新作民話芝居「すてこ恋唄」。とりあえずラストまで執筆完了。本日7時間、机に向かって座っていた。
今後推敲が必要だが、あと一週間で大丈夫だろう。
「すてこ恋唄」。猿に嫁ぐ娘の話だ。「すてこ」と呼ばれる猿に嫁いだ娘は、猿婿の婿殿を自身の親兄弟から殺される。けれども里には戻らず、自ら猿に変身して、殺された婿の仲間猿たちと共に山に帰っていく…。
マジョリティの暴力と迫害。マイノリティであることの伸びやかな宣言。そんな物語だ。
8月に初演した「へっぴりよめさま」は、男性のつくる「作為的な女性像」を痛快に笑い飛ばす。だが、強固な社会制度、マジョリティの社会常識「一夫一妻制」を揺さぶることはない。
母親だけしかいない家庭の子、父親だけしかいない家庭の子、事情があって親から離れて施設が家庭の子。「へっぴりよめさま」だけでは救われない。「一夫一妻制が幸せ」という常識を撃つ物語が、どうしても必要だった。子どもたちに見せる芝居だから、両親揃っていなくても伸びやかな幸せの道があることを、どうしても提示しておきたかった。
そこで、猿に嫁入りし、実の親兄弟から最愛の猿を殺されて、それでも「獣としての猿」として生きていく。そんな物語が必要だったのだ。
母親しかいない家庭でもいいじゃないか。父親しかいない家庭でもいいじゃないか。施設が家庭でもいいじゃないか。
多様な家庭の形が肯定されるべきだ。マイノリティであっても、堂々と胸をはってよいのだ。そんなメッセージを、子供たちに伝えたい。
12月の定期公演は「へっぴりよめさま」と「すてこ恋唄」。枠にはめられた女性像を軽やかに蹴っ飛ばし、マジョリティの幸せな「一夫一妻制」を蹴っ飛ばす。どんなマイノリティの家庭に育っている子でも、楽しく、手に汗を握り、そして深く息のつける連作お芝居。そんなものとして上演したい。
そのために、もう少しだけ焦らず推敲を。しっかりとした推敲を。
【釜】
Calendar
<< 2012/9 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>記事一覧
できたぞ!とりあえず。
- Date:2012/09/29(土)21:50
音符を刻む、言葉を刻む。
- Date:2012/09/26(水)21:34
「エイサー、お囃子メドレー」練習中。
お囃子新曲二曲を除いて、今まで既出の演目ばかりだ。ところが、芝居の合間にプレイするのと、それ自体を独立した演目にするとでは、わけが違う。より魅力的に「音楽」としての成立が求められている。
今まで和太鼓を四分音符で刻んで打つのと、八分音符で打つのでは、少しくらいアバウトでも、まあ許された。だが独立した演目となると、そうはいかない。音符を正確に刻む力が必要だ。
それと同じく、言葉を刻む努力がいる。
エイサーやお囃子に触れて触発されプレイできるようにしてきた。そんな劇列車の僅かばかりの歴史がある。
そこには、いろんな発見や感動があったはずなのだ。例えば、昨日の稽古であっても、ヤマトのお囃子に琉球風の合いの手を入れて、合わなかったではないか。それこそが、ヤマトと琉球の文化の違いではないか。
そんなひとつひとつの発見を、自分の言葉で語り、お客様と楽しい時間を作ることができるように、ちゃんと語り言葉に練り上げる。
言葉も刻むべきなのだ。
「エイサー、お囃子メドレー」たかが15分から20分の作品だ。
だが、その時間をお客様と作る楽しい時間とするために、音符を刻む。言葉を刻め。
そこを蔑ろにしてはならない。当たり前のことだ。
【釜】
行ってきました。~原発とめよう!九電本店前ひろば
- Date:2012/09/24(月)22:13
本日、「原発とめよう!九電本店前ひろば」で行われている、テント村(いわゆる座り込み)に行ってきました。
2011年4月から行われているテント村。今日で通算523日目。
時間の都合が許せば、行きたいと思っていたテント村。
13時から16時半までの4時間半、テント村のみなさまと一緒に意思表示をさせて頂きました。
写真は、テント村のようすです。
横断幕の横2枚のプラカードは、私が持参したものです。
こちらのサイトから、お借りいたしました。
〔脱原発ポスター展〕
「おかあさん、どうしよう。」(子どもが鼻血を押さえている様子の絵/鹿子木 美さん)
「放射能は人から人へは移りません 福島のおともだちとも仲良くしてね」(子ども同士が手をつなぐ後姿/kwanさん)
ドキッとするメッセージばかりです。
別件ですが、先日「NPO法人こどもあーと」主催の子どもの体験活動を支える青年ボランティアのための講座「あにまプロジェクト」に行ってきました。
そこで、大分大学名誉教授・軸丸教授がおっしゃってあった言葉あります。
『ジャガイモではなく、サトイモになれ。』
ジャガイモは、まず種芋を植えます。そこからグングン成長し、新しいジャガイモが収穫できる頃には、親となる種芋は養分を全て子に与えて枯れてしまいます。
一方サトイモは、新しいイモを収穫する頃には、親イモも子イモと同様に大きく成長しています。
つまり、新しい世代に・子どもに与えるばかりではなく、自分自身が・あなた自身が成長しなければならない、というメッセージです。
「私の時代には原発があって、事故起こって、住めなくなったけど、私は先に死ぬからし~らないっ。」
「あとはそこに住むしかなくなった子孫が、いいように考えてくれるでしょ~。」
「えっ、放射能がなくなるまでにウン十億年かかるの!?…でも私死んでるから。」
これでいいのでしょうか?
恥ずかしくないのでしょうか?
私は、恥ずかしいです。
今、NOと言わなければ。
--関連ブログ-----------------------------------------
【2012年7月16日】
子どもの未来を守ろう!~さよなら原発!7.16福岡集会
【尚】
新作!民話劇「すてこ恋唄」
- Date:2012/09/23(日)20:28
本日、1週間ぶりの稽古!
先週は台風が接近していたこともあり、稽古が中止となってしまっていたのです(T~T)
お囃子の新曲2曲も、だいぶいい感じに3人の息が合い始めました(*^0^*)
初披露となる秋月語りのまつりまで、あわせ稽古はあと3回。
個々人で練習をしていますが、あわせ稽古も肝心。弱点を指摘しあい、可能な限りベストな状態に持っていきたいところです。
さらに今日はなんと、新作民話劇「すてこ恋唄」を、ちらりと読み合わせしました!
(なぜ“ちらり”かというと、釜堀氏が持ってきた台本は、物語の9割ぐらいのところまでしか創られていなかったのです(笑))
釜堀氏によると、残すはクライマックスを書くのみとのこと。
9割完成台本の読み合わせでも、なかなかにいい感じの出来具合が目に浮かびます(● ̄▽ ̄●)
あぁ、完成台本が楽しみです~♪
【尚】
仕事が休みの一日
- Date:2012/09/21(金)18:26
写真は今年の初見の彼岸花。
本日は仕事休みの日だったため、劇列車の活動に集中。
午前は筑紫野で、公演オファーの協議。どうなるかは未定ですが、ご縁がつながるとよいですね。
午後は新作民話劇「すてこ恋唄」の原稿執筆に、汗を流しました。まだまだ起承転結の「起」の部分。
三人で数多い登場人物を演じるために、いつも工夫がたいへんなのです。演じわけるためのツールは「仮面」。ですから最近は「仮面劇の劇列車」と言われたりします。
多くのキャストを投入すると、巡回公演の小回りが効かなくなりますから、ここは工夫のしどころ。
「すてこ恋唄」には、神楽のお囃子が初登場予定。導入のつかみ、場転は、時にはゆっくり、時には早いテンポのお囃子でやるつもりです。
もちろん演者が演奏。神楽笛二本に締め太鼓でやりますよ。
【釜】
定期公演チラシ、表面ほぼ完成!
- Date:2012/09/20(木)21:24
さて、定期公演へ向けて釜堀が新作脚本づくりを行っていますが、並行して広報活動も進んでいます(*^0^*)
まずは広報の第一歩となるチラシ。
こちらの表面デザインはほぼ完成。
文言については、もう少し練り上げたいところ。事務局会議で詰めていきたい( ̄へ ̄*)
裏面は手分けして、古賀が担当。
みな、分担した仕事を忙しい合間を縫って進めています。
チラシづくりであっ!と気づいたこと。久留米市の名義後援申請が出遅れたっ!
大至急書類を作り、明日窓口へ持ち込む予定。
後援決定は、チラシ印刷に間に合うでしょうか…(TへT;)
【尚】
皆さんの頑張りに触発されて
- Date:2012/09/17(月)21:20
昨日は久留米で活躍されている劇団ゼロの公演を観劇。
今日は八女で活躍されている劇団リトルウィングの公演を観劇。
それぞれに特徴があり、それぞれに頑張ってある。地域の中で地域の人々を相手に、演劇公演を成功させるために注ぎこまれている知恵と工夫、時間と労力。その一つひとつが、私たち劇列車を刺激する。
劇列車12月の定期公演は「親と子の民話劇場〜すてこ恋唄(併演へっぴりよめさま)」だ。
すてこ恋唄の脚本は、書き始めたばかり。あとニ週間で脱稿したい。
無謀だが、その分ウンウン唸っている。その苦しい時に、昨日と今日と見せていただいた公演に感謝。
恥ずかしながら、恥ずかしくない劇列車定期公演にむけて、しっかり頑張りますばい。
まずは、脚本に油汗を流していきます。それが「よき公演」「劇列車の一歩前進」につながる第一歩。
【釜】
記憶と物語
- Date:2012/09/16(日)10:43
昔話、民話。それは集団的記憶の所産だ。つまり、集団によって紡がれた物語である。
この場合の「集団」とは空間的、地理的に広がる集団というよりも、親から子、孫へと続く時間的集団を指すのだが…。
そして民話は、自然や風土、産業や地域社会、民俗文化の色が反映されたローカルな物語でもある。
つまり民話を、時間的集団が形成する地域コミュニティーの物語と呼ぶこともできるだろう。
明治以降の大日本帝国は、地域コミュニティーの中央集権化を図って成功した。その結果私たちは、もはや明治以前の地域コミュニティーの具体像を鮮明に描くことができないでいる。(明治の南方熊楠の神社合併反対運動は、中央集権化に対する抵抗とみると、その意味がよくわかる)
また戦後日本の高度成長期からバブルにかけての社会変貌で、地域コミュニティーはかつての姿を留めていない。衰弱の極みにあるといってよいだろう。
その過程で、昔話の継承は断絶した。いま生成しつつある昔話は、かつての姿を留めていない。
例えば「学校の怪談話」は、松谷みよ子氏に言わせると、生成しつつある現代民話である。「都市伝説」は、一定の歳月を経て語り継がれることで、現代民話へ移行していくものと思われる。
そこには、もはや狐も狸も、田畑も農作も出てこない。出てくるものは、学校であり、コインロッカーであり、マスクをして夜に佇む女であり、笑うベートーベンの肖像画であったりする。
ところが、不思議なことに都市伝説との境界もまだ不鮮明な現代民話に、昔話を構成していた物語要素が生きているのである。話型が同一で、話しの具体像だけが変わっている現代民話もある。例えば「コインロッカーベイビー」の話しは、ヤポネシア列島各地に伝わる「子殺し話し」と、話型がまったく同一である。
私は、そこに私たちの文化的DNAを見ている。
さて、日本社会の急速な変貌は、地域コミュニティーの崩壊と民話の断絶をもたらした。けれども私たちの文化的遺伝子は、早々に消滅したわけではない。新たに生成しつつある民話にアンテナを張り、その物語化を図ることも大切な仕事だ。
だが、次のことが私のやるべき仕事だと思えてならないのだ。
それは断絶した民話を、グローカルに再創造していくこと。そこから、私たちの文化の植民地性を洗い出し、ポストコロニカルな私たちの物語を生み出すこと。生み出されたグローカルな物語を楽しむ広場(精神的コミュニティー)をつくること。
高度成長期に青春を送り、民話や民謡、民俗文化を毛嫌いし、クラシックや西洋演劇やハリウッド映画、フォークやロックを有り難がった私は、失った文化的欠落部分を、いま埋めていきたい。私のコロニアルな文化的価値観を転倒していきたいと願っている。
それは50代に入った年齢のせいかもしれないが…。
けれども、有り難がってきた文化的価値観を転倒する個人作業が、現代日本の文化革命と、どこかで強くつながっていることを感じてならない。
【釜】
子ども劇団たーびゅらんすのお手伝い
- Date:2012/09/15(土)23:31
本日は「子ども未来館・子ども劇団・たーびゅらんす」にお邪魔しました(*^_^*)
いつもお世話になっています、(特)こどもあーと。
子ども達と演劇を創っていく過程で、私自身勉強させて頂いています。
直近の舞台は10月20日(土)21日(日)に行われる杷木文化祭。
初めて演劇をする子もいます。
初めてではない子もいます。
演劇が、関わった全ての子ども達にとってそよ風のようになれたら。
心地よく暖かく、大人と子どもが演劇でコミュニケーションを楽しめたら。
そのように願いながら、微力ながらお手伝いをさせて頂いています(^^ゞ
【尚】
批判すべきことは批判すべきなのだ
- Date:2012/09/13(木)21:34
「PINstage高崎のさくてきブログ2」の昨日9月12日のブログを紹介しておきたい。
十分な知識を踏まえもせず、本土人の沖縄理解に対するミスリードとなるであろう、沖縄への予断と偏見に満ちた記事が書いてある。
福岡市近郊の若者演劇に、それなりの影響力を持つであろうブログ主の見解であるだけに、コメントする意味もない駄文とは思うが皆様に紹介をしておきたいと思う。読んでみて皆様方それぞれが判断されてみて欲しい。
単なる私的ブログ以上に影響力あるブログと考えるので、沖縄で基地と闘う人々にも紹介しておきたいと思う。
私見であるが、やはり伝えて紹介しておかないといけない文章と思えるのだ。
さて明日は、脱原発官邸前抗議行動。18時から20時。
福岡県では、福岡市で九電本店前抗議行動、北九州市でも小倉リバーウォークで抗議行動が行われる。いずれも18時から。
行ける人は行こう!
未来と子どものために原発を止めよう!
そして沖縄で基地と闘う人々に連帯しよう!原発問題と基地問題は、同じ根っこから生えた二つの枝だ。
暮らしと表現。そこに根っこをはやして、根気強く訴え、人の輪を広げいこう。
【釜】
とやま旅日記コーナー、新設!
- Date:2012/09/13(木)21:32
とやま世界こども舞台芸術祭2012出演から1ヵ月が過ぎました。
遅ればせながら、HPに「とやま旅日記」と題し、舞台芸術祭に出演した際の写真をまとめてアップいたしました(*^_^*)
会場の様子はもちろん、道中の寄り道した場所場所などもまとめて掲載。
改めて、本当に多様な学びを得ることができた5日間だったな~と感じました。
そのとやま旅日記コーナーは、こちらから。
ぜひ、読んでみて下さ~い(● ̄▽ ̄●)
【尚】
沖縄。文化と基地。
- Date:2012/09/11(火)18:41
9日日曜日は、沖縄ではオスプレイ配備反対の県民集会があった。10万人が集まったそうだ。
私たちは、劇の合間にエイサーを踊っている。いまはエイサーとお囃子で15分から20分のパフォーマンス「エイサーメドレー」を造っている途中だ。
文化は、風土と歴史と暮らしの所産である。そこから切り離された文化は枯れるか、造花となるかだ。いずれにしても、その生命力が絶たれていく。
エイサーメドレーを実演するヤマトンチュとしては、沖縄の歴史と暮らしへの視野を育んでおかねばならない。それなくしての実演は、形のコピーにすぎない。
他地域の住人がその地の民俗芸能を学びとる際に、心しておかなくてはならないことだ。
沖縄は明治の琉球処分以来、長年に渡って本土政府に利用され、犠牲を強いられてきた。米軍基地問題は、米軍政府と日本政府双方からの犠牲の押しつけである。これほどまでに他国の軍隊がわがままな振る舞いを許されている地域は、世界の中でも数少ない。
基地撤去を求めるにせよ、基地に依存するにせよ、沖縄の文化は基地との緊張感の中で歩んできた。沖縄の心に関心を寄せて、沖縄の心に共感を寄せる。
大切なことだと思っている。
【釜】
「すてこの恋」~定期公演タイトル
- Date:2012/09/09(日)21:46
さて、本日午後より劇列車稽古。
ミーティングもしっかり行い、秋月語りのまつりについて打ち合わせ。
そして、定期公演のタイトルも決定!
冠タイトルも合わせると…
親と子の民話劇場
「すてこの恋」
(併演:へっぴりよめさま)
と、このように決めました(*^0^*)
「すてこの恋」とは、先日釜堀さんがブログに書いていましたが、「猿婿入り」話のこと。
併演する「へっぴりよめさま」の衣装も手直しが入り、いよいよ定期公演へ向けて本格始動です!
朝夜はすっかり肌寒い風が吹くようになりました。
写真は、1ヵ月前に撮影したひまわりの写真。
もう夏も終わりですね(*^_^*)
【尚】
猿婿入りの話
- Date:2012/09/06(木)19:44
猿婿入りの話とは、東北から九州に広がる異種婚姻昔話の一つだ。
異種婚姻話という点では、鶴女房や蛇女房と同じである。これらの話は、男のもとに女がやってきて婚姻関係に至り幸せに暮らすが、女の正体がバレると、別離が訪れる。
ところが猿婿入り話は、猿が人間の女を妻にするのである。この話は例外なく、婚姻対象とされた女たちが断り、三女が結婚することを引き受ける。そして三女は、人間の知恵を振り絞って猿を殺し、無事に村に帰り、幸せになる。
猿はそれでも、妻となった女を恋しがりながら、死んでいくのである。
死にゆく猿が辞世の詩を詠む話型があるので、この話は「うたよみざる」と名づけられたりしている。
話の語り手たちが、あまりに猿が可哀相だと考えたか、それで猿が辞世の詩を詠んだというエピソードがつけ加わったと主張する人々がいる。真偽はともあれ、見方によっては、人間の知恵の勝利話ともなったり、可哀相な猿への同情話となったりする。それが猿婿入り話だ。
さて、猿を殺した三女は、その後生涯に渡り、愛してくれた猿以上に、愛を注いでくれる男に巡り会わなかった、という話にするとどうだろう。
たかが猿ごときに愛されても、嬉しくもなんともなかった。むしろ厭わしかった。妻になることが、どうしても嫌だった。だから拒絶した。
けれども、それ以上に愛してくれる人間の男がいなかった、という話にしてみるのだ。
すると、猿を蔑みの目でしか見ることができず、あれほど厭わしかった日々こそが、三女の人生の最高の日々だったことになるのではないか。
猿婿入り話から、人の差別意識と社会の差別構造、共同体からの排除という問題系を見ることができる。三女にとってみれば、猿がどんなに愛してくれても、その愛を受け入れることは、人間社会から排除され差別される存在となることだった。だから猿を殺した。けれども彼女を愛したのは、その猿だけだったのなら、もしかしたら、人間社会から排除されることが幸せだったのかもしれない…。
とすれば、猿婿入り話は、強烈な反差別、人間社会多数派の常識へのアンチテーゼの色合いを見せてくる。
じつは、猿婿入り話の劇化は、私にとって「へっぴりよめさま」の抱える課題への答えである。
いま小中学校に通う子どもの家庭の数分の一は、片親の家庭だ。「両親そろっての家庭が普通の家庭」という図式はとっくに崩れている。多様な家庭のあり方を認めあっていかなければならない。
多様な家庭を認めることは、多様な愛の形を認めあうことにつながる。同性愛もふくめて。
猿婿入り話は、多様な家庭に育つ子どもたちが、ゆっくり深呼吸できる作品にしたいのだ。
私は、この1ヶ月、「へっぴりよめさま」の限界の答えとなる民話を探してきた。東北から九州までの民話集を漁った。いまのところ、「へっぴりよめさま」の抱える限界は、猿婿入り話で超えたいと思っている。
〈「へっぴりよめさまの限界」とは、家族が多様化した現代日本の子どもの実態からみて、男女のハッピーエンドに終わる話が、ある子どもたちに疎外感を提供することにつながらないか。そういう心配を払拭できないことである〉
【釜】
出演者、決定!~秋月語りのまつり
- Date:2012/09/03(月)20:59
毎年10月初めの土日に、朝倉市秋月で開催している「秋月語りのまつり」。
今年の出演者・出演団体が決定いたしました!
ご応募いただいた皆様、ありがとうございます(*^^*)
今年は、7個人・2団体による協演となりました。
本祭では、毎年音響スタッフとして出演者の皆様のお手伝いをさせて頂いているのですが、今年も皆さんの作品をとても楽しみにしております(*^0^*)
また、私たちもエイサー・お囃子メドレーを上演する予定です。
お囃子の新曲目「姥神の祭囃子/帰り山」もお披露目予定。
さて、チラシが出来上がりました。
これから順次、皆様のお手元にお届けして参りたいと思います(^^ゞ
まだまだ残暑続きです。
10月となれば、過ごしやすく、紅葉のきれいな季節となっているでしょう。
その素敵な季節に、小京都とよばれる秋月で「語りのまつり」を見に来ませんか?(*^_^*)
10月6日(土)が前夜祭、7日(日)が本祭となっています。
詳しくは、イベント情報をご覧ください。
皆さんのご参加、お待ちしておりま~すo(*^0^*)o
【尚】
九州の南方性
- Date:2012/09/01(土)22:03
富山までお芝居で足を運んで、じつはある発見をしていた。それは九州は南国だということだ。
理屈や言葉では言われることだ。だが1月の福岡平均気温は約7℃。関西東海、関東沿岸部と変わらない。南国だと言われても、生まれ育った人間として実感はなかった。
けれども、北陸をえっちらおっちらアチコチすると、明らかに風土の差があるのだ。
直感的なものだが、合掌造りの家に飾られた「土人形」の数々や高岡七夕祭りで、それを感じた。
北陸の風土から生まれているのであろう「土人形」や祭りの精神性は、九州と異質である。開放的ではないが、深く厚みがある。
九州の開放的精神性は、北陸に比べるとむしろ琉球に近いようだ。
もちろん琉球には、ヤマトとは違った風土と歴史、文化と言語がある。日本語の琉球方言と本土方言の差違は、英語とドイツ語の差違より大きいと言われる。つまり、国際的には本土語と琉球語と分けて考えたほうがよいと言われている。
その差違を認めたうえで、九州は北陸の精神文化より琉球に親和性があるのではないか、と思えるのだ。
これが富山をアチコチした一つの収穫である。
さて劇列車は「九州民話芝居」に取り組んできた。九州民話にもヤボネシア列島全域に広がる類話が、いくつもある。山姥話、屁こき女房話、猿婿話などは、東北から九州まで広がる類話だ。
だが富山に行って、その風土文化の地層の異質性に気づいてから、東北民話をかなり読んでみた。すると九州民話とは違った異質な話の数々に遭遇している。
一つ例をあげるならば、九州に龍をとりあげた話は少ない。代わりに多いのが大蛇話なのだ。文字に記録された九州民話を読んでいても、柳田国男「遠野物語」との近接性を感じない。だが東北民話を読むと、柳田国男の採録したフォークロア「遠野物語」と地続きであることが、はっきりと感じとれる。
宮沢賢治文学が民話文化を土壌としていることを、知識としては知っていた。だがどうにも、九州民話との近接性は感じとれなかった。東北民話を読むと、賢治文学が民話を土壌としていることがはっきりわかる。
こんな発見は、富山まで出かけた旅の副産物である。なんと面白いことか。
高度経済成長以後、ヤボネシア列島の平準化が極度に進んだ。どこに行っても同じ街並み、豊かで多彩な地域文化の消滅や破壊。そこでは文化価値を図る物差しの中央集権化も進んだ。
自分たちの地域文化の価値を、東京という物差しで図るのだ。これは倒錯である。
長い間、私たちは倒錯した物差しをスタンダードとしてありがたがってきたのだった。
民俗民話文化に触れきて、私は隠れた地域の歴史文化地層や、各地の差違の面白さに気づいてきている。
平準化が進んでしまい、住んでもいない愛着もない東京基準を押しつけられることに息苦しさを覚える。隠れた文化地層に触れることができると、深く呼吸ができるのだ。
【釜】