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記事一覧

パーティーフィナーレ〜とやま旅日記18

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もうすぐ、ウェルカムパーティもフィナーレの時間。
自然発生的に写真撮影大会へ(*^O^*)
みんな、陽気な子どもたち(*^_^*)
私たち劇列車も、一番前におじゃましました(*´艸`)笑

【尚】

ウェルカムパーティ〜とやま旅日記17

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パーティー会場のANAクラウンホテルへ移動しました(^^ゞ
今から夕食です(*^_^*)

【尚】

本日最後はチェコ・ボヘミアバレエ団〜とやま旅日記16

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あっという間の2時間。
オーバードホールでの鑑賞は綺麗な舞踊でした(*^_^*)

【尚】

こんなに!?〜とやま旅日記15

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先ほど、オープニング公演・開会式が終了しました(*^_^*)
スゴい人数!
スゴい熱気!
3階席までびっしりです(*゜ロ゜)

次は、中国雑技ミュージカルから全部で8団体の公演が続きます。
18時までぶっ続け!
こんなに楽しんでいいんでしょうか!?

【尚】

昼食でひと休み〜とやま旅日記14

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レストランで、ひと休み。
富山県明会館にて、昼食をとりました♪

会場の壁は、こどもたちの書いた絵で埋め尽くされています(*^o^*)
とってもステキです☆

次は、オープニング公演へ向かいます!

【法】

富山市民芸術創造センター〜とやま旅日記13

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富山市民芸術創造センターに来ています(*^_^*)
たくさんの、人、人、人!
各国の言葉が飛び交っています(*゜ロ゜)
富山で初めて見る公演は、洋舞に邦楽に日舞に器楽を一気に鑑賞(*^_^*)
楽しみです!(*^O^*)

【尚】

馬場園さん到着!〜とやま旅日記12

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おはようございます(^^ゞ
本日、音響オペレーターの馬場園さんが富山入りしました!
さあ、今日からいよいよ、とやまこども舞台芸術祭の開幕です(*^O^*)

写真は、宿泊している施設。
各国からたくさんの関係団体が宿泊しています。

それにしても、朝から快晴!
とやまの日差しのパワーを感じます(@_@)

【尚】

富山に到着〜とやま旅日記11

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富山に到着しました〜!

まずは、富山県民会館にて、日程などのオリエンテーション。
実行委員会やボランティアの方々と、初対面で、緊張(>_<)

そのまま、今回の芸術祭のために県民会館に設営されたレストランにて、夕食をいただきました〜♪

『とやま世界こども舞台芸術祭2012』の開幕は明日!!

明日は、他団体の公演を観てまわる予定です(*^o^*)

【法】

山道を越えて〜とやま旅日記10

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14時44分、岐阜県飛騨市にさようなら。
おじゃまします、富山県!(^^)/

まだまだ山道は続きます。

【尚】

「さるぼぼ」〜とやま旅日記9

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影絵劇団かかし座の公演を見て、刺激を受けた劇列車メンバー。
昼食も下呂温泉合掌村内で食べました(^_^)b

下呂温泉のマスコットキャラクター「さるぼぼ」の人形も購入(*^O^*)
売店の解説書によると、おばあちゃんがお孫さんに人形を作る風習があり、その人形が猿の赤ちゃんに似ていため、「さるぼぼ」と名前がついたそうです(^^ゞ

さあ、飛騨地方見学もここまで!
いよいよ富山に向かいます(o゜▽゜)o

【尚】

影絵劇団かかし座〜とやま旅日記8

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下呂温泉合掌村へ到着!
10:30から、しらさぎ座で上演される、かか座の影絵劇を観劇予定(*^_^*)
楽しみ〜!

【尚】

民宿に一泊〜とやま旅日記7

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昨晩は、民宿「大蔵屋」に宿泊。

美味しいごはんと、温かいおもてなしに迎えられ、長旅で疲れた身体もほっこりとなりましたぁ。

民宿の皆さん、ありがとうございました♪

【法】

ソフトクリームで充電〜とやま旅日記6

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琵琶湖の見える滋賀県大津SAで、抹茶ソフトクリームを食べ、再び出発!
今日の宿は、岐阜県郡上市ひるがの高原にある民宿。
宿まであと約160キロ。
比叡山も見たことだし、がんばるぞ〜!(*^_^*)

【尚】

出発から約9時間半〜とやま旅日記5

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出発から約9時間半が経ちました。
お昼ご飯を食べてから、車内はみんな無口( ̄∇ ̄)笑

写真は、大阪モノレールの線路。
高速道に沿って長く続いています(^_^)b

いよいよ中国自動車道も終わり、名神自動車道へ。
道路標識には、「京都」の文字が!(*゜∀゜*)

【尚】

岡山・大佐で昼食〜とやま旅日記4

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出発から6時間、岡山に到着〜!
昼食は、大佐SA名物と表記されていた「大佐ラーメン」を注文。
ピリ辛の味噌ラーメンに、太めの麺。3人ともおいしく頂きました(*^O^*)

お土産コーナーも、徐々に九州の色がなくなって来ました(◎o◎)
岡山名物の桃をアレンジしたお菓子が目立ちます。
とんこつラーメンは、もう見あたりません(笑)

広島はポニョグッズだったなぁ〜(^^ゞ

【尚】

広島の山々〜とやま旅日記3

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山々が続く中国自動車道。
緑が美しい(*^O^*)
ポニョの街も広島です(^^ゞ

【尚】

こんにちは、本州〜とやま旅日記2

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甘木インターから約1時間半、いよいよ本州へ乗り込みます(*^O^*)
写真は、関門大橋。

【尚】

いざ、富山へ!〜とやま旅日記1

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いよいよ、今日から「とやま世界こども舞台芸術祭2012」へ向けて、福岡から富山県へ出発します!
早朝5時起き(^^ゞ車窓から見える朝日が美しいです(*^_^*)

【尚】

明日から『とやま世界こども舞台芸術祭』

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明日出発します。帰着は8月2日。4泊5日の旅。

公演に頑張って、見学を沢山してくるつもりです。明日からは、ブログ『劇列車の地球的日々』は、特別編『とやま旅日記』に切り替わります。

良かったら、旅日記で私たちの旅にお付き合いくださいね。

【釜】

告知!

明日7月29日【日】は、首都圏反原発連合主催による『国会大包囲』あり。

15時半から日比谷公園で集会。16時デモ開始。19時から国会包囲。

火気のないLEDキャンドルやペンライトなど、持参が呼びかけられています。もちろん持参しなくても可。行ける人は行こう!

ちなみに、昨日27日【金】の首都圏反原発連合主催による官邸前抗議は、明日の準備のため中止されていました。けれども、別団体による呼びかけがあり、多数の人々が官邸前に集まった模様です。
アノニバスも複数登場。過剰警備に対抗して、多数の自家用車、トラック、タクシー、バイク、自転車などを活用した車道抗議が現れている模様。

子どもを守ろう!まっとうな未来をつくろう!

【釜】

児童文学は『希望の文学』なのダ

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私はどうも、大人の文学が肌にあわないらしい。いつの間にか、読まなくなった。哲学、社会学などは、頻繁に新刊を漁るのに、大人の文学はダメなのだ。あえていえば、レイ・ブラッドベリだけは例外だが、もしかしたらブラッドベリの作品が放つ、匂うような『少年の心』が好きなのかもしれない。

さて、ある本を読んでいて、児童文学は『やり直しがきく話である』と書いてあった。『生まれてきてよかった、生きててよかった、生きていいんだ』というメッセージを放つ文学だ。つまり、希望の文学。

『子どもの心を守る文化がいるのだ』と、ブログに書いたが、この本を読んで、ハッと気づいた。

前回書いた『惨い現実を生きる子どもが、むさぼり読む絵本』とは、現実を拒否しシャットアウトするためのバリアなのだ。これは逃避ではない。子どもは、絵本というバリアで心を守り、惨い現実に耐える。子どもは生きようとして、絵本というバリアで心を守る。あえて、そう断定する。子どもの私は、そうやって暮らしていたのだから。

子どもの心を守る文化とは、惨い現実を生きる子どもたちに『生きていていいんだ』というメッセージを放てる文化のことなんだろう。少し思考が深まった。

子どもの心を守る文化と、ネットワークをつくる。そのためには、私自身が劇列車が、そのメッセージを放てるだけの日常をつくろうとしてなけりゃならない。
かりそめの、付け焼き刃の、借りた言葉の『生きていいんだ』というメッセージほど、陳腐で無力なものはない。そう思うのだ。

劇列車の作品づくりと活動は、『大人として世界とむきあうこと』を通じて、はじめて子どもたちにメッセージを放てる。生き方と無関係ではない。

そこを曖昧にしてはなるまい。作品づくりは、『お前は大人としてどう生きているか?どう生きるか?』という問いに正面から向き合うことだ。

そこから、今後をスタートしていくのだ、劇列車は。曖昧にしない。曖昧にしてよいことといけないことがある。劇列車の拠って立つ表現と活動の〈根拠〉は、曖昧にしてはならないこと。まどろみの長い季節は、終わったのだから。放射能の風が吹く日常。時代は変わったのだから。
新しい一歩のために、今、思考を整理し深めている。まだ深めなくては…。

【釜】

こどものために…とは

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何度も何度も…同じことをめぐって、違う文字を綴ろうとしている…。

こどものための劇をなぜつくるのか?こどものための劇運動に、なぜ本気になるのか?

こどもが大切にされる社会を目指すためだ。こどもが大切にされない社会を、イヤというほど生きてきたからだ。

こどもは弱者。こどもが大人の手段とされたり、放置されたり虐待される社会は、結局大人の弱者も生きにくい社会なのだ。

こどもを虐待する親を、非難してはならない。こどもを愛しながら虐待に追い込まれていく親を非難する前に、生きにくい世の中を生きてきた心の闇に、疲れに、心から共感することだ。
これはキレイ事ではない。苦しい生活は、様々な問題の温床だ。こどもを愛しながら、一方で暴力の歯止めがきかなかったりする。私は、そんな家庭に育った。虐待をする親を高みから非難することは簡単だ。けれども、世間が非難する親でも、こどもにとっては愛すべき親なのだ。その愛憎は、こどもから青春時代に私に張り付いた感情の皮膚みたいなものだった。

こどもの心を守る文化がいる。こどもの情操教育でない。そんなものは、私にとってどうでもいいプチブルの贅沢品だ。
こどもの横に、そっと座って黙っているような文化がいるのだ。
暴力が振るわれる横で、震えるこどもがむさぼり読む絵本が、こどもの心を惨い現実からそっと守っているように。
そっと横にいる文化がいるのだ。それでいて、こどもを踏みにじるモノに対しては、敢然と戦う文化がいるのだ。

そんな文化は業界から生まれない。こどもを守ろうとする大人たちの中からしか、生まれない。
そんな文化づくりに我が身を賭けることで、私はやっと深く息ができる。

こどもは未来。
こどもを守ることは、まっとうな未来を守ること。
こどものための劇運動は、まっとうな未来を守る運動。

『我が子』のことに真剣であっても、『こども』のために真剣にならなかった社会は、変わりつつある。
だが、こどものために真剣に運動する大人が、もっともっと増えなくてはならない。

今は、饒舌に文章を書くことで、次のジャンプをするための言葉を獲得しようとしているのだ。
『劇列車の地球的日々 』は、言葉、言葉、言葉で覆い尽くされていくだろう。それは、ジャンプのためのエネルギー蓄積をしようとしていることなのだ。はじめようとしていることの輪郭を、可能な限り明晰に描こうとしているのだ。

【釜】

野外へ!街頭へ!

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静謐な夕暮れ。
人の一生は限られている。ならば、思うことを言い、成すべきと思うことを悔いなくやっていこう。

社会の奥深く、何かが力強く蠢いている。もう止まらない何かが…。
政治革命は、救済の特効薬ではない。寧ろ性急な政治革命は、人間の理想を流産させるのではないか。20世紀の歴史を振り返ると、メガ理論による政治革命は、悲劇で流産していることが、あまりに多い。
いま生み出すべきは、社会革命と文化革命だ。静かな人間の関係の変革である。誰もが対等であること、誰もが尊重されること。人が人と平和につながること。そのために、戦争や差別につながることを許さないこと、声を上げること。

いま深く始まっている。楽観はできない。この国は、ポピュリズムやファシズムに向かう可能性も高い。

劇列車は、子どものための劇から、もう一歩踏み込んで『子どもの文化格差を埋める』演劇運動へ向かおうとしている。

そのためには、未熟過ぎることが多い。表現技能も足らない。
だから、昨年に言っていた『九州を家の軒先を借りて、野外ミニ公演をしてまわる』というアイデアを、形を変えて実現しなければならない。と、思っている。

九州一円をまわるのは、受け入れ先を探していくだけで大変なことになるが、一つの場所で、定期的に野外ミニ公演を打っていくのだ。早ければこの秋から。遅くても来春。

野外でやって、人の足を止められなければ、子どもの文化格差を埋める『運動としての公演』など、夢のまた夢である。顔を洗って出直してこい!と言われてもしかたない。
何も恐れない乞食公演を始めるのだ。
下手で笑われてもよい。屈辱をバネに、絶対上手くなる。

…いよいよ劇列車は、新しい冒険に入っていく。それは団体の不安定化の道だ。だが、この段階で安定して何になる?
不安定化の先に、何が待ち受けているのかわからない。だが、歩くのだ。時代と響きあいながら、下手くその唄を、高らかに唄って歩いていく。その途中で倒れても、悔いはない。とんでもない夢想家がいて自滅したらしい、と言われることになっても悔いはない。

人はどのみち、永遠に此岸にとどまるわけではない。いずれ彼岸に渡るのだから、此岸で笑われても、何を恐れることがあろうか。
だから、悔いなく生きていく。しがらみにガンジカラメの人生だが、悔いなく生きていく。

【釜】

ネイティブアメリカンの知恵

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ネイティブアメリカンの世界では、大事な事を決める時には『7代後の子孫』のことを考えて決める。そう聞いたことがある。
倫理学では、同じことを『世代間倫理』と呼ぶ。

私たちは、ネイティブアメリカンの人々の価値観を生かす世の中に、今を変えていかなくてはならない。

近代は、『同時代を生きる現存世代』の社会契約を、社会統合の基本原理とした時代である。

だが原発問題は、近代的社会契約の原理で読み解けない。ムリに読み解くと、近代の社会契約原理が『醜いエゴイズムでしかない』という、無残な結論を知るだけだ。

もはや、近代の社会原理が行き詰まっているのだ、と思う。

今回の脱原発運動に対する演劇の側の感受性の鈍さは、もしかしたらご本人たちの鈍さではなく、近代原理に則った演劇が、ネイティブアメリカンの倫理や世代間倫理を咀嚼できないでいるのかもしれない。

とするならば、もはや一過性のブームでなく、日本列島のアチコチで深く広く進行しはじめたオルタナティブを求める脱原発運動など新しい社会運動に、演劇が乗り越えられているのではないだろうか。

脱原発運動に呼応出来ない演劇なぞ、もはや単なる演劇好きのための生きた化石である。そのうち、国立博物館の展示室しか居場所がなくなるだろう。それは、よいことだ。

今日の巨大な総理官邸前行動が終わった。
7代後の子孫を意識した、生きた化石ではない新しい演劇を見たいものだ。

いや、道は遥かに遠くたどり着けないが、劇列車も半歩でも歩む。

【釜】

告知‥子どもを守れ!

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明日7月20日《金》も、18時から20時で、大飯原発稼働停止を求める巨大行動あり。総理官邸前行動。全国各地でも。先週の総理官邸前行動参加者は、15万人。

福岡は23日【月】18時半から20時半で、九電本店前抗議行動。原発再稼働反対のために、数百数千の結集が呼びかけられています。

行ける人は行こう!劇列車有志も、また行ける時には、声を上げにいきますよぉ−。

今、一人ひとりが声を上げなければ、変わらない。
原発いらない。再稼働反対!原発に象徴される豊かさはNO!お金がなくても幸せになる権利が、誰にでもある。声をあげよう。私の声とあなたの声をつなげよう。
そこから、『子どもと未来』の希望がひらかれるはず。

【釜】

梅雨の晴れ間に

久しぶりに晴れたら、すっかり夏!

市民劇団の発表会を終えて、劇列車の稽古に専念できると思いきや…。

昨日の稽古は、すべてミーティングとなった。さよなら原発!福岡集会に、劇列車有志として参加するかどうかで、3時間討論。

〈劇列車は法人組織なので、組織決定には理事会または総会での審議が要る。昨日は、日常活動を担う正会員のみでの討論だったので、有志なのだ〉

昨日の弥永のブログに書いてあったように、今劇列車は『あらゆる子どもに劇を!』という目標を、本気で追おうとしている。家庭の財力がある場合は、私たちのような『地域ヘタくそ集団』に出番はないだろう。アートの階層序列の中で、私たちは無視される存在だ。

だが、演劇や音楽など文化が最も必要なのは、そこから排除されている子どもたちなのだ。

私たちは、その子たちのところへ劇を持ち込むために、より上手くなりたい。身を削ってでも上手くなりたい。そして、お金が払えないところに行くために、或る方策を検討始めている。

何度も言うが、私は社会の底辺層に生まれ育った。芸術から排除された子どもだった。だから今もって、芸術の階層序列に対して、人間の序列化に対して、皮膚感覚で心から憤りが沸き起こる。
芸術から排除された子どもであった故に、劣等感と自己卑下感に苦しむ芸術はゴメンだ。自己が肯定され、生きていて良かったと思える芸術の必要を痛感している。

ヘタな劇列車は、芸術なぞ創る力はない。だが、我が身を削って命を削って、本当に芸術が必要な子どもたちに、ヘタだが必死の芸を見せることくらいはできる。半歩でも前に進もうとする芸を、見せることはできる。

ならば、原発によって被爆健康障害のリスクが高くなる子どものことを、放置しておいてよいのか?『あらゆる子どもたちに劇を!』が本気ならば、本気であればあるほど、脱原発運動に連帯すべきではないのか?

昨日のミーティングは、堂々巡りを何回もしながら、個人単位ではなく劇列車有志で、集会に参加することにした。

脱原発集会に参加することで、ヘタでも諦めない力を得る。爪で崖をよじ登ることになっても、1ミリでもよじ登る力を得る。

子どもを守るために、この島国のあちこちで立ち上がったすべての人々を、尊敬します。立場政治信条を超えて、子どもと未来を守るために声を上げ始めた人々に、心から連帯のエールを送ります。

私たち劇列車は、脱原発運動体ではなく、あらゆる子どものための演劇運動体だ。だからこそ、ちゃんと声をあげ、声をあげた分、身を削って精進するつもりだ。

【釜】

子どもの未来を守ろう!~さよなら原発!7.16福岡集会

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―子どもの未来を守ろう!
今日は、『さよなら原発!7.16福岡集会』へ、劇列車有志で参加してきました。

私たちは、これまで、何を選択してきたのでしょうか?
私は23になりました。選挙権を得て3年です。

私たちは何を選択してもらってきましたか?
敗戦から67年が経っています。67年の選択された結果が、今です。
実子に愛情を持てず、児童虐待・育児放棄(ネグレクト)…
地域から孤立した家庭の中で、育児する側も助けを叫べず、そんな大人の事情によるしわ寄せが、小さな子どもに向けられています。

私たちは、大人から何を与えてもらったのでしょうか?
お金でしょうか?大人の顔色の伺い方でしょうか?

劇列車は、「あらゆる子どもたちに」劇を届けることを目指して活動しています。
「あらゆる子どもたち」に劇を届けることは、どんな子どもにでもある「文化的な生活を送る権利」を保障するための活動です。

3.11フクシマ原子力発電所の事故は、何をもたらしたのでしょうか?
たくさんあると思います。
ひとつは、放射能を、密室から解放しました。

選挙権を得て3年、私は原発を選んでいたのかもしれません。
なぜなら、「NO!」と言わなかったからです。

これから先の子どもたちに、原発をプレゼントすべきでしょうか?

子どもの権利条約 第6条
【生きる権利・育つ権利】
―――
「すべての子どもは、
 生きる権利をもっています。
 国はその権利を守るために、
 できるかぎりのことを
 しなければなりません。」
―――
日本ユニセフ協会・抄訳「子どもの権利条約」より転載。)

答えは、NOです。
今の生活を、価値観を、考え直す時が来ています。

【尚】

8.11ぴーすきゃんどるナイトくるめ

さて、今日は、『8.11ぴーすきゃんどるナイトくるめ』へ向けた、打ち合わせ会。

プログラムや出演者も決まり、チラシもまもなく完成します。

ぴーすきゃんどるナイトくるめは、毎年、人と人の出会いが生まれる場です。

8.11という久留米空襲のあった日に、市民が集い、体験した方の話しを聞き、一緒に歌い、語り合う。

その輪がもっともっと広がり、継承することに繋がっていけばと思います。

【法】

TV放映日!

くーみんテレビにて、劇列車の活動が放映されます!
今日は放映日第1回目。9:30~の放送です(*^_^*)

すべての放映日は以下のとおりです(^^)

【番組名】
「おじゃまします!」(15分間番組)

【放送日】
7/14(土)~7/16(月)、7/23(月)~7/25(水)、8/1(水)~8/3(金)

【放送時間】
9:30~、11:15~、14:15~、16:30~、19:30~

上記の日程・時間で放映されます!
チャンネルは、地上デジタル11chですよ~。

また、くーみんテレビのHPでも番組を見ることができます。
【くーみんテレビHPはこちらから】
ぜひご覧下さい(*^0^*)

【尚】

告知!久留米市民劇団中間発表会

明日は、久留米市民会館自主文化事業『久留米市民劇団ほとめき倶楽部中間発表会』

■7月14日【土】18時半開演。久留米市民市民会館にて。入場料無料。
お問い合わせは、0942392500【久留米市民会館】へ。

良かったら、お越しくださいませ。

【釜】

告知!子どもを守れ!

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今日7月13日《金》も、18時から20時で、大飯原発稼働停止を求める巨大行動あり。総理官邸前行動と、関電本店前行動。全国各地でも。
福岡は16日16時より、福岡市冷泉公園で集会、九電本店までパレード。

特に総理官邸前行動では、前回約15万人が集まり、最寄り駅地下鉄『国会議事堂前駅』は、大混雑した模様。地下鉄『霞ヶ関駅』または『虎ノ門駅』で下車して、徒歩で集結することが呼びかけられています。

行ける人は行こう!
子どもを守って安全な未来を創ろう!

大飯原発再稼働を民衆が放置すれば、他の原発も再稼働されるだろう。

いま、声をあげて。民衆の力を合わせて。非暴力で。立場は異なっても『脱原発』一点でつながって、声を上げよう!

【釜】

劇団通信をWebで読めます

本日は病院で検診のため、職場はお休み。

劇団通信『劇列車がやってくる』は、紙媒体での配布郵送のみでやってきました。年四回発行で、郵送部数は約160部。B5版4ページの手作り誌。
劇列車の事業のお知らせ、考えかた、今後の展開などを伝えてきた小さなミニコミです。

紙媒体で郵送するのは、年四回ですから、160部でも費用の負担感があります。それでも、手間ひまとお金をかけることで、維持会員や読者の皆さんとつながることができます。

劇団通信郵送のみでつながる維持会員の方々も、それなりの数いらっしゃいます。それでも年会費3千円を、滞ることなく払っていただける。そういう方々に、手間ひまかけて郵送することが大切だと考えています。

一方、紙媒体のみでの配布では、どうしても範囲が限定されます。
劇列車は、子どもを軸として、大人の関係を対等な協同関係に紡ぎ直す活動です。文化から排除されがちな子どもや大人を軸にして進める演劇運動です。
あちこちに、出会っていないけれども、今から出会うべき人々が沢山いるはず、と思うのです。

そのためには、劇団通信を誰でもが読めるWeb化する必要がありました。

劇団通信32号から閲覧できます。できましたら、ご笑覧くださいませ。

【釜】

へっぴりよめさま

新作『へっぴりよめさま』は、痛快かつおおらかな民話芝居だ。

『屁こき女房』は、ヤポネシア全域に広がる昔話だ。それは、民衆次元のおおらかさを、余すところなく伝えている。

肥後と豊後の『屁こき女房』を合わせて、この話の中に本来含まれているおおらかなフェミニズムの視点を強化してみた。そして『屁でお金が儲かった』という観点を薄めてみた。
『儲かった』という物語は、昔の民衆の素朴な微笑ましい願いであるが、現代に民話を再創造する視点でみると、もはや魅力と生命力の乏しいものだ。と、書き手の私は思う。《昔だったら、きっとささやかな願望がかなえられるお話として魅力的であっただろうが…》

そうして姿を現した『へっぴりよめさま』は、男の勝手さを暴きながらも、女と男の気持ちの交流を描く、楽しい物語になった。

過去の形のままの民話劇は、日本社会が豹変した現代には通用しないと思う。だが、民話の持つ力は、個人の創作より強靭だ。それこそ無数の先祖たちが紡いで練り上げてきた物語には、個人の力を越えた強さがある。私たち現代ヤポネシア人の文化的DNAに響く魅力がある。
民話を通じて私たちは、自分の文化的アイデンティティを再発見する。
これはもしかしたら、親の代から都市中間層である人々には、もはや共有できない感性なのかもしれない…。

だが、ここまでグローバル化が進み、ローカリティが破壊されてきた今、もしかしたら、民話は新しさを感じることができる物語かもしれない。

80年代に、当時の保守党政権によって民話は攻撃された。『貧乏臭いものを子どもに与えるな』という攻撃だった。これで民話は教科書から消えていったのだ。民話再創造の文化の波も廃れていった。

だが、まだ汲み取れる生命力がある状態なのに、見捨てられていったのではないだろうか。

『へっぴりよめさま』の稽古が始まって、そんなことを考えたりする。

【釜】

完成!

さてさて、昨日は大道具づくり。
ベニヤ板から木を創りました(^^)
富山の世界こども舞台芸術祭へ向けて、励んできた道具作り。
これで、完成です!

赤い丸い物体は、提灯です(^0^)

舞台道具

【尚】

子どもを守ろう!※告知

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明日7月6日《金》は、18時から20時で、大飯原発稼働停止を求める巨大行動あり。総理官邸前行動と、関電本店前行動。

特に総理官邸前行動では、前回約20万人が集まり、最寄り駅地下鉄『国会議事堂前駅』は、大混雑した模様。地下鉄『霞ヶ関駅』または『虎ノ門駅』で下車して、徒歩で集結することが呼びかけられています。

行ける人は行こう!
子どもを守れ!未来を守れ!

大飯原発再稼働を民衆が放置すれば、次は伊方原発再稼働か?その次は玄海原発や柏崎原発再稼働か?

いま、声をあげて。民衆の力を合わせて。非暴力で。立場は異なっても『脱原発』一点でつながって、声を上げよう!

【釜】

1日に2カ所にお邪魔

8月22日の劇列車巡回公演は、三潴町から城島町へ。本日、2公演確定しました。
午前と午後に、仕込んで本番をして、バラして、仕込んで、本番をして、バラして。

大変な労力だが、呼んでいただいて、喜んでもらえるために頑張ろう!
三潴町では子どもたちに、城島町ではお年寄りに。

喜んでもらえるために、もっと上手く、もっと心を伝えて、もっと明るく優しく。
フィクションの場を出前して、物語と場を共有して、楽しんだりする素敵な場を創っていきたい。

これは、私たちが、体も心も汗をかいて、人とひとときの共有場をつくる運動である。
これは、伝え伝わることで、幸せを感じるための運動である。

【釜】

福岡のつまらない演劇屋

80年代から90年代の小劇場の最悪の部分を演劇と思い込んでいる人間は、演劇を損得《個人のとは言わないが、つまらない小世界の損得》で見ることになれているようだ。

全くつまらない考えだ。
そして、今始まり、このどうしようもない国が、まともになるか、このまま沈没するかという正念場の季節に、あいも変わらず、保守的で業界的利権誘導でしか、社会を見ることができないようだ。

それを公正とか理性的にとか、オープンな態度とか、虚飾を飾っても、主張の馬脚が見えている。あぁ、つまらない考え。

どんな考えも自由だが、必要と判断すれば正面から批判をしなければならないこともあるだろう…。

蜩が鳴く季節。
いよいよ夏到来だ。汚染の心配より、夏到来の感慨に浸ることができるのは、幸せなのか。それとも…。
そう自問自答してしまう社会を、私たちは今生きている。

【釜】

非暴力という力

私が学生だった頃、福岡でも学生運動の名残があった。私は、その運動の片隅に、及び腰で参加していた。
連帯、闘争、平和、革命を夢見た青二才だった。

しかるに、80年代に入ると、何かがおかしくなった。「みんなの幸せ」を祈ることが古臭く、人を蹴落として個人が幸せになることが、当たり前となった。資本から開発される欲望に乗らないことが、時代遅れの痩せ我慢に思えてきた。

私は、青春をかけた「みんなの幸せ」の夢を封印していった。

ところがいま、闘いが巻き起こってきた。反原発、反基地、反貧困、反TTP。闘いが巻き起こり、広がりつつある。
私は、昨日のブログでとうとう封印していたものを解き放った。人間の関係変革をめざす劇列車という運動を、闘っていく。

70年代は、闘いは政治革命へ向かっていた。若者の直接行動は、思い詰めた暴力へ向かっていた。
私は知っている。真剣に学習しつつ、暴力的決起への確信をもって、刻苦勉励した学友たちを。

だが、暴力的直接行動は間違いだった。暴力は民衆との離間を生み出し、そこを国家権力は巧みに利用した。

いま巻き起こりつつある非暴力直接行動では、暴力を振るうように挑発もかけられてくるだろう。罠も仕掛けられるだろう。だが、絶対に非暴力直接行動を貫き通していくこと。それが国家権力の最も脅威となる運動だ。

政治革命をめざすのではなく、人間と暮らしと関係の変革の闘いを、日々行うこと。
彼岸のユートピアをめざすのではなく、いまをひとつ一つ変えていく。
いま、関係の変革へ。脱原発とは、原発依存社会における人間の関係変革の作業でもあると思える。

【釜】

今日も雨。

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今日は、富山へ向けた大道具作り。

木のパネルを作成中。

曇り空ながら、なんとか作業を進めることができましたが、夕方になると、土砂降りの雨。

予定していたところまで進まず残念(>_<)

写真は、ペンキで色塗りをしている途中のもの。

どんな仕上がりになるのか、楽しみです!

【法】

激動の始まりの中で

今日は午後から、大道具製作。とやま世界こども舞台芸術祭での公演に合わせて、ひとつ道具を新調しようというわけだ。

ベニヤ板をカッターで切り、色を塗り、木立ができていく。楽しい作業なり。

一方、大飯原発ゲートでは、再稼働を止めるために昨晩から市民たちが座り込んでいる。機動隊も待機しているが、市民の非暴力直接行動に、今のところ排除には踏み出せていないようだ。しかし、予断は許さない状態だ。新宿と横浜でも脱原発デモ。昨日は、沖縄でオスプレイ配備への抗議行動。
市民、いや言い直そう。民衆の絶望が沸点に達し、怒りになってきている。60年代70年代と違って、徹底した非暴力で直接行動に打って出ている。

地道な大道具製作をしながら、話題は大飯原発ゲート前のこと。劇列車は、こどもを軸とした「演劇の普及、創造、体験」活動で、大人が水平的につながっていく演劇運動なのだ。新しい選択縁づくりをしているのだ。今がまだ小さく無力でも、その旗を掲げるまでくらいには、歩んできた。お金とも権力とも名声とも無縁だ。これからもそうだ。そういう演劇運動なのだ。もう一度言う。

劇列車は運動なのだ。

こどもを軸に大人たちが、水平的に生き直していくことを、何よりも大切にしている。

この島国の激動に、私たちの運動の観点から、損得にとらわれず発言しておきたい。
反貧困、反原発、反基地、反TPP!

私たちのささやかな願いと逆行するもの、暴走する強欲な資本主義を許さない!
美しく平和に、誰もが笑顔でいられる社会を。誰もが「生きていて良かった」と思える社会を。
私は、損得勘定をせずに、正直に生きていく。悔いなく生きていく。
これは、ひとつの宣言。ささやかな、しかしここから一歩も退かないための宣言なのだ…。

【釜】