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パペットシアター、学童保育所公演終わる

28日パペットシアターPROJECT公演と、29日久留米市内学童保育所公演(いずれも演目は「ちょうふく山のやまんば」)を、無事に終えました。

パペットシアターでは、ワールド学級の子どもたちと保護者の方々が、にぎやかに観てくれました。活発に出てくる反応に私たちも楽しくなりました。
終演後、カタコトの日本語で「こんなの見たのはじめて」と話しかけてくれたお母さんの感想に、パペットシアターPROJECTの実施意義が集約されて表現されていたといって過言ではありません。
この一言は、ほんとうに嬉しいものでした。

また筑後川コミュニティ財団の視察、ありがとうございました。わずか30分足らずのヒアリング時間で失礼しました。いろんなお話しをもっとお聞かせいただきたいところ、短い時間でとても残念でした。

そしてワールド学級の担任の先生、日曜日に関わらず子どもたち受付に出てくださり、ありがとうございました。
先生が子どもに声をかけている口調や仕草から、先生と子どもたちとの間に、日頃の温かい人間的な関係が作られていることが透けてみえておりました。

教育の場にほんとうに必要なもの、今の学校ではどんどん薄れていっているものを目の当たりにみて、私も教師のはしくれを長年してきた身ですから、たいへん貴いものを見せてもらったと思っています。いろんなお世話を、ありがとうございました。

学童保育所公演は、ほんとうに久しぶりの巡回公演でした。
まだ治まらないコロナ禍の中、今年いっぱい巡回機会も少ないと思われます。
そんな中、子どもたちの集団の前で演じる機会は、心浮き立つものがありました。
終演後の感想発表で、自発的にたくさんの子どもたちが手をあげて、人形劇の感想を聞かせてくれました。とても楽しい時間でした。
「あいかわらずの素敵な作品ですね」とは、指導員の先生の感想。
これも嬉しい一言でした。

さて、「ちょうふく山のやまんば」は手打ち公演以外では、初御披露目でした。とくに新バージョンは勿論初御披露目。
あらためてお客様の前で演じる機会をいただいた時、この作品が生き生きとお客様の心に届いていっていることがわかりました。

作っている時には、それなりの確信をもって作っているのですが、作品が観ている方々にどう受け止められるかは、やはり実際上演してみないとわからないのです。

「ちょうふく山のやまんば」新バージョンが、子どもたちや大人たちを引き込んでいることを実感したことは、やはり新鮮な嬉しい驚きでした。

それは、きっと民話のもつ力と人形劇のもつ力が合わさったからでありましょう。

民話とは、民衆が産み出した口承文芸、人形劇は、様々な演劇形態の中でもっとも民衆的な演劇形態です。

民衆の物語がもっとも民衆的な表現形態で表現される時、人形遣いと観ている観客(民衆)の中に、何かが通いだし、お互いの間に力を産み出すのでしょうね。

今回の「ちょうふく山のやまんば」上演で、感覚としてそれを実感しました。
その感覚を踏まえて言うのですが、私たちに出来ることは、次のことくらいでしょうか。

民話の中に潜む「民衆の健全な物語」としての本質を取りだし、現代との接点を探りだしていく綿密な作業をすること。

(何が「健全」なのでしょうか。何をもって「健全」というのでしょう。
それは「民主主義の精神」からみて「健全」ということです。
民話には権威主義的な社会秩序と男尊女卑社会に染まって歪んでしまったものもあります。民衆の精神が歪めば、当然民話も歪みます。
例えば、差別を肯定する民話には、差別を肯定する民衆の精神が土台となっています。
それを民話だからという理由で無批判に肯定してはならないのです。

そんな民主主義の精神は、どんなに古くさいと言われようと固いと言われようと、決して手放してはならないものだと思います。
そのような価値観(哲学)なき表現は、フワフワして地に足がついていないと私には見えています。

現代日本社会は「決して手放してはならない宝石を、ゴミとしてポイ捨てしてきた社会」なのではないでしょうか?

私は、ポイ捨てされてきた価値観を大切にしてきましたし、ポイ捨てされた価値観に美意識を感じてきました。
分かりやすく言うならば、私は店で売られるチューリップよりも、工場の片隅に人知れず咲くタンポポを美しいと感じてきたのです。
それはかつて、誰もがもっていた美意識だったと思います。
それがだんだんと人に話すことが難しくなってきたものです。
そんなことを話すと「あの人変わっている」などと、後から周囲で囁かれたりするようになってきました。
ですから、私はずいぶんと今の日本社会に違和感と疎外感をもって生きてきたのでした。

それなのに、私の哲学と美意識からスタートして、上演チームの力でひとつの作品に結実された人形劇が人に受け入れられる、人が喜んでくれるのは、私自身にとっては、深いところで自己を肯定できる喜びでもあるのです。)

話しがずれました。
次に、私たちに出来ることは、人形劇表現に潜む民衆性に自覚的に気付き続けること。
私たちには、それくらいのことしか出来ないのでは、と思います。

しかし、「それくらいのこと」に一生を賭けるくらいの値打ちがあると思うのです。

なぜそれほどの値打ちがあるのでしょう?
物語の素材を前にして考える0スタート地点、なにもないところから始まり、観客の皆さんとの人形劇を通じて心のふれ合いを産み出すに至る長い道程。

それは、私たちの心に深い充実感をもたらしてくれる道であるからです。
モノを買う消費行為からは、決して見えてこなかった風景さえ見えてくるのです。

月並みな表現で恐縮ですが、幸福はお金では買えないのですね。人間自身が造り出すものです。
私たちにとって人形劇とは、幸福に至る道なのかもしれません。
人と喜びを分かちあいながら歩む幸福への道…。

さて様々な皆さんと出合い、表現で人とつながる。それが少しは出来たかなぁ、と実感したパペットシアターと学童保育所公演です。

また21日の「人形劇であそぼ!」以来、8日間で4つの企画を駆け抜けてきました。
そこで出合った皆様と、お手伝いいただいた皆様に、あらためて厚くお礼申し上げます。

【釜】

きゃんどるナイト終わる

本日、頓田の森ぴーすきゃんどるナイト終了しました。

今年は久しぶりに平和花園をメイン会場としての野外開催でした。きゃんどるナイトと言いながらも、コロナ感染と周辺に住宅が建て込んできた環境変化によって、本年は昼に開催しました。

燎原太鼓の子どもたちの歌声、とても愛らしいものでした。菜の花合唱団の皆さんの美しい歌声、心に響きました。

また、戦争体験者として久留米からお招きした、旧制南筑中学勤労動員部隊「高良隊」の隊員でありました山口様、西鉄電車銃撃事件の貴重なお話しを、ありがとうございました。

昨年はコロナ禍のため参加出来なかった中野様、お話しとハーモニカ献奏、心に染みわたりました。
頓田の森事件の体験者、板部様、現地で命を落とした子どもたちの名前の呼名、あらためて感謝しております。

朝倉青年会議所からも参加いただき、ありがとうございました。平和花園整備のクラウドファンティングのご成功を祈っております。

毎年のことながら、様々な方々が関わることで成り立ってきた頓田の森ぴーすきゃんどるナイトです。今年で14回目を無事に終えることが出来ました。関係各位の皆様に、あらためてお礼申し上げます。

さて、14年の間に、戦争の記憶は一層薄れて、その分戦争の足音が近づいたように思えてなりません。これは、足元の記憶に価値をおかず、石ころのように足蹴にしてきた私たち日本人の当然の報いなのでしょうか。

もう10年ほど前になりますが、「おまえは、誰も見向きもしないゴミ箱をあさって、ゴミもおいしいよと言っているようなもんだ」と言われたことがあります。
しかし、私はこう思います。誰かにとってはゴミであっても、私にとっては宝石なのだと。
足元の悲劇の歴史をゴミとして認識する人々が増えれば増えるほど、戦争が忍び寄ると思うのです。

日頃、戦争のことを考えずに暮らせることは、きっと幸せなことなのでしょう。しかし、日頃に戦争のことを考えないということは、恐ろしいことでもあります。

また話しは変わりますが、頓田の森には1945年3月27日に命を落とした子どもたちの魂が宿っているようです。
今日の1日、久しぶりに森をメイン会場としたきゃんどるナイト開催に、森で命を落とした子どもたちの魂が喜んでくれていたらよいのですが…。いや、きっと喜んでくれているはずです。

なぜなら、笑われるかもしれませんが、そう確かに感じたからです。

【釜】

パペットシアターPROJECT近づく

ほんとうに春満開です。今年も無事に春が来ました。一方で、野生の野の花たちが、本来この時期にはまだ花を咲かせていないはずなのに、もう花を開いています。キンポウゲもアザミもシャガも一斉に。まだ3月なのに、4月の花が一斉に咲いているのです。
そこに、かすかな不安も感じます。なんともいいようのない、得体の知れないかすかな不安を…。

それはともかく、28日日曜日は、パペットシアター PROJECTです。

小学校ワールド学級の子どもたちが主なお客様です。私たちは、皆さんとお会いでき、私たちの人形劇を観ていただけれることを、とっても楽しみにしています。小学生の皆さんですから、このブログは読んでいないと思いますが、ほんとうに楽しみにしているのですよ。

またワールド学級担任の先生には、深く感謝しております。まるでわがことのように、子どもたちに声をかけ、お便りを配ってくれました。
かつての教師たちは、そうだったですね。私も教師のはしくれでしたから(いまも)、とても暖かく懐かしいものを感じました。そうだったのです。私も鑑賞会担当になった時には、同じようにわがこととして取り組んだものでした。

それから、見学にいらっしゃる子ども食堂の皆様、ありがとうございます。電話でお話しした時、子どもたちの現状把握に同じものを感じました。お会いできることを楽しみにしております。

そして、市内小学校の日本語指導の先生、学習会で呼びかけをさせていただいた時、早速の見学申込み、ありがとうございました。
参加させていただいた学習会は、深く息の出来るものでした。手作りの息の長い学習会の年輪を感じとることが出来ました。

最後に、この企画に助成をいただきました筑後川コミュニティ財団の皆様、改めてお礼申し上げます。財団の助成がなければ成り立たない企画でした。当日の視察でお会いできることを楽しみにしております。

さあ、いよいよ本番が近づきました。ワールド学級の子どもたち、保護者の皆様、直接お申し込みいただいた親子の皆様に、私たちの精一杯をお届けしたいと決意を新たにしております。人形劇を楽しんで、心の中で何かが生まれてくれたら、こんなに嬉しいことはありません。どうぞ、よろしくお願いいたします。

【釜】

人形劇であそぼ!~終わりました

雨に桜が咲くなか、昨日「人形劇であそぼ!~つくって、みて、あそぼ」を終了しました。足元の悪いなか、参加された皆様、ありがとうございました。
朝倉地区での企画でしたが、募集定員いっぱいの参加をいただきました。

人形劇「ちょうふく山のやまんば」上演と、舞台と人形見学、簡単な劇人形の工作までの3時間。
参加された皆様、楽しんでいただけたでしょうか?

またボランティアで手伝っていただいた皆様、ありがとうございました。お礼申し上げます。

さて、「ちょうふく山のやまんば」新バージョンも、いよいよ初演を迎えました。
今後は出来上がった作品を、楽しんでやることが大切です。

上演を楽しむとは、「舞台に立つ自己に陶酔することを楽しむ」いわゆる演劇型の楽しみ方ではありません。(これはアマチュア演劇によく見られる楽しみ方です)。

人形劇では「人形というモノを物語に添って蘇生させる」ことを楽しむのです。
人形劇とは演劇という表現形態のひとつですが、俳優劇と様々な違いがあります。これもそのひとつです。

モノに感情を宿らせ、モノに動きを発見させていく人形劇は、物語から生まれる感情(感性)と人形に動きを発見させていく知性と、その双方の調和のとれた表現です。
ここに人形劇の楽しみがあります。

俳優が「上達する」という発想では、人形劇の生き生きとした舞台は生まれません。
「上達する」の主語は人間です。人形劇では、俳優という人間が人形遣いとなって後景に退きますから、俳優が上達しても人形は生き生きとは動かないのです。
あたりまえですね。

それではモノである人形が上達するのでしょうか?
モノはやはりモノですから、上達するはずありません。上達するのは、やっぱり操る人間です。

「なんだ、やっぱり人間が上達するんだ」。
そう発想してしまうと、恐ろしい落とし穴に落ちてしまうのです。
それはどんな落とし穴か?人形劇の魅力が薄れていく恐ろしい落とし穴です。

あくまで人形劇では、モノ自身にその動きを発見させていくのです。
そのために、人形遣いは、脚本の咀嚼からはじめてそれを血肉化(身体化)をしておかなければなりません。

脚本を身体化した人形遣いの意識を反映して、モノである人形は自然に動き出すのです。
動かすのではない。動かしてやろうと思っても、モノは人形遣い自身ではないのですから、思うように動いてくれるはずがない。

そのように、物語の感情に添って、モノがどう動くかを発見していく試行錯誤は、初演したからといって終わるものではありません。ずっと続いていくのです。

このことを演劇では「ブラッシュアップ」と言います。ですが、あまりに手垢にまみれた言葉であって、言わんとする意味が歪んで伝わりがちです。ですから、この言葉はあまり使いたくありません。

さて一方では、仕込みばらし時間の短縮試行も続きます。
「ちょうふく山のやまんば」は、現在のように機材一式、ハイエース1台で運ぶことを想定して作られてはいません。
従来どおり運搬車両3台を想定して作られています。
ですから、1台に荷乗するのに30分かかっています。3台分の資財が1台に集中するのですから、当然そうなります。

ここから先、5分程度の短縮は可能かもしれませんが、それ以上はムリそうです。

代わりに、仕込み時間とばらし時間の短縮をまだ図る必要があります。
現在荷降ろしから2時間かかっている仕込み時間を、さらに10分程度縮めたい。
現在50分程度かかっているばらし時間を、さらに5分程度縮めたい。
とするならば、荷降ろしから荷積みまでで、15分程度縮ります。

人形劇遣いの負担軽減と、充分なリハーサル時間確保によって巡回上演の質を確保したいと思うのです。

これも、一つひとつはとても地道な作業の連続です。
「紐で縛っているところをマジックテープ代用で可能か?」「安全ピン止めという非効率を、どうやって効率的な方法に変えるか?」などなど。
細かい試行錯誤に、時間もお金も、まだまだかかります。そんな試行錯誤の集積から、時間の短縮が生まれるのです。

肝心なことは、荷降ろしから仕込み、ばらしと荷積みまでの一連のプロセスとして、上演をトータルにとらえる観点です。
ここには、まだまだ課題が山積しています。
ひとつひとつ解決していきたい。
やりはじめなければ、いつまでも終わらない。
やりはじめたら、いつかは終わる。

さあ、次は28日日曜日、バペットシアターPROJECTでの「ちょうふく山のやまんば」上演です。
その前に27日土曜日は、頓田の森ぴーすきゃんどるナイトです。

【釜】

日々の雑感

梅も盛りを過ぎ、杏の花も散りました。そうして、次々に花が咲き乱れる季節に入りました。風に花の薫りが漂います。
春が来たのです。

さて「ちょうふく山のやまんば」新バージョンも、一応完成しました。
3人で人形を使い、音響と明かりを操作し、舞台を転換します。
台本も何回も手直しが入るなか、奮闘した人形遣いの皆さんには頭が下がります。

本番中は様々な仕事をこなしながらの上演です。どうしても上演を流すことに必死になります。
だからか、先日のゲネプロでは人形演技に固さが見られました(私を含めて)。
しかし、次のゲネプロでやりこんでいくに連れて固さもほぐれて、きっと魅力的な人形演技に戻ってくることと思います。
いよいよ上演が近づきました。上演チームの皆さん、頑張りましょう。

「人形劇であそぼ!」「頓田の森ぴーすきゃんどるナイト」「パペットシアターPROJECT」「学童保育所公演」と、3月下旬1週間のあいだに、4つの企画が連続します。ですから制作もてんてこまいです。
ちょっとも気が抜けない。

それでも、様々な方々と出あいながら一つひとつの企画が実現に向かっています。それは大変なことながら、得難い経験の蓄積をさせていただいています。

3人での仕込み時間を短縮するために、様々な工夫も同時進行中。一日24時間ではとても足りません。

さて「人形劇であそぼ!」の日、3月21日は「世界人形劇の日」です。人形劇で世界をつなげようという日なのです。
その日に、たまたまですが「人形劇であそぼ!」を開催出来ることは光栄なことです。人形劇は、モノを蘇生させる喜びに満ちた表現世界です。その喜びを参加者の皆様と分かちあえることも、私たちの喜びです。

【釜】