Calendar

<< 2013/6  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

記事一覧

巡回公演へ

朝は土砂降りの雨だったのに、いまは嘘のような青空が広がっています♪


さて、昨日は、久留米市金丸校区コミュニティーセンターにて巡回公演。

ワイワイキッズの七夕会へ、おじゃましました(*^o^*)

「たんぽこたん」と「へっぴりよめさま」にお囃子・エイサーを組み合わせての45分。

目の前で展開していくお芝居ならではのライブの楽しさを味わってもらえてたら幸いです。

また、関わってある大人の皆さまが、毎月のイベントを企画し、運営してある姿から、こどもたちのために…という想いがひしひしと伝わってきました。

そんな想いに、応えられていましたら、とても嬉しく思います。

【法】

明日は巡回公演

明日は、久留米市金丸コミュニティーセンターで、子どもと親子対象の巡回公演。

7時仕込みスタート。9時半開演。『たんぽこたん』『へっぴりよめさま』の組み合わせ。5時起きとなるので、もう寝ます。巡回公演が出来ることに感謝!見てくれる子どもたちに、生の人間がつくるドラマの肌触りと面白さ、民話の魅力を伝えたい。がんばります。

本日NPO維持会員が一名増。その方からは、巡回公演支援プロジェクト『たんぽぽプロジェクト』にも、ご寄付をいただきました。
本当にありがとうございますm(_ _)m皆様のご支援に恥じない活動に、一層邁進いたします。厚くお礼申し上げます。

【釜】

短いブログですが、感謝!

劇団通信36号発行郵送に伴い、劇列車維持会員の皆さんより、今年度会費の振り込みが続いています。
今日も、お一人のお振り込み通知が、ゆうちょ銀行から来ました。

『あらゆる子どもの文化享受のために、大人がつながろう!』という劇列車のような活動は、決してトレンディーではありませんし、むしろ反時代的な活動です。
それなのに、可処分所得が減り逼迫していくご時世に、貴重なお金を会費として送金していただいている皆さんに、厚くお礼申し上げます。
ありがとうございます。

劇列車は『あらゆる子どものために』人が出会う広場であります。その活動が十分だとは申しませんが、維持会員の皆さんとともに、子どもを中心に置いて、大人の損得を無にした活動を、今後も発展させていきます。

維持会員の皆さん、今年度も劇列車をよろしくお願い申し上げます。
よろけるように走る劇列車ですが、精一杯の活動を進めてまいります。

【釜】

おっかあ面!

ファイル 974-1.jpg

夏至の季節。
日が長くなると、早く目覚めて活動時間も長くなる。人間といえども、地球という惑星に生きる生き物なり。自然のリズムと体内リズムが共鳴しあう。それはいいことだ。自然のリズムを感知できなくなった体はどこかで狂いだし、人も生き物であると感じる感性を無くす。
人間も動物も植物も、等しく同じいのちである。

『タヌキとゆうれい』のおっかあ面が、ほぼ完成(写メがおっかあ面)。この面だけは『張り子面』ではなく、紙製にわか面だ。まあ、良い仕上がりかな。『タヌキとゆうれい』は、私たちのステップアップを示す作品だ。小道具にも力を注いでいる。

アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『マルチチュードの民主主義宣言』を読む。
ネグリに言わせると、現在のグローバル経済は、国民国家の上位に君臨するグローバル企業と1%の人々による『グローバル帝国』である。
この見方は、現代資本主義の姿をリアルに捉える上で、貴重な観点を提供してくれている。
また現代資本主義をグローバル帝国としてとらえると、かつての古典的な階級階層概念が無効となってくることがわかる。階級階層概念は、国民国家概念と連動して語られてきた概念でもあるからだ。
だからネグリは、古典的階級階層概念に変わるものとして、1%に対峙する99%の人々を『マルチチュード(』として捉え直している。そして2011年を、マルチチュードの運動の新しい展開が始まった年としている。中東の春、オキュパイウォールストリート。この国の脱原発運動の新しい展開も、これに入るだろう。

…ネグリの著作は、射程圏が広くかつ深い。その話に入ると、とても長文な文を書かなくてはならなくなる。また刺激的なネグリの主張を、読後直ぐにはうまく言葉に出来ない。
ただ、これは大変示唆に富む著作だ。いずれそのうちに、ブログに書いてみたい。

さあ、今から入念なストレッチと演技の自主トレだ。これ、最近気づいたが、ストア派的禁欲主義ではない。エピクロス的快楽主義である。
いろんなどうでもよい欲望から自由になり、節制によるシンプルな生き方を快楽とするエピクロス的な快楽を生きているのだ、私は。つくづく実感している。それにしても、私の日常が克己主義ではなく、快楽主義だったとは、なんとも気がつかなかった次第。

【釜】

「タヌキとゆうれい」お披露目まで1ヵ月!

今年最初の台風は、南九州に上陸したももの私たちの住む九州の北にはやってきませんでした。
とはいえ多量の雨は昨年の豪雨を思い出し、少しゾッとする感覚でした(~へ~;)

さて、夏の夕すずみがてら民話劇を!というコンセプトで企画した「タヌキとゆうれい」まで1ヵ月を切りました。
稽古に熱が入ることは言うまでもありませんが、人形やお面づくりも根詰めて進んでいます。

私の担当は人形。
20cm×20cm×30cmの発泡スチロールを削って、ゆうれい人形の頭を作っています。

削り終わった顔を見て、なかなかに…コワイ(笑)

とはいえ、ユニークな表情(*^0^*)
これから紙を張る作業、着色する作業と続きます。

四苦八苦しながらの人形作り。あれこれ考えながら削ってみるのも楽しいです。

さあ、紙張り作業がんばるぞー!

【尚】

私たちは《広場》をつくっている

秋月ミニライブも、4月から数えて三回目。さすが6月のライブでは、暑さと日差しに汗だくとなったが、あることが見えてきた。

なんにしても、歩きながらでなければ、やっていることの本質が見えてこないものだ。三回目にして、秋月ミニライブの本質が見えてきた。

それは《広場》づくりなのだ。そう思う。5月には和太鼓集団とご一緒させていただいた。6月にはフォークソングの歌い手たちと、ご一緒させていただいた。そこから見えたこと。私たちは、人と人が出会い共感し、ステキな時間と場を共有する《広場》をつくっているのだ、と見えてきた。

考えてみれば、劇列車の全活動が《広場》づくりにあると言っても過言ではない。誰もが対等で、地位や名誉と離れた(むしろ出会いの邪魔となる)、自由で魂が新しくなる場。そんな場を可視化して具体的につくりはじめたのが、秋月ミニライブなのだ。

なんだ、そういうことだったんだ…。今後秋月ミニライブに、どんな方が実演をしにいらっしゃるのだろう。私たちは私たちで、民話劇を実演している。その場に、どんな方々がいらっしゃって、どんな実演をすることになるのだろう。

楽しく心が弾む。秋月ミニライブ、広場づくり。皆さん、冷やかしに遊びにいらっしゃい。お客様が多いわけではないけど、そこに確かに、なんだかホンワカと素敵な場が生まれているのです。まだふ化する前の卵のような小さな場なのですが…。どこにもない場が、確かに生まれつつあるようです。

蛇足ですが、秋月稽古場の名前は、『山猫まだん』とでもしましょうか。まだんとはマダン。ハングルで『広場』。この国に今必要なのは、名もなき庶民たちの自由で対等な共感的広場なのだ、そう思えてなりません。

【釜】

秋月ミニライブ

今日は、毎月第3日曜日に開催している、秋月ろまんの道での、野外ミニライブの日。

今月は、お囃子・エイサーメドレーに加え、民話劇「へっぴりよめさま」も上演。

天気は晴天!
絶好の野外ライブ日和と思いきや、気温はぐんぐん上昇(>_<)

14時半からという一番暑い時間帯でしたが、観ていただいた皆様、本当にありがとうございました(*^o^*)

また、12時からは、愛称「西日本新聞さん」、そして天神にあるフォーク喫茶「白いギター」の店長さん、それぞれのギター弾き語りもありました。

また来月もご一緒できるということで、楽しみです♪

皆さんも、ぜひ秋月に遊びに来てください!

【法】

苦海浄土を読む

『水俣な人』から続いて、『苦海浄土〜第二部神々の村〜』を久しぶりに読み返した。

そこにある言葉は、水俣の言葉だ。共通語ではない、風土歴史文化に根ざした水俣の言葉。月並みな表現だが、豊穣なのだ。
共通語で語ることの出来ない庶民の世界がある。庶民の心がある。
共通語を巧みに操れないが、心と言葉が一体であり、言葉とからだが一体である人々がいる。『苦海浄土』に登場するフミヨさんも、師匠も、おマスさんも、そんな人々だ。
今はもう逝ってしまった私の祖父や祖母や、それにつながる人々も、そうであった。地域の言葉で話し、心と言葉が一体だった。

『苦海浄土』には、凄惨な水俣病の病苦とこの世の地獄が描かれている。けれども、透き通った無限の優しさと悠久の時間に包まれたような気分になる。心地よい。それは登場人物たちが、祖父祖母につながるような懐かしい庶民たちであるからだろう。

そんな庶民の発する土地の言葉の奥行きと幅に、共通語はとうていかなわない。
それに加えて『苦海浄土』の言葉は、近代を遡って近代を超えて、悠久に迫る言葉である。
私には、そんな言葉を紡ぐ才がないが、どうやら味わう才くらいはある。

『苦海浄土』水俣言葉の言霊の魅力に浸りながら、私の土地言葉を少しでも自在に紡げるようになりたい。
聞く機会も少なくなったけれども、田んぼの畦道で聞く土地言葉から、ステキな物語を紡ぎたい。それは時代錯誤(アナクロリズム)ではない。私の中に巣くう悪しき近代主義を相対化する作業、私の心が深呼吸をするための作業である。

『苦海浄土』を読んで、そんなことを考える。私の作りたい物語への想いを新たにする。

【釜】

秋月ミニライブのお知らせ!

ファイル 969-1.jpg

6月16日(日曜日)は、第3回秋月道ばたミニライブ〜民話劇へっぴりよめさま〜です。

時間は14時から14時半のどこかで開演。場所は『ろまんの道』です。覗き見無料、投げ銭制。

この日は、ギターの弾き語りも登場。愛称『西日本新聞さん』。私たちが第三日曜日に、秋月ミニライブを始めたことで、表現したいものを溢れるくらい持った人々が、いつのまにか集まってくるようになれば…。
だから大歓迎です、『西日本新聞さん』。表現の場所を共有しながら、それぞれが独立していて、けれどもどこかで刺激しあっている…。そんな場が出来ていけば面白いなぁ。

『西日本新聞さん』、お会いするのは、昨年年末に参加させていただいた秋月ろまんの道での『蠣パーティー』以来ですね。
またステキな弾き語りが聞けるかと思うと、とっても楽しみです。
皆さん、山に囲まれた筑前小京都秋月にいらっしゃーい。私たちの半野外民話劇も見て欲しいけど、『西日本新聞さん』の弾き語りもステキですよ!

【釜】

劇団通信を発送

今日は、劇団通信「劇列車がやってくる」の発送を行いました。

第36号をお届けします(*^o^*)

今年度最初の通信ということで、2013年度の事業計画を中心に、このブログでは度々紹介している秋月での稽古場などを特集しています。

公演案内や、新しくなった維持会員(サポート会員)募集のパンフレットも一緒に同封。

約3時間の作業で終了しました。

通信の郵送は、維持会員の方へはもちろんですが、定期公演やイベントなどのアンケートを通じて、読者の方も年々増えています。

直接反応が帰ってくるわけではありませんが、劇列車がどういう想いでどういう活動をしているのかを知っていただける大切な機会です。

【法】

おかめ面完成!

ファイル 967-1.jpg

『タヌキとゆうれい』に使用するおかめ面が完成!製作期間1ヶ月。
劇中登場人物おかめが被るおかめ面です。張りこで作る技も、少しずつ上達。愛嬌のある顔立ちになりました。被って喋るため、鼻から下がないニワカ面方式。型づくりと彩色は、まだまだ試行錯誤中。苦労しています。

さて本番に向けて、次は宇受売(うずめ)面にかからなくては。

夏休み!夕涼み!民話劇をみよう会『タヌキとゆうれい』は、7月20日土曜日19時から。福岡県朝倉市秋月『ろまんの道』にて。
観覧無料。終演後のバーベキュー会は有料(バーベキュー会は希望者のみ。予約制。大人1500円、子ども500円)

山里で夕涼みしながら、半野外での民話劇観覧。いらっしゃーい!
(追伸。昨日秋月で稽古していたら、ホタルが飛んでいました。そんな自然に囲まれた山里での半野外民話劇上演です)

【釜】

『水俣な人』を読む。

水俣とは、もちろんミナマタだ。この本は新刊。水俣病患者さんたちの支援者だった作者が、同じ支援者だった仲間の今を確かめるため、全国行脚をして、したためた本だ。

皆さん、よい年の取り方をしている。若い頃、水俣に足を踏み入れた体験を大切に抱えて、人生を歩まれた名もない市民たち。なぜか読みながら、涙が出て仕方なかった。

私も1980年代の前半、支援者の末端を汚した端くれだった。ミナマタに足を踏み入れていた知人の紹介で、患者支援者のつくる無農薬甘夏みかんの産直運動に協力していたし、水俣の産直農家に泊めていただいて、不覚ながら焼酎を前後不覚になるまで痛飲した。若さにまかせた恥ずかしい体験だった。

しかしミナマタは、当時の未熟な私には重かった。世の中がバブルに向かう中、いやらしくも都市型小市民生活に埋没していった。あれほど嫌っていた都市型消費生活に飲み込まれていった。

劇列車を始めて5年がたった頃、劇団研修でミナマタを訪れた。約25年ぶりくらいのミナマタ再訪だった。不思議なことに、若い時あんなに重かったミナマタに、自然体で再会できた。構えて行けなかった相思社にも行けた。乙女塚にも行けた。
私が人生の年輪を重ねたことも一因だろう。だがそれだけではない。劇列車運動という、ほとんど世間的には理解されない活動に取り組んで、やってなければ味わうことめなかった辛酸をなめてきたから、自然体でミナマタに向き合えたのだと思う。劇列車運動は、辛酸の体験であり、だからこそ楽しく、もう一つの幸せを遥かかなたに見ることができる幸せな体験だった。今も、もちろんそうなのだ。劇列車を通じて未来を見つめる眼差しは、どこかでミナマタと支援者たちに交差していることを実感している。

支援者の端くれのそのまた外周にいたような人間だが、やっとミナマタ支援者たちの生き様に、不覚に涙してしまうくらいには共感できる、少しくらいは真っ当な人間になってきた気がする。

『水俣な人』、労作である。ステキな本に出会えて良かった。

【釜】

新作「タヌキとゆうれい」初演会へ向け

新作「タヌキとゆうれい」のお披露目へ向け、着々と進んでいます。
人形担当、小道具担当、お面担当…それぞれの担当を振り分け、「どんな肌触りの作品に仕上げたいのか」というイメージを共有しすり合わせながらの製作です。

お芝居は、創作に関わる全ての人間が、どんなものを創りたいのかというイメージの共有が出来ていなければ創れません。
複数の人間で創り上げる芸術(芸能)であれば、演劇に限らずいえることだと思います。

イメージの共有は、一人の人間が考えたものを伝達して全員がそれを踏襲するという方法もあると思いますが、それだけでは面白くない。
一人の人間が考えたものであっても、それを別の人間が吟味し、異なる味付けを加えてみる、これが伝統芸能にはない醍醐味だと思います。

私は人形作りを担当していますが、デザイン画が二転三転。
こんな人形と思い描き、しばらくすると別の人形にしてみたくなります。

とはいえ、初演日は7月20日。すでに決まっています。あまり悠長に構えてもいられません。

「タヌキとゆうれい」。
はてさて、どんな作品に仕上がることやら。
楽しみです(*^0^*)

【尚】