉄国会議事堂前駅下車すぐ。
主催の「反原発首都圏連合有志」は、先週の4万5千人に加えて、10万人巨大包囲アクションを呼びかけています。広瀬隆氏らは、脱原発を鮮明にした城南信用金庫の協力を得て、報道しないマスメディアに変わって、飛行機をチャーター。包囲アクションの空中撮影に挑むそうです。インターネット実況中継です。

行ける皆さんは、巨大包囲アクションへ!
同時に、関西電力本社包囲アクションも行われます。

行けない皆さんは、この国の津々浦々から巨大包囲アクションに協力しよう!いま民衆の力を示さないと、原子力ムラと現日本国政府は、なし崩しで次々に再稼働するだろう。

3.11後ハッキリしたこと。それは、この現政府と原子力ムラは、子どものいのちと未来世代の苦痛よりも、原発を優先するということだ。

再稼働反対。子どもを守れ!美しい未来への道を切り開こう。経済や繁栄の名の下に、弱者をいじめ、子どもを被爆させ、未来世代に核のゴミを押しつける原発再稼働に反対!
経済しか見えない社会は、いのちを大切にしない社会だ。
再稼働反対!民衆の力で!

【釜】

くーみんTV放映日決定!

くーみんテレビにて、劇列車の活動が放映されます!
先日より、取材に来てくださいました、くーみんテレビのFさん、本当にありがとうございました(*^_^*)

くーみんテレビ放送エリアのみなさま、放映日は以下のとおりです(^^)ぜひ、ご覧ください。

【番組名】
「おじゃまします!」(15分間番組)

【放送日】
7/14(土)~7/16(月)、7/23(月)~7/25(水)、8/1(水)~8/3(金)

【放送時間】
9:30~、11:15~、14:15~、16:30~、19:30~

上記の日程・時間で放映されます!
チャンネルは、地上デジタル11chですよ~。

また、くーみんテレビのHPでも番組を見ることができます。
放送日が来ましたら、またブログでお知らせしますね~(*^0^*)

【尚】

30日、ワイワイキッズで公演!

今日は、金丸コミュニティーセンターワイワイキッズでの公演へ向けた最終稽古。

子どもたちに、より良いものを…と、突き詰めた稽古を行いました。

稽古の途中で、ゴォ〜っという音が!

外は、大雨と風。

稽古の度に荷物を持ち帰り、雨の時は傘をさしながら運ぶ手間を考えると、拠点となる稽古場を持ちたいと、つくづく感じた日でした。

【法】

劇場音楽堂法第12条を疑う

劇場音楽堂法第12条は、文化芸術享受の中央とそれ以外の地域の格差是正を謳う。

だが、地域の公共ホールに果して欲しい役割は、文化振興ではない。文化振興を通じての社会的包摂事業なのだ。
地域の創造団体に税金を投入することを許してよいのは、創造団体が文化振興に寄与するからではない。文化振興を通じて、社会的包摂事業を行う場合に限ってだ。

文化振興の名の下に、芸術を享受できる一部市民のための公共ホール事業を許してはならない。税金を使って、芸術の名の下に創造する団体を許してはならない。それは「公共」という言葉に甘えた欺瞞だ。

社会的包摂を行うまでに自己変革した公共ホールと創造団体にのみ、税金は投入されるべきだ。

地域格差是正の美名の下に、文化振興にしか眼のいかない公共ホールや創造団体には、むしろ自己変革を迫るべきなのだ。

【釜】

劇場音楽堂法を疑う

この度成立することになった「劇場音楽堂法(略称)」は、以下の点に、大きな問題を抱えている。

■前文では、文化芸術の社会的包摂機能についての宣言として読むと、大いに評価できる。

人は誰でも文化芸術に参加し、生きる充実を獲得できるようにあるべき存在。…ここは高く評価できる。

非正規労働者も、母子家庭も、在日外国人も…。低所得で時間もゆとりもない人々を、文化芸術から排除しないこと。そこから文化芸術の社会的包摂機能に着目していることは、すばらしいことだ。

■だが、そのために公共ホールと創造団体を支援するという、本論の部分には、強く反対する。
いまの公共ホールと創造団体をいくら支援しても、文化芸術によって低所得の人々や社会的マイノリティの人々を包摂にすることには、つながらないと思う。

いままで、文化芸術は高所得で余暇のある一部の人々のものであったではないか。(部分的例外はあっても大概はそうだ)

高所得で余暇のある層は、鑑賞し嗜むことによって、その体験を得られない人々を見下すツールにもしてきたではないか。公共ホールに集う人々は、市民のごく一部のはずだ。

その享受と創造の不平等性を放置して、税金を投入する文化振興をしても、文化芸術による社会的包摂には、たどり着かないはずだ。

■中央と周縁の間にある文化格差の是正も謳われている。
だが、ここで述べたことを放置して格差是正を図っても、周縁の中の「中心」と「さらなる周縁」の格差を拡大するだけだ。

■下手をすると、東京とそれ以外の地域の文化格差を、それぞれの地域の中心と、周辺他都市や町村との格差に変換するだけではないか。

この法律に、地域格差が是正されると喜びを現す人々もいるが…。
だが、その喜びを簡単には信用しない。しっかり警戒しておかなくてはならない。

【釜】

とやま世界子ども舞台芸術祭へ向けて

本日の稽古終了後に、大道具製作を行いました!
8月に出演が決定している、「とやま世界子ども舞台芸術祭」。
上演に向けて、大道具も追加製作します(*^0^*)
今日は、午後から道具製作日…だったのですが。
予定より稽古に時間をかけてしまい、ちょっとだけしか進まず( ̄▽ ̄;)
ですが、明日も道具製作日にあてているので安心!
雨が降らなければいいのですが…

【尚】

やった!4万人だ

市民劇団の稽古を終えて、今日の首相官邸包囲行動のツイッターにアクセス。
包囲行動への参加者、主催者発表で4万5千人。報道での最小人数は3万人。やった!こんなことを、ブログに書いて皆さんに読んでもらうことしかできないが、嬉しい!

先週金曜日は、現日本国政府の再稼働宣言の前日に、1万1千人か集まった。今日は稼働を許すな!と4万5千人だ。
ツイッターの呼びかけで集まっている。どこかの政党や巨大団体が、組織動員をかけているわけではない。怒りを持った人々が、自発的に首相官邸を包囲しているのだ。

インターネット上では、この現状に「紫陽花革命」という言葉も生まれている。

子どもを筆頭に、未来世代と社会的弱者に犠牲を押しつける巨大システムを、お払い箱にして、バイバイ原発へ。
ほんとにサヨナラ、日本の原発は。

【釜】

夏至。そして…

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昨日は夏至だった。あまりの忙しさに、雨もあって、忘れていた。
地球の回転を天空を仰いで感じ、山にかかる雲に山景色が夏山になったことを知る。劇列車の芝居は、自然とのつながりがいつも意識されている。そうしないと、芝居に描く人間が「自我としての人間」に矮小化されてしまうからだ。

自然の中で呼吸し、万物に宿る魂を感じて生きる人間を描きたいのだ。自然を感じとる日常を大切にしたい。

さて、今日は今から「大飯原発再稼働」に反対して、首都圏反原発連合が呼びかける「首相官邸包囲行動」が始まる。九州から行くことはできないが…。今から市民劇団の稽古だが…。
心は連帯している。

大飯原発再稼働反対!原発に依存しない新しい社会づくりへ、みんなで力をあわせよう。がんばれ!首相官邸包囲行動に集まる人々。心から連帯のエールを送ります。

【釜】

取材にきていただきました!

今日は、30日の金丸コミュニティーセンターでのワイワイキッズへ向けた稽古。

その稽古場へ、く〜みんテレビのスタッフさんが取材に来ていただきました〜。

今回が3度目。

5月27日の公演に、夜稽古にと、お休み返上で、撮影に来ていただき、本当にありがとうございます。

カメラが入ると、皆いつもより緊張ぎみでしたが、放送を楽しみにしてます。

【法】

微かな希望が…

6月15日金曜日夜、大飯原発再稼働反対で、11000人の市民が首相官邸を包囲。退廃したマスメディアは報じないか、ごく短く過小評価したニュースを流した。

だが11000人の市民が、再稼働反対のために、首相官邸を包囲した事実は覆せない。この国で、市民が闘いはじめている。80年代以降、この国ではもはや有り得ないと絶望していたことが、また起きはじめている。

昨日「ジンタらムータ」と名乗っいる音楽家たちが、脱原発そぞろ歩きの先頭に立って「不屈の民」や「勝利を我らに」を演奏している動画を発見した。励まされる。しなやかに闘いに立ち上がっている。

ほんのチョッピリ、希望を垣間見ている。生きていたら、人とつながって何かを変えていける…という希望を。20歳台に抱いていた希望を、再び育むことができるかも…と、心がほんの少し膨らんでいる。

闘いは一人から始まる。けれど、視野の中に闘う人が見えると、希望が生まれるのだ。

翻って、前回ブログで述べた「ある演劇関係者」のブログでの主張に、きちんとわかりやすく批判をしておきたい。彼は福岡で「制作者」を自称しているがゆえに、福岡で活動する私としては、断固とした批判を放っておかなくてはならない。

1;政府とそれにつながる政治家を批判する人々が、政治家を「ショッカー」としか見ていないとは、何事か。
これは彼の政治認識の幼稚さを、自ら暴露しているに過ぎない。としか理解できないほどの幼稚さだ。

2;国家が国民を犠牲にすることがあってもやむを得ない、とは何事か。

国民を犠牲にする国家は、誰のための国家か。何のための犠牲か。そもそも犠牲は必要だったのか。そういう前提なしで、犠牲はやむを得ないという思想は、もはや国家主義思想である。彼は無自覚にかもしれないが、自ら国家主義者であることを開陳しているわけだ。

3:政府を批判する人々の政府観を「ショッカー」並みと見なし、国家のために国民の犠牲はやむを得ないという主張に対し、繰り返して言っておく。
政治を「仮面ライダー」で語る幼稚さは、政治的実践すらしたことない未経験で無知の反映であろう、と推察する。国民の犠牲やむを得ずという国家主義の主張は、自らが理由の如何を問わず、国家の犠牲になってもよいと覚悟している場合にのみ主張できるものだ。そういう倫理観が、主張の前提になければならぬ。
その覚悟なき「犠牲やむを得ず」の主張は、結局酷薄なエゴイズムではないのか。

幼稚な国家主義の演劇もあるだろう。だが、私は演劇をこう理解している。

虐げられてきた人々が、言葉と心を発見することで、生きていくことを肯定できるための表現活動だ、と。
人々が不平等なしがらみから一時外れ、対等な関係を試行してみる実験だ、と。

福岡で、そこそこの影響力があるだろう自称「演劇制作者」のに対し、きちんとした批判が出ないとしたら、私は彼のブログを読んだ「福岡で演劇をしている人」を、信用しない。

【釜】

一知半解な演劇関係者

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一知半解の政治知識で、数字を並べてみれば中道か中立か知らないが、自らの常識があるかのように、政治を吹聴することの好きな演劇関係者がいる。

およそあてにならぬ数字を並べて、国家にせよ政府にせよ政治にせよ、ニュートラルな位置があるかのような幻想を振りまいているだけではないか。都市中間層の保守的で弱者の痛みに鈍感な政治精神が、発露されているに過ぎぬ。

ある時代の刻印を精神に刻んだ、ある層に典型的に見られる特定の政治精神だ。どんな意見を持とうと自由だ。だが、ご自身の見解が狭い党派的烙印が押された見解であることには、自覚的であって欲しいものだ。

あらゆる国家も政府も政治も階級的、階層的である。一切の政治見解に、ニュートラルも中道も中立もない。
現日本政府は、財界=大ブルジョアの利益に忠実なだけだ。「国民国家」という名の中立幻想を、かなぐり捨てているだけの話ではないか。

国民国家は、社会のコンフリクト〈政治経済的対立〉に中立を装った脱階級的虚構の幻想概念。民衆を「国民」に統合するために、19世紀から20世紀に流布された概念だ。

どんな演劇があろうが、どんな演劇ができようが自由だ。だが、私は上記の政治精神〈大きく言えば世界観〉から生まれた表現は、私にとって無価値だ。

演劇は世界観の反映と無縁ではない。
その世界観とつながった演劇は、それが上手くても「高級芸術」でも、私には無縁のものだ。

私にとって大切な表現は、あらゆる人が対等につながる精神から生まれたもの。あらゆる人が、自分が生きていることを肯定できる精神から生まれる表現。人々を垂直的関係に序列化するあらゆる精神と闘う表現。

たとえある精神が、一見して人々の平等と幸せを説いていても、内実に序列化の発想と体制を有しているものであれば、私には無縁だ。

誰もがのびのびと対等で、誰もが自分を肯定できるために闘う表現を、下手は下手なりに創るのだ。今はそんな表現が、絶対的マイノリティだが。
「誰でもが対等」…そう主張しないと、いくらでも押しつぶされる道を歩いてきた。
強者が弱者を押しつぶす姿を見てきた。

残念なことに、弱者を押しつぶす強者は、押しつぶしていることにすら気がつかないのです…。押しつぶしておいて、「ボクとキミは対等だよ」というのです。笑止千万。

【釜】

想像力で超える

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新作民話語りしばい「へっぴりよめさま」の初稿が完成。とりあえず稽古ができるようになった。

8月中旬の巡回公演で、御披露目の計画です。

「へっぴりよめさま」は、最近の劇列車新作の例に漏れず、約20分の短編なり。劇列車は、最近長い長編で30分に限定しているので。

なぜ短いのか?小学校一年生が見て飽きないこと、路上で通行人相手に演じて、投げ銭をいただける時間範囲で作品を造ることを、心がけているからだ。

「へっぴりよめさま」は、劇列車の新境地をひらくための作品だ。演奏は2名に増員、仮面に加えて人形が登場する。役者のメインは一名に限定、一人芝居の傾向を強くする。

より高く、より面白く、より簡単に、より深く。

子どもと未来の希望を紡ぎ出し、道行く大人たちに、我が身の恥を晒して立ち止まらせ、僅かな投げ銭をいただくために。

立派な劇場を拒否した〈または借りるお金がない〉、道端で演じることができるような、貧乏で新しい作品。

20分という貧弱で短い時間の作品。「投げ銭は1円から」という作品に全力を投入して、稽古がスタートします。

消費娯楽としての演劇とは無縁で相手にされるはずもない、異物のような恥さらしの貧乏演劇を、捨て身の下手さで造りだしていくぞ!

【釜】

恵みの雨?

台風が近づいているからか…やっとやっと、梅雨らしい雨が降りました。

筑後川の水は増水してますが、からからの土には、恵みの雨となったでしょうか?

さて、今年も動き出した、ぴーすきゃんどるナイトくるめ。

明日が、第1回の打ち合わせ会です。

昨年は、「舞台アート工房・劇列車と有志の会」として開催したぴーすきゃんどるナイト。

今年も、同じメンバーの方々へ、お声をかけさせていただきました。

8.11。

打ち合わせを重ねながら、今年もまた進めていきたいと思います。

【法】

弱者の表現

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前回の続きだ。

私は現在、日本国の勤労者の平均収入を得ている。高度経済成長から、相対的安定期と言われる1970年代に、少年から青年期を送った私は、教育が『階層上昇』の機会であったことを、身を持って知っている。

社会的弱者(底辺労働者層)の子どもであった私が、勤労者の平均収入の仕事につけたのは、教育で階層上昇を果たしたからだ。それが可能な社会的背景があったからだ。

ところが、ネオリベラリズムの嵐が吹き荒れ、格差の急激な拡大。弱者が敗北者として棄民されることが当たり前の社会になると、気づくのだ。『中間層の転落』とは、私のことなのだと。

経済成長の時代、『一億中流』と言われた時代には、忘れていることができた。自分が『下層階級の子ども』であったことを。
けれども今、中間層に踏みとどまる『溜(タメ)』のない私は、忘れていた記憶を手繰り寄せるように、思い出す。中間層を滑り落ちながら、思い出している。

貧乏人に芸術など高嶺の花であったことを。貧乏人はお金がないから、芸術のスキルを身につけたくとも出来なかったことを。だから、私は青年期に芸術を諦めたことを。
芸術とはお金持ちのもの。それに触れると、屈辱を味わったことを。私は、遠くから指を加えて高嶺の花の芸術を、妬みながら眺めている子どもだった。

私が劇列車で造りたい表現は、そんな弱者の主張、弱者が自分を肯定できる表現。そこから、無数の弱者とつながっていく表現なのだ。

私は下手くそな自分の演技を、貧乏であった自分の人生環境の反映だ、と知っている。

下手な演技をすることは、かつて決して肯定出来なかった。私が育った境遇を、『下手な演技』が鏡のように映し出し、自分の下手くそさを、決して許せなかった。だから、何年も自分の体を苛めるように稽古し、自分を追い込んだ。

今も下手だ。若い時に環境に恵まれなかった人間が、そうそう上手くなるわけない。
だが、その下手くそさを、今は愛おしく受け入れることができる。近寄ると屈辱が心に広がるから、遠くから妬んでいた子どもの私を、愛おしく抱きしめたくなる。

私は下手くそな私を、いつか肯定するようになった。
それこそが、私が表現することを諦めないパトスなのだから。それが私の表現の根拠なのだから。

【釜】

なんたることか

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この『日本国』という国の政府は、大飯原発再稼働を決めるらしい。消費税増税へ突き進んでいる。

なんたることか。この『日本国政府』は、国民(これは日本人を表記する単語ではない。日本国籍を持つ全ての人々を指す)の命と暮らしより、経済が大事と宣言しているのだ。それは、誰のための経済か?なんたることか!

劇列車の表現は、バカにされてきた。下手!どんくさい!流行らない!言いたい放題に、言われてきた。

そうだ。下手くそだ。何が悪い?どんくさい表現だ。何が悪い?流行らないよ。何が悪い?

劇列車の表現は、社会的弱者が『弱者のままで自己肯定』できるための表現だ。弱者が弱者のままで、のびのびとできる世の中を目指したいと思っている。

弱者が強者になることで、強者と対等になろうとする考えは、まっぴらごめんだ。弱者が強者になることは、新たな弱者を生み出すことなのだから。強者になった弱者が、新たな弱者を足蹴にすることだ。そう、心底から確信している。

下手くそだが、アマチュアなどと自称することは、もう金輪際やめた。身銭を切って、からだを苛め、本気で表現しようと志を立てたグループに、もはや『アマチュア』などという言葉は、似合わない。私たちは、表現者である。下手くそで、どんくさい、流行らない表現者である。
弱者が弱者のままで自己肯定するための、表現者である。

『アートを社会的ステイタス』とする人々からは、スタコラサッサと逃げる。上から目線で、蔑まれることは、あまり愉快でないからだ。

でも、きちんと、宣言する。こんなひどい『政府が弱者の国民を棄民にする』時代になったからこそ、ハッキリと宣言する。

私たちはアマチュアではない。下手くそで、どんくさい、流行らない『弱者の表現者』なのだと。負けるものか。

【釜】

初のコラボ!

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九州も梅雨入りして数日が経ちます。が、本州に比べまだまだ雨が少ない日々が続きます。畑は水が足りずにすぐ乾き、田植え後の稲に水が不足しないか、早くも心配です。

さて、6月30日は、今年もお声かけ下さいました、金丸コミュニティセンター・ワイワイキッズのみなさんと、民話劇を楽しむひととき(*^_^*)
劇列車維持会員の馬場園さんと、初のコラボを計画しています♪
いつもお手伝いをして下さる馬場園さんとの、上演コラボ!とっても楽しみです(*^O^*)馬場園さん、どうぞよろしくお願いいたします♪(^^ゞ

【尚】

同時進行中

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し〜んと静まり返って、虫の声だけが聞こえてくる、まだ涼しさが少し感じられる夜。

ですが…、一匹が鳴き出すと、どこにいたのか一斉に蛙の合唱が始まります。

例年より遅れているそうですが、そろそろ梅雨入りでしょうか?

さて、今年の巡回公演、いま、6月30日の金丸校区コミュニティーセンターへ向けて、「太平伝」を稽古中。

そして、2013年1月26日の演劇体験ワークショップへ向けても、徐々に準備を進めています。

いくつかの事業を平行して、同時進行中!

漏れや抜けのないよう、しっかり進めていかねば…。

【法】

動きだしたきゃんどるナイトくるめ

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8月11日久留米空襲の日の『ぴーすきゃんどるナイトくるめ』、いよいよ動き出しました。今年は、5月下旬にジョイント公演を実施したために、例年より遅めのスタートです。

何度も主張してきましたが、地域の記憶を継承していくことは、未来のために大事なことです。
まるで健忘症にかかったように共有すべき記憶を忘れ、記憶継承を『古臭い』ととらえた感性があります。高度経済成長期から長く、私たちを捕らえて離さなかった感性です。『開発』『利便性』『都市化』は良きことなり。私たちの精神の尺度でありました。

かつて、びくともしなかった岩盤のようなその価値観は、いま見る間に崩れていっています。明治維新から70年この国を支配したモノが、8.15で崩壊したように、それに近く、戦後とポスト戦後の支配的精神が、3.11後のいま、ボロボロに崩壊していっているのではないでしょうか。なんとなくは、わかっていたのに。だから、『やっぱりね』と心が呟くのに。気づかないふりをして、見ないようにしていたこと。それが、いま、誰の目にも見えるような崩壊を起こしています。

『記憶と継承』…かつてヤポネシア人が、ごく自然に大切にしていたことです。…『祭り』『祈り』『結』、どれも『記憶と継承』に密接につながったものでした。

しかしもはや、かつての『記憶と継承』を支えた古きコミュニティー(共同体)は、高度経済成長やバブル、吹き荒れたネオリベラリズムに晒され、散り散りに解体しました。もう復活はないコミュニティーです。(私たちも古きコミュニティーを、面倒と思い忌避してきました)。いまさら、古きものの復活を望むことはアナクロリズムでしょう。新しいコミュニティー(選択縁の共同性)を立ち上げることが、今から求められると思います。そんな新しいコミュニティーを立ち上げはじめている、たくさんの市民が各地におられます。

『ぴーすきゃんどるナイト』は、記憶し継承することでコミュニティー(共同性)を紡ぐ場です。決して古臭くない。むしろ、今から必要とされる発想の企画です。そんな『ぴーすきゃんどるナイトくるめ』、準備開始です。

【釜】

新作エイサー、練習開始!

先日の井上照代さんとの朗読ジョイント公演を終え、早1週間が経ちました。
本日は、劇列車の稽古日。6月23日にお声かけ頂いている、久留米市金丸校区コミュニティセンターのワイワイキッズ(土曜塾)での上演へ向け、久しぶりに太平伝の稽古に入りました。

そして、新作エイサーにも挑戦!
初の音合わせ・踊り合わせをやってみました(*^v^*)
初めてにしては、なかなかにいい感じです♪素材に付け加えて、見ごたえのあるエイサーを目指します!

そういえば数日前から、我が家の周りを飛び交う、数匹のホタルが。
田植えの季節がやってきましたね〜(● ̄▽ ̄●)

【尚】