毎年恒例の「秋月語りのまつり」。語り系と音楽系の地域表現者の発表交流会。劇列車主催イベントとして、すっかり定着しました。
今年の参加団体・個人は、8団体・個人。過去最高です。
とまあ、こじんまりしたイベントなのですが、秋月観光客の皆様も足を止めて見学され、参加者・見学者合わせて、百数十名の会になっていす。
劇列車としては珍しい大人向け企画ですが、考え方は同じ。人と人のつながりの中で、お金で買えない楽しみの時間をつくるのです。
人の関係の中で何かを生み出すことで、お金や地位名声権力にからみとられてがんじがらめの関係を、少し楽しい方向へずらして変えていくのです。人と人がふれあう豊かなものへ、少しずつ変えていくのです。
今年の秋月語りのまつりは、10月6日日曜日、朝倉市秋月ろまんの道にて。12時から。入場無料。
もうすぐチラシも出来上がりますよ!
どうぞ、秋の山里に遊びにお越しください。
【釜】
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秋月語りのまつりが動きだす
- Date:2013/08/28(水)19:20
秋月へ…
- Date:2013/08/25(日)22:39
稽古場を秋月に移してから、もう少しで4ヶ月が経とうとしています。
半野外の稽古場のすぐ横にある部屋を、9月からお借りすることが決まりました!
ここでは、事務所機能を持たせていきたいと考えています。
どこに看板を付けて、どこに本棚を置いて、どんな机を置いて、室内はどんなレイアウトにしようかなど、色々と考えるだけで、ドキドキワクワクします(*^o^*)
【法】
さよとモモン爺書き進む
- Date:2013/08/22(木)17:20
新作脚本「さよとモモン爺」書き進めている。
25分から30分の芝居。登場人物は、孤児さよ10歳、孤児太郎9歳、さよの叔母で寡婦のおふく、そして妖怪モモン爺。前半15分がほぼ形になった。
12月の劇列車定期公演にて、先日初演した「タヌキとゆうれい」と合わせて、一緒に上演する予定だ。二本の短編とお囃子・エイサーで60分だ。
それにしても、「さよとモモン爺」を書くのに苦労している。
10歳と9歳の子どもって、どんな会話をしているのだろう?自分の中の<子ども>を探り、自分の子ども時代を思い出しながら書いている。えらく時間がかかる。
生業を別に確保した児童演劇をやってきて、大人が面白いと思うモノと子どもが面白いと思うモノが違うことも、よくわかっている。私の中の子ども心を探っている。
さて、さよは叔母のおふくから「こっくらかすぞ!」と脅される。「こんごくつぶしが!」と罵られると、大きな声で「アーン!」と泣き出す。愛して欲しい人からつらく当たられることほど、子どもにとって悲しいことはない。
こんなところはスイスイ筆が進み、胸が締め付けられて、登場人物さよが愛おしくなる。私の記憶の底に沈んでいた「折檻された日々」が筆とともに浮かび上がる。大声で泣くさよを愛おしくなる気持ちを通じて、私は「子どもであった私自身」を愛おしんでいる。
物語の最後は、こんな感じになる予定だ。モモン爺から食われそうになる叔母おふくを、さよは体を張って守る。そしてモモン爺にいうのだ。「モモン爺!うち、おばちゃんを好きやもん」と。
虐待で母から殺された子どもたちは、ほぼ一様に「お母さん大好き!」と言ったり書いたりしていたという。ずっとなぜだろう?と思ってきたが、なんのことはない。答えは足下に転がっていたのだ。
愛して欲しいから、相手をキライになれない、好きでいたい。そういうことなのだ。だから、子どもたちは、暴行を受けても親を好きでいたいのだ。事実、子どもの私もそうだった。
いつだって、民話は今を語っている。「むかし、むかし」で話をはじめながら、今を語っている。
私は、今を生きる子どもたちに、妖怪モモン爺のように、いざとなったら守ってくれる存在がついていて欲しいと願っている。
それは決して、妖怪でなくてよい。子どもを守り慈しむ大人の輪、それがあればよい。そう思っている。
【釜】
にんぎょう劇であそぼ!
- Date:2013/08/19(月)13:48
子ども文化体験「にんぎょう劇であそぼ!」に、子どもゆめ基金の助成金が下りた。これでこの企画が、予算規模約30万円で動き出す。2014年2月に久留米市内で実施される。
子ども文化体験は、劇列車のコミュニティープログラム「創造・普及・体験」にもとづいた企画だ。
昨年は「げきであそぼ!」に取り組んだ。今年度は「げきであそぼ!」に加えて「にんぎょう劇であそぼ!」の二本柱にしたかったのだが、ゆめ基金助成金概算払い(事前支払い)が60%に制限されたため、実施段階での自己資金への依存度が高くなり、私たちのような零細貧乏団体では、二本の実施が困難となった。残金40%の支払いが実施終了から約半年かかるため、豊富な自己資金を保有していないと、他の事業が資金不足で頓挫してしまうのだ。
ともあれ、今年度も「文化で遊ぶ」子ども体験の場をつくることができて良かった。今から動き出しとなる。
私たちの子ども文化体験には、まだまだ超えるべき壁がある。文化が最も必要な層の子どもたち(貧困ライン以下で暮らすご家庭の子どもたち)に、私たちの体験事業が届いていない。また、もっと子どもが日常的に文化で遊ぶ場が作られていくには、圧倒的に非力である。
非力であることは仕方ない。世間の似たような事業の最も大がかりなものであっても、同じような悩みを抱えているだろう。大事なことは、非力に甘えず、いろんな人々の合力をめざすことなのだ。
その観点で、親の皆さんに的を絞った「お話読み聞かせ」講座などの企画作りも、今後検討して実現していきたい。
また貧困ライン以下の子どもへ事業届かせていく術を、私たちは今のところ持っていない。
だが体験事業は、始まって二年目だ。まずは、問題意識を失わずに続けていくことだ。
そして肝に銘じておくべきことが、一つだけある。このような企画が実演側から作られる際に、「演劇人口の裾野を広げる」ためとか、演劇や実演側を主役とした趣旨を掲げてあるのを、よく見かける。私たちは、その考え方と一線を画している。人々に必要なモノを作り出して、みんなで共有していくために、演劇や実演芸術を「手段として」使うのである。
出発点は芸術や芸能にはない。人間と社会の必要から始まり、その必要を満たせばよいのだ。
間違えるまい、くれぐれも。
【釜】
68年目の戦後
- Date:2013/08/17(土)11:03
アジア・太平洋戦争の敗戦から68年目の夏を迎えた。
政権与党による戦前(それも明治や大正ではなく戦時体制期への)回帰願望が、「新たな戦前」といえる社会をつくろうとしている戦後68年目。この夏に二つ、私にとってはゾッとする出来事があった。
一つは参院選開票速報を見ていた時。テレビ局の取材に対しての政権与党幹事長発言だ。
キャスターの質問「あなた方の憲法改正案をみると、初めに国家ありきの考え方をしているように見えますが…」に対して、与党幹事長の回答はこんな風だった。「国民の人権が侵された時、それを守るのが国家でしょ。私達は天賦人権説はとっていない」とのこと。
彼らは、人権を制限するのは当たり前と考えている。イギリス革命からアメリカ独立宣言、フランス人権宣言、そして20世紀の世界人権宣言に至る人権思想の確立と普遍化の世界史を否定している。
人権の歴史とは、天賦人権説が世界標準として確立されてきた歴史なのである。
天賦人権説を否定してしまえば、世界史の流れに背を向けて国際的に孤立することになり、国内では国民に対する抑圧と弾圧が強まるという結果を生むに違いない。
私は、その世界史を否定する与党幹事長の発言を聞いて、一人ゾッとして、暗澹たる気持ちになった。
もう一つのこと。松江市教育委員会による「はだしのゲン」の図書館開架から閉架への移行決定だ。調べたところ、一人の高知在住市民の請願がきっかけとのこと。(なぜ高知県民が松江市に請願を出すのか?)請願者は、歴史の加害責任や戦争責任を直視することを「自虐史観」や「反日」としてレッテルを貼り付けたがる思想の持ち主だ。「はだしのゲン」を自虐史観の反日漫画として攻撃している。個人の思想は自由である。だが、そんな発想でなされた請願に対する松江市教育委員会の決定に、本当にゾッとした。
この事件は、表現規制の拡大につながっていく事件だ。
またこれは松江市教育委員会が単体で引き起こした事件というより、もっと深い根があるように思えてならない。
時の総理大臣自らが、一昔前には一握りの右翼思想の人々しか使わなかった「自虐史観」という言葉を頻繁に使い、歴史の捏造に走る中、戦争と原爆の真実を渾身の力で描いてきた作者の作品を、いとも簡単に子どもたちの目の届かない閉架に押し込める。歴史の捏造と偽造に都合の悪いモノを排除しようという蠢きを感じさせる事件だ。
松江市教育委員会は、違うと言い切れるのか。違うならば、「はだしのゲン」を自由に閲覧できる開架へ戻す処置をとるべきだ。
さて私たちは、語り継ぐ戦争「シイの木はよみがえった」巡演を、この春に終演した。私たちの未熟な作品を、10年にわたって8000人に見ていただいた。ありがたいことだ。巡演の中で、メンバーも替わり、劇のスタイルも変わってきた。持続のために、一口には言えない努力をしてきた。
それでも古くなったのだった。2003年初演時に比べて、オファーも減った。ほとんどなくなった。見ているお客さんも、継承に対する食らいつきが弱くなったような気がする。10年というと一世代が交替する。新しい継承劇が必要なのだ。
戦争と平和をみつめる新しい継承劇。
作らなくてはならない。背筋がゾッとするようなことばかり。隣国への憎しみが煽られ、一昔前の標準的価値観に「反日」のレッテルが貼りつけられる社会になってきた。
親子で平和を語るための「広場」になる劇を作らなくてはならない。来年か‥。
そんなことを考えている。
写真は、最近訪れたナガサキ原爆爆心地の写真なり。ふた昔前には、この国の国民は、こんなことを普通に口にしていた。ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ。ノーモアウォーと。奔流のような右傾化と改憲・戦争への道に流がされまい。
【釜】
高良内学童保育所へ
- Date:2013/08/16(金)22:31
本日は、高良内学童保育所へお邪魔いたしました(*^0^*)
子どもたち、とっても熱心に、静かに賑やかに反応して観てくれてありがとう!
先生方、スケジュールの調整にご迷惑をおかけしました。それでも呼んで下さり、本当にありがとうございました!
劇列車、しばしのお盆休みも終了。
高良内学童保育所にお邪魔して、今日から活動再開です(^^ゞ
【尚】
きゃんどるナイトくるめ、終了
- Date:2013/08/12(月)20:59
昨日は、ぴーすきゃんどるナイト。久留米が燃やされた日です。
暑い中、決して多いとは言えませんが、30名弱の方々が集まって下さいました。
「子どもに戦争のこわさを伝えたい」との願いを胸に、参加してくださった親子の方も。
風にあおられて消えるきゃんどるに、何度も何度も一生懸命火をつけてくれる男の子の姿に、会場は和やかな雰囲気から始まりました。
J君、ありがとう!(*^0^*)
そしてお集まりいただいたみなさま、本当にありがとうございました。
会の中では司会を務めさせていただきましたが、私自身心穏やかに言葉を発することができました。
集まった一人一人の思いを、たわいもなく平和への願いをおしゃべりする場。それが、ぴーすきゃんどるナイト。
ありそうでない、ほっとする優しい空間を創ろう!と試行錯誤しながら進めています。
写真は、きゃんどるナイトの様子。
広報活動の規模に対し、集まられた方々は残念ながら決して多いとは言えない人数でした。
しかし、集まった場所に生まれた優しい雰囲気は、一人一人が生み出した雰囲気です。とても素敵な空間となりました。
小学校5年生の時からずっと参加し続けてくれるSちゃん。高校2年生になった今年も、快くサックス演奏を引き受けてくれました。
帰り際に「また来年も声かけて下さい。」と言ってくれた一言、すごく励みになります。
毎年、試行錯誤を重ねながらも、『こうあったらいいな~』という空間づくりに近づいています。
【尚】
本日はきゃんとるナイト!
- Date:2013/08/11(日)07:04
8月11日は久留米空襲の日。敗戦4日前に沖縄から飛来したB24編隊によって、久留米市市街地は焼け野原になったのだった。
その日に戦災中心地に集い、大人も子どもも平和を思い思いにおしゃべりする企画。それが「ぴーすきゃんどるナイトくるめ」です。
子どもと演劇・文化をつなぐ劇団「舞台アート工房・劇列車」が企画する、ちっちゃなつどいです。
戦争の歴史に想いを馳せるひととき。平和を大人と子どもが一緒になって語る、そんなひととき。
久留米市金丸校区コミュニティーセンターで19時から。参加費無料。(寄付のお願いあり)
近隣の方、どうぞお立ち寄り下さい。きゃんどるナイトは、誰に対しても開かれている会です。
【釜】
大文字のコトバが…
- Date:2013/08/08(木)17:33
「地政学的に沖縄には基地が必要。沖縄の人には我慢してもらわないと…」
「財政難なんだから、生活保護費カットは我慢してもらわないと」
「尖閣や竹島、北朝鮮と大変なんだから、集団的自衛権くらい必要じゃない?」
「TPPのことはよくわからないけど、景気がよくなるならいいんじゃない。農業を守れ?日本は工業国なんだからさあ…」
いま氾濫するそんなコトバ。有力政党やそこにつながる政治家たち、マスメディアから垂れ流される、そんなコトバ。そんなコトバを借りてしゃべり、借りたコトバで事終わる。この国の多数派のそんな風潮。
ここに欠けているのは、踏まれ切り捨てられる人々の声に耳を貸さないことだ。切実な心からの当事者の言葉は切り捨てられて、大きな力を持つ軽く無責任なコトバ、大文字のコトバが人々に刷り込まれる。か弱い当事者の言葉、小文字の言葉は抑圧されて聞こえなくなっていく。
無関係な人々は抑圧にしらんぷり。我が身がトクをすればいい、とミーイズムの穴の中にいる。
息ができぬ。この国にファシズムが到来するのも、まじかかもしれない。
新作のタイトルが決まった。原作「鬼ばばあの糸つむぎ」を「さよと、ももん爺」に変えた。
僅か25分くらいの尺の予定だが、書き始めた。力を尽くす。
ストーリーはこうだ。孤児のおさよが、唯一の身よりの叔母から身売りをされそうになる。おさよは、亡き母から教えてもらった麻糸つむぎで自活を夢みるのだが、叔母は待ってはくれぬ。おさよを助けようとする太郎も、さよと同じ孤児であり、あまりに非力なのだ。
そんなこんなを見てきた妖怪ももん爺が、一肌脱ぐことになる…。
身売りされたくない。自分で食べて自活して生きていきたい。そんなささやかな願いが、妖怪の手によりかなえられる。
昔の話と思うなかれ。三度のご飯を食べることができない子どもがたくさんいる国なのだ、この国は。
学校で担任の先生が「夏休みにどこに行きたいですか?」と質問したら「ダイレックスにいきたい!」と答えた子。社会科見学で福岡市に行って見た博多湾を「すごい!大きな池!」と叫んだ子。
いじましい願い。生まれてから海すら見たことのなかった子。 大切なことは、か細い声を聞きとり、隣を歩くことなのだ。そんな子たちに、私は子供時代の私自身を見ている。
子供には、生きるに値する社会が必要だ。それは難しいことではない。保護してくれる大人がいて、安心できること。発する言葉を、言語にならない心まで丸ごと聞いてくれる大人がいること。
新作「さよと、ももん爺」では、おさよの小文字の願いと言葉を聞きとる大人はいない。けれども妖怪ももん爺が、ちゃんと聞きとってくれる。孤児のおさよも太郎も、だから安心して生きていけるのだ。そんな物語を書き始めた。
さあ、また生みの苦しみが始まった。非力な劇作力だが、小文字の言葉が大切にされる社会でありたい願いを込めて、きちんと苦しんで書く。
【釜】
8月11日にぴーすきゃんどるナイト
- Date:2013/08/06(火)17:23
8月11日日曜日は福岡県久留米市が都市空襲を受けた日。歴史をふりかえることは、未来のために大切なこと。久留米市が焼かれた日に、平和についておしゃべりしたい。
そんな趣旨で、8月11日に、平和をおしゃべりする会「ぴーすきゃんどるナイトくるめ」を、当団体で開催します。
奮ってご参加ください。
場所:久留米市金丸校区コミュニティーセンター。
時間:19時から1時間。
参加費:無料。
ぴーすミニコンサートもあります。平和が一番大切なのは子どもたち。だから親子での参加大歓迎です!
大人のみなさんは、子どもにわかるように、発言をお願いします。子どもたちも、たくさん発言してね!
今年は野外でキャンドルを灯しながら語りあいます(雨天は室内)。
どれくらいの参加者がいらっしゃるのかわかりませんが、人数が少なくても楽天的に。
自由に平和を語ったり、誰かのおしゃべりに耳を傾ける時間は、人数の寡多に関わらず大切なひとときなのですから。
【釜】
すてこ恋唄、稽古再開
- Date:2013/08/04(日)12:35
今日は朝から大雨。筑後地方には大雨・雷警報が出るほど、すごい勢いで雨が降っています。
昨日から、すてこ恋唄の稽古を再開しました。
8月16日にお邪魔する高良内学童保育所で上演する演目の一つです。
私はすてこ恋唄の作品と向き合うたびに、なんとも理不尽な思いを
感じます。
猿に「田植え仕事を手伝ってくれる代わりに嫁をやる」と“ととさま”が約束をしたところから物語が始まります。
しかし、ととさまは娘を嫁にやる気はなく、働かせるだけ働かせてしまおうと企みます。
三女の“すてこ”はととさまの策謀にのって嫁に行くふりをするのですが、次第に猿の心に惹かれていきます。
お話の最後、猿はすてこの家族の策謀により殺されてしまいます。
すてこは、その哀しみのあまり猿になってしまうというお話です。
悲劇なのですが、すてこに対して「それで良かったんだよ」と不思議な気持ちになります。何が本当の幸せなのでしょうか。
子どもたち一人一人の心に、より深く響く作品になるよう磨きをかけています。
さて、そのあとは「レトロ市」のみなさんとバーベキュー会!
稽古場をお借りしている“秋月ろまんの道”の会場で開催されました。
レトロ市では、骨董をはじめ様々な懐かしい品物やお宝が販売されています!
秋月ろまんの道の隣で開かれています!
よかったら訪れてみて下さいね~♪
【尚】
「遠い山びこ」を読む
- Date:2013/08/02(金)17:35
この本は、無着成恭氏の「山びこ学校」の卒業生43人と無着成恭氏のその後の人生を追った本だ。作者は佐野眞一氏。初版は20年前、初版で買って読んで以来、初めて読み返した。
「山びこ学校」をご存知の方々も少なくなった。戦後民主主義教育の金字塔と言われた無着氏の教育実践記録を描いた本である。山形県での中学教育実践だ。
私は職業人としては教師である。職業人として歩み出した頃、一つの輝かしい指針として「山びこ学校」を読んだ。
その後のそれぞれの人生軌跡を描いた「遠い山びこ」を今読み返すと、その後の無着氏の教育者としての苦闘と敗北が、とてもよくわかる。それは私の職業人としての苦闘と敗北と重なってくるものだった。
無着氏の教育は、戦後間もない頃、教育の逆コースが始まる前の自由な空間で生まれ、教育の国家管理が進むにつれ、その後の教育活動は、思うようには進んでいない。苦渋に満ちたものになっていっている。そして、とうとう教育者の道を辞していく。彼の苦渋の軌跡は、戦後を生きた多くの教師の共通体験であり、私の体験にも重なる。
彼のようにマスコミの寵児となったわけではないが、私も30才台の頃、教育出版社からの二冊共著本を著し、ローカルエリアながら教育講演やシンポジウムパネラーなどを引き受け、教育実践コンクールでの受賞歴二回、日教組全国教育研究集会と全教のそれで、あわせて二回の正規報告者を務めさせてもらうなど、外から見たら大活躍だった。
その土台には、私自身の活発な教育実践があった。
けれども、それは次第に壁にぶつかり、苦渋を深めた。無着氏がぶつかり、全国の教師がぶつかった壁と同じ壁だった。教育の国家統制の強化、はびこる競争主義教育と進路偏重主義。その他もろもろ。幾重にも重なった壁と、内なる弱さのせいもあって、今から10年前には、私は職業としての教師に絶望していた。
私の演劇活動は学校演劇のそれであったのだが、職業への絶望と共に、演劇活動を地域で展開することにした。これが劇列車の始まりである。地域の中での教育演劇活動こそ劇列車の初発の姿であり、それが10年かけて「あらゆる子どものために大人がつながる演劇活動、文化コミュニティーの形成」へと発展してきたわけだ。
無着氏は「遠い山びこ」のインタビューで、こう答えている。「国家そのものとなったいまの学校教育の中では、本当の教育を蘇らせることはもうできません。本当の教育を求めるとしたら、もう、国家をこえた宗教のなかに求めるしかないんです」(彼は僧侶への道を進んだ。)
この「宗教」という言葉に変わって「地域」という言葉を入れたら、私の10年前の気持ちと全く同じなのだ。
教育演劇活動として立ち上がった劇列車運動。曲がりなりにも発展し、自らを説明する豊かな言葉を身につけた。
私も職業教師の定年まで、もう四年半となった。学校教育に10年前に絶望したにせよ、それは今を生きる子供たちの責任ではない。子供たちに対しては、誠実な教育をあきらめてはならない。
そしてこれからは…。地域の中で、あらゆる子供たちのための演劇と文化コミュニティーづくりを進めることこそ、私がするべき仕事である。そう深く自覚している。
「遠い山びこ」。
20年ぶりに読んで、そんなことを考えた。
最後にふと思う。
この職業に絶望してから、私は絶対に教育関係の本を読まなかった。振り返りもしなかった。振り返ることを嫌悪してきた。
輝かしき?教師時代を封じ込めて生きてきた。
それがいま、自然と「遠い山びこ」を手にとり、吸い込まれるように読んだ。もしかしたら、私の魂の再生が始まっているのかもしれない。
この再生は、劇列車運動で10年かけて作られた。劇列車運動を続けたからこそ、私の再生がはじまった。そう思えてならない。
私の職業人としての初発の意志と願い、それと劇列車運動。その二つをつなげる軸が、「教育としての演劇」という思想なのだ。改めて気がついた次第。「遠い山びこ」、名著である。
【釜】