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記事一覧

今度の土曜日は、語りのまつり

昨日のブログで、ややボヤキがあった。表現する人間に、傲慢さが見られるタイプの方々がいらっしゃることについて。

その事実は否定しない。私たちのような雑種野生種が、そのタイプの方々から「上から目線」で見られて相手にされていないことも、劇列車正会員なら折りにふれて感じていることだ。
ただこれは、考えるに値することだ。社会の中で格闘し、必死に生きて稼いで、人の苦しみに共に「悶える」感受性をもたれた表現者の方々には、傲慢さどころか、神々しさに近いものを感じるのだ。表現者の傲慢さは、どんなところから生まれるのか。傲慢の落とし穴に私たちが落ちないために、考察に値するテーマである。

さて、10月6日日曜日は、福岡県朝倉市秋月で「秋月語りのまつり」を開催します。
主催は劇列車。協賛はろまんの道。
地域の語り手たちが集まる、語りのミニフェスティバルです。
観覧無料。12時から、ろまんの道で開催します。

野次馬見学大歓迎!覗いてみませんか?

【釜】

「ゆきとかんたとももん爺」脱稿

新作脚本「ゆきとかんたとももん爺」が、昨日脱稿した。本日から読み稽古。
ブログでは「さよとももん爺」というタイトルで紹介してきたが、タイトルも変わり、時間も30分から50分へ。12月6日〜8日「第15回定期公演・親と子の民話劇場」で御披露目。
来年度の巡回公演演目となる作品。

劇列車は、結成10年を経て、今伸び盛りとなっている。脚本もそう。結成して1年経ってから見まわれはじめた危機。それこそ数年続いた退団騒ぎとメンバーのめまぐるしい変遷に、伸びることも出来ずに、活動の維持と持続が精一杯だった。

いま、劇列車は伸び盛りを迎えている。「ゆきとかんたとももん爺」では、人形二体と仮面が活躍する。自画自賛ほどキライなものはないし、トゲのある言い方だが、表現に携わる人間には自分が見えていない傲慢な人が多い(と思う…)。その轍を踏むことは、とても恥ずかしいことだ。その前提に立ちつつも、劇作の新境地を、少しこじ開けた脚本だと思う。

さて、今からは書き手モードではなく、演じる役者モードへ。そして、ふと気づくのです。今から覚える台詞の数の多さに。

今回の私の台詞数は200。決して若くない私には苦労させられる多さ。
さあ、今夜から台詞に入るのだ!

【釜】

新作「ゆきとかんたとももん爺」

『暑さ寒さも彼岸まで』と言いますが、本当にその通りですね~。
朝夕はすっかり涼しくなり、むしろ肌寒いくらいあります。
昼はまだまだ暑いくらいありますが、南から吹いていた風も北から吹き始め…秋になってきたことを実感します。

さて、新作「ゆきとかんたとももん爺」の脚本がようやくあがりそうです!
昨日の稽古では、ほぼ完成した台本を前に読み合わせ。
初めて読んだ台本は、涙が溢れるほどいい出来!…劇団員としての欲目も入っているかもしれませんが(● ̄▽ ̄●)笑
いえいえ、欲目を除いても心を打つ台本ができていると感じます。
これは人形制作担当および出演者として気合が入ります!

台本未完のまま進めていたチラシ作りも、台本のイメージに近づけて微修正。
台本未完でドキドキしながら進めていた制作関係の動きも、ちょっと一安心しながら進めています(^0^;)ホッ

とはいえ定期公演まであと2か月。
急ピッチで本腰入れて取り掛かります。

【尚】

民話は玉石混淆

最近ある方と話していて尋ねられた。「どんな芝居をされてあるのですか?」「民話劇ですね」「民話ですかぁ。久留米の民話ですか?」

キタキタ。私はいつもここで、全く白けるのだ。だから、いつもこう返すことにしている。「久留米の劇団だから、久留米の民話はやらないですね。そもそも民話はふるさと自慢の種ではないですからね」

相手には申し訳ないが、私は「民話=ふるさと自慢」という図式が、全くキライなのだ。つまらない民話もたくさんある。民話は民衆の心の表現だから、気高い心も下劣な心もある。つまらない表現も、履いて捨てるくらいある。だから、生きた化石として民話を継承しようとは、露ほども考えたことはない。ふるさと自慢で、つまらない民話を抱えこむ必要はない。つまらないものは滅びればよいのだ。

民話は民衆の心。私は私の中の民衆を再発見し、ヤボネシアの多様で多層的な文化を再発見し、自分の生き方を再発見するために、民話にアプローチしているだけなのだ。なぜなら、私は欧米化を善とした植民地主義的価値体系の中で、感性と認識のリテラシーが形成されている人間であるからだ。
民話へのアプローチは、私の中の植民地主義的感性を蹴り倒す作業なのである。
(この国において、ポストコロニアリズムの思想的文化的作業は、本気で追求されてこなかったと思う。明治以来の脱亜入欧路線のせいである)

さて、民話でのふるさと自慢を否定はしない。けれども、それは私の仕事ではない。私の仕事は、民話に潜む「個人の想像力ではかなわない、民衆の集団的想像力の産物の強さ」を取り出し、そこから物語を紡ぐ作業である。そこから人々の「広場」としての演劇なるものが、できたらよいと願っている。演劇は人々をつなぐ感性と知性の装置だからだ。
この国は「民衆」というコトバを死語とし、隣の国より欧米に親しみを覚えてきた浮遊する国だ。ゆえに私の仕事は、全く流行らない仕事なのだ。

けれども、私たちが「民衆」というコトバを生きたコトバとして使い続ける集団的倫理観を持ち続けていれば、あの3・11の破局は起きなかったのではないか。そう思うのだが。
【釜】

秋月昔ばなし劇場、9月公演終了

本日も気持ちのいいほど秋晴れでした!
秋月昔ばなし劇場では、客席も舞台も暑い日差しが容赦なく注いでいました~

ですが、そんなかんかん照りの中、30名強の方々がふらっと立ち寄って下さいました(*^0^*)
もしかしたら上演を目当てに来て下さった方がいらっしゃるかも!と思えるところもあります(*^_^*)

2013年の作品はコミカルホラーな作品、「タヌキとゆうれい」を予定しています。
来月10月は、20日(日)に開催。
きっと秋の優しい日差しと涼しい風が吹いて気持ちのいい時間帯になるんじゃないかな~?と思っています(● ̄▽ ̄●)

入場無料のワンコイン投げ銭制!お気軽に立ち寄れる新感覚昔話劇場。
夏休みを終えて、今月から年末まで毎月開催しますよ~。

【尚】

明日は…。

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遠くは筑後市の筑後文芸館から、近くは久留米や朝倉の道の駅など、あっちへこっちへ「秋月昔ばなし劇場」の置きチラシをしてまわった先週の3連休。


さて、秋晴れで行楽日和となった今週の3連休。

今日は、音響をお願いしている馬場園さんにも来ていただいての稽古をしました。

そして、なか日の明日は、「秋月昔ばなし劇場」です(*^o^*)

場所:秋月ろまんの道
時間:14時30分〜

「タヌキとゆうれい」をエイサーとお囃子付きでお届けします!

入場無料で、ワンコイン投げ銭制です。

皆様、よろしかったら、ぜひお越しください。

また、12時〜14時の間には、同じくろまんの道にて「熱唱フォークライブ」も開催されます。こちらも入場無料です。

まだまだ残暑が続いておりますが、秋月を吹き抜ける風は、とっても心地よいですよ〜。

【法】

月夜の掃除

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明日の秋月昔ばなし劇場にそなえて、昨日の稽古では、舞台を掃除、雑巾がけ。空には十六夜月。奥に見える部屋は、あとりえ山猫亭。
私たちの拠点部屋です。今日は一日稽古。
皆様、よろしければ、明日秋月昔ばなし劇場へおこしくださいね。入場無料の投げ銭制。

【釜】

秋の空高く

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残暑。空高く青空。この国の人間社会は酷くなるばかり。自然界は虫の音かしましく、すっかり秋。フクイチ事故を考えると、人間の作ったモノの罪深さを知る。自然界に見えない汚染が進む。酷くなるばかり。

さて、今日の稽古ではアトリエ入り口に、手作り看板をつけてみました。写真で見てね!なかなかよい感じ。

その後に「昔ばなし劇場」の置きチラシ行動。朝倉市から東峰村、添田町まで、道の駅を中心に周りました。行楽シーズンに、どこも人がいっぱい。残暑にソフトをおいしそうに頬張る姿を横目にみて、がまんがまん。でも、幸せそうにゆったりとそぞろ歩きしてある皆さんを見ていると、こちらも幸せな気分になります。
今日は置き場チラシ行動で、50キロは走ったでしょうか。秋の九州筑紫山地界隈の風景を満喫しました。青空に映える赤い彼岸花。流れ落ちる滝の水しぶきが秋の日差しにキラキラと輝く。美しいヤポネシアの自然です。

さあ、一休みしたら脚本の続きを書きます。4分の3を書いてラストを見通せるところまできて、ハッ!!最もよい終わり方にするには、戻っての書き直しが必要。がんばりますバイ!
【釜】

観光スポット化とは?

前回のブログで「秋月昔ばなし劇場」のねらいの一つとして、観光スポット化を目指すことを上げた。これは浮かれて言っているのではない。

劇列車の将来に関わる大事なことを考える場合には、まず原理的に思考することにしている。思いつきの事業計画は、失敗のもっとも大きな原因となるからだ。
原理的思考を現実原則のヤスリにかけ、事業計画に変換していくことで、事業計画は初めて有意義で未来をひらくものとなる。

さて、観光スポット化は、町起こし貢献につながる一環だと考えている。それは次のような理由からだ。

九州には、脊梁山系である九州山地の山あいの中山間地に、道の駅に併設された神楽劇場が二カ所、文楽劇場が一カ所ある。神楽や農村文楽は、同じ庶民の芸能であっても遊行民の芸能(例えば津軽三味線しかり)と違って、定住民の芸能だ。定住民が神と交感し楽しむことから生み出した祭り芸能である。それを地域が大切に育んできた。
そんな芸能を定期的に上演する場を、地域特産品観光物産センターである道の駅に併設することで、場の魅力アップに相乗効果があることを見ることができる。

魅力ある物産と食べ物がある場には、不思議と人が集まる。それに芸能がついてくれば、場に華やぎを与え、場の魅力に広がりと奥行きが与えられる。このための芸能は、民俗芸能以外でもよいのだ。私は岐阜県で見た。温泉地観光村の合掌造り民家を劇場にした常設劇場で、影絵劇団が定期的に影絵劇を上演している。そこでも九州の神楽劇場や文楽劇場と同じ効果があることを、この目で確かめてきた。

秋月は、年間30万人を集める観光地である。私たちの昔ばなし劇場は、骨董市や日曜市が開催されて、食べ物屋さんもあるスペースで上演される。
神楽劇場や文楽劇場と同じ効果をつくることができる可能性があるのだ。いまの段階では、あくまで可能性だが。

私は、こうして場に魅力が増して人が集うことに貢献することを、「町起こし貢献につながる」と言っている。

ささやかながら自らが置いた拠点空間を活用して、人が集うことに貢献できるようになれば、それはきっと私たちの表現強度を強くすることにつながる。劇列車の基盤強化につながる。

子どものための劇団、子どもを中心においた文化ネットワークが劇列車である。だが、ボランティア的に巡回公演を続けるだけでは、劇列車のミッションは実現できない。草の根をかき分けるような巡回公演活動を10年続けてきたから、はっきりと断言できる。
プラスアルファのところで足腰の強化が必要なのだ。
拠点空間の充実、場の魅力アップに貢献する昔ばなし劇場の進化が土台となって、私たちの巡回公演も飛躍的に進化していくだろう。
そう考えている。

【釜】

秋月昔はなし劇場いよいよ!

4月からの月1回秋月ミニライブが進化して、9月からは30分の昔ばなし劇場になりますよ!

演目は「タヌキとゆうれい」。村の太郎兵衛を化かそうとするタヌキたちと、化かされまいとする太郎兵衛。両者の駆け引きやりとりが面白い、愉快な小品です。

9月22日日曜日。
14時半から。
朝倉市秋月ろまんの道にて。小雨決行の半野外劇。
入場無料の投げ銭制。
今年度は10月、11月、12月と月一回ずつ興行予定です。

観光客の皆さんを相手にした昔ばなし劇場。私たちの表現強度の強化と、劇場の観光スポット化を目指しています。いろんなことが出たとこ勝負の企画ですが、そんなところを楽しんでいきたいものですね!
皆さん、遊びに来てね!
【釜】

平和に看板書きナリ

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ホントに気持ちが萎えるニュースばかりだ。この国の道行きは、多くの国民を犠牲にし、また一部の人間が肥え太るのか。その歪みと歪みから生まれる破綻に「知らん顔」を決め込む無責任が、またまかり通るのか。

1933年(ナチス政権誕生の年)に節を曲げることなく世を去った反戦社会主義者堺利彦の胸中は、いかがなものであったのか?満州事変開始後、怒涛のような戦争への奔流の中で、自覚的な心ある人々は、何を思っていたのか?

愚痴るまい。歴史に学びながら、目を見開いて歩むのみ。劇列車は、子どものために大人がつながる演劇文化ネットワークづくり、人と人の関係を水平的で楽しいものへ組み替えていく文化運動に、一歩ずつ歩むのみ。遊行民の文化運動ではなく、「ここに生き、ここで暮らさざる得ない定住民」の文化運動を進めるのみ。子どもを大切にすることから、よりましな暮らしのあり様を探して歩むのみ。

さて、写真は秋月に開いた新しい拠点空間の看板なり。まだ書いている途中だが、手作り感溢れて、まあいい感じと思うのだが。
いかにお金をかけず、いかによい空間を創るか?時間と手間暇がかかるが、お金で解決しないのが、劇列車流やり方なり。(見方を変えれば、たんに貧乏ということでもある)

【釜】

落ちついて秋の風

すっかり残暑だ。稲穂を吹き抜ける風に秋を感じる。

やっと落ち着いて、脚本を書く暇をとることが出来ている。人間の子ども「太郎」を、カッパの「かんた」に変更してから、話が弾みだした。身売りの定めに抗う「おさよ」の物語は、人間同士のからみで進めると、どうしてもキツくなるのだ。カッパという道化的妖怪が「おさよ」の同伴者として登場することで、シリアスさをカバーして、話に疾走感をもたらしている。

身売りは過去の話ではない。アジアの女や少女たちが、この国に人身売買同様にして連れてこられて、働かされている。この国の子どもたちのある割合の子らは、虐待的環境に生きている。お金がなければ、未来に夢を描くことも難しい中で、生きている。

私は、民話劇を通じて「こうありたい」願いを、多くの人と共有したいと書いているつもりだ。
民話とは庶民の願いから生まれたものだから、民話の形式がふさわしく思える。世代を超えて場を共有できると思える。
だから、丁寧に書く。新しい作品は、常に今までの作品を超えたいと、油汗を流して書く。共有したいものがあるから、そのために自分に妥協してはならないのだ。例え、拙いものであってもだ。

さて、劇列車の拠点に対し、「山猫亭」と名前をつけたことは先日ブログに書いた。「稽古場山猫亭」より、「あとりえ山猫亭」と名付けた方がよいのでは、と思っているのだが。いかがなものか?

【釜】

山猫亭スタート!

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昨日の台風は温帯低気圧となって、九州沖合を通過。残暑もすっかり和らいだ。もう秋だ。

さて、9月から私たち劇列車は、お借りしている秋月稽古場の隣に、ご好意の僅かばかりの賃貸料で、拠点となるスペースを借りることになった。僅かばかりのお金と言っても、私たちには大金だ。

それでも、毎月家賃を支払い自らの拠点スペース四畳半を手に入れたわけだ。ほんとに小さなスペース。机を入れて、メンバー自宅に分散して保管している重要書類や記録を集めて、いくつかの荷物を持ち込めば、それでいっぱいとなる。

それでも劇列車結成1年目のどこかで検討していた<拠点スペース>確保が、10年経って現実化した。10年前は上陽町の山の上、廃校スペースなどを拠点にできないかと夢想した。それが、秋月の山の麓に変わって実現した。想い続けたら、不思議と本当になるものだ。

さて拠点スペースは、事務所機能、ミーティングルーム、道具保管スペースの三機能を持つ場として出発する。資金の乏しさから、三機能確立に今年いっぱいかかるだろう。

その次は拠点スペースに、交流スペースの機能を持たせる。訪れる人々をもてなすミニスペース、地元の人々との交流スペースだ。この青写真を具体化するアイデアは、まだいまからだが。けれども、借り始めの今月から、スペースレイアウトを「居心地よく訪れたくなる空間」というコンセプトで作っていきたい。

写真は私たちの拠点スペースだ。お恥ずかしいくらい小さな空間だが。結成10年、ようやくできた私たちの空間だ。

さて、拠点スペースの名前を紹介していなかった。名前は「山猫亭」。旗揚げ作品「注文の多い料理店」を記念して。また、山猫はヤポネシア列島本土には生息していない希少種である。そんな希少スペースでありたいと願って。
「山猫亭」が今日からスタートする。

【釜】

実務いろいろ。

怒涛のように忙しかった夏も終わり、9月に入りました。
猛暑から豪雨となった夏も過ぎ、涼しい秋風の吹く季節となってきました。

さて、今日は久しぶりにまとまった時間が確保でき、みっちりとデスクワークを行っています(^^)
HP上では、以下の内容を更新していま~す!よかったらのぞいてみて下さい(*^0^*)

 ■秋のイベント情報の更新
 ■公演・イベント写真の更新

HPの更新を行いながら気づいたこと。
2008年12月から始めた劇列車のブログ記事が、1000件を超えました(*^_^*)
この5年間の歩みを振り返りながら、なんだか感慨深くなります。

【尚】