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パペットシアターPROJECTを考える

2021.08.13 (金)

コロナ感染爆発が起きています。
この1年半の感染対応を見ていると、3・11福島第1原発事故後の対応、水俣病への対応、ひいては明治の足尾鉱毒事件への対応とそっくりです。

先ず楽観視する(あるいはタカをくくる)。次に隠蔽する、対策をとっているポーズをとる。そして見棄てる(棄民する)。

ここに、明治以来の日本に課せられてきた宿題を解いてこなかった(サボってきた)日本人の姿が透けて見えます。

宿題を解くことをサボってきたために、日本人はこれらの深刻な諸問題を解決する能力を欠いてきた。
私には、そう見えています。
このことは、いずれ回を改めて述べてみます。

さて、ここではそのことに切り込むのではなく、現在準備が進む2022年度「パペットシアターPROJECT~困難を抱えた子どもへの人形劇観劇体験支援」事業について述べてみたいと思います。

この事業は、主として子どもの貧困状況が生み出す「子どもの体験格差」を埋めていくアファーマーティブアクション(積極的格差是正処置)です。

「子どもの体験格差」。
これは分かりずらい(他者に伝わりにくい)問題です。

なぜなら、一つには数値化しにくい問題であるからです。
また、被格差当事者が例えば「成人式で振り袖が着られなかった」と言っても、周囲は「我慢しなさい」と言います。
当事者が「何気なく」を装いながら、じつは意図的に発しているそんな言葉(心の痛み)は、「私は社会の中で孤立している」と感知していることから生まれていることが多いのです。

しかし、他者からみれば「たかがそれくらい」と優先順位が低くなります。
少なくとも、当事者から発せられる「何気なく装われた言葉」から、当該当事者の「社会的孤立感」を読みとく人々は稀です。

一方では、周囲の無理解の中で、被格差当事者にとっては「体験喪失」の積み重ねが「取り返しのつかない問題」になっている。
なのに、お互いに分かり合えない。
そのような目に見えない分断が「子どもの体験格差」から生まれます。

ですから、一見「分かりずらい問題」にみえるのはあたりまえでしょう。

国立青少年教育振興機構の調査によると「子どもの体験」は、「コミュニケーション力」や「自己肯定感」に大きく影響を与えています。
これらは、他者とうまく付き合う上で不可欠の能力であり、進学・就職・結婚など人生に関わってくる問題なのです。

「子どもの貧困」が、上記のような「子どもの体験格差」につながる。
それがその後の人生の質を左右しかねない。
これが「子どもの体験格差」問題です。

繰り返しますが、分かりずらい問題なのです。
しかし、被格差当事者相互間では、他の当事者が内包する痛みや悲しみが、まるで我が事のように、手に取るように分かる問題です。
身体に刻み込まれた自らの心の痛みとともに、まざまざと分かってしまうのです。

さて、本来でしたら、そもそもの原因である「子どもの貧困」や「子どもの体験格差」をなくす措置が先ずは必要なことでしょう。

この視点を欠けば、最近注目を浴びてきた「子ども食堂」等にしても、対処療法以上にはなりえないのではないでしょうか。

もちろん、子ども食堂運営に関わる大人たちの努力を否定するつもりはありません。

肝心なポイントを忘れてはならないと言っているのです。
「子どもの貧困」は政策で改善出来るのです。

その視点を欠けば、大人たちの努力は、単なる「美談」として回収されてしまいます。
恐ろしいのは、努力している大人たちが、周囲からの「美談」としての評価に自己満足し溺れてしまうことです。

そうすると、大人たちの貴重な尊い努力が、いつしか被格差当事者に対する「共に社会を創る仲間としての連帯」ではなく、上から目線の「憐れみ」と転化しかねないのです。

さて、横道に入りかけました。本道に戻って続けましょう。

「パペットシアターPROJECT」はアファーマーティブアクションと言いましたが、そもそも、アファーマーティブアクションとは、何なのでしょうか?

アファーマーティブアクション(積極的格差是正措置)とは、「社会的・構造的な差別によって不利益を被っている者に対して、一定の範囲で特別な機会を提供することにより、実質的な機会均等を実現することを目的」とする措置のことです。

つまり、子どもの貧困(場合によっては、閉鎖的な日本社会から見えなくされている問題~外国籍や外国にルーツを持つ家庭の孤立など)から起きてくる「子どもの体験格差」のうち、芸術文化体験分野での格差是正(アファーマーティブアクション)。
それが「パペットシアターPROJECT」なのです。

それでは、「パペットシアターPROJECT」とは一体何なのでしょうか?。

困難を抱える人々(ここでは「体験被格差当事者の子ども」)ほど、芸術を必要としています。
しかし実際は、困難を抱える人々ほど劇場に来ないのです。
いや、芸術が必要であるとの自己認識を持たないのです。
これは当事者を責めているわけではありません。

自分に関係のない「どこかお高く止まった、上から目線で自分を見下してくるもの」を、誰が観たいと思うでしょうか?
自分を小馬鹿にしてくると感じる場、すなわち劇場に来なくてあたりまえです。
全くあたりまえです。

①そのような精神的参入障壁を可能な限り下げるためには、被格差当事者の生活圏へ劇(人形劇)を持ち込む必要があります。

②経済的参入障壁をゼロにするために、無料公演とする必要があります。

(値打ちのあるものだから、高くてあたりまえという考え方は、ここでは「強者の論理」と化してしまいます)。

③事前の学習と事後の学習を、「学ぶことが楽しい・思ったことを書いてみるのが楽しい」という学びの楽しさに着目した「学びの場」として組織する必要があります。

(楽しみの消費の場であることを、注意深く避けることが必要です)

こんな事業が、劇列車事業「アファーマーティブアクションとしてのパペットシアターPROJECT」です。

さて、付け加えましょう。
このアファーマーティブアクションを実現するためには、事業主体(私たち劇列車)と、受け入れ主体、それに助成主体が必要となります。

先に書きましたが、経済的参入障壁をゼロにするためには、入場無料でなければなりません。

(100円も取れないと考えています。経済的に厳しい中で苦闘してある方々は、「その100円があれば…」と考えます。そして「もったいない」と価値判断を下して、子どもが「観たい」と言ってもなだめすかすのです)。

しかし、一方で会場費用、広報費用、上演費用はかかります。ですから、この事業の持続のためには、どうしても助成団体が必要となります。

それこそ、この事業を無料で行う「美談」としてしまえば、事業持続がそもそも出来なくなります。
そうすると、「子どもの体験格差是正」が出来なくなる。
それではいけない。

だからどうしても、以下のことが大切になります。事業持続の死活問題と言えるほど、大切になります。

「子どもの芸術体験の場」を、豊かな体験的学びの時間として持続させていくために、事業主体・受け入れ主体・助成主体が三位一体となった協同が必要である。

とするならば、この事業の実現は、「子どもの貧困」解決すら社会的コンセンサスが得にくい現代日本社会の中では、新自由主義が跋扈する現代日本社会の中では、夢物語でしょうか?

体験格差も学力格差も「仕方ないよ、自己責任だよ」と自己責任論が跋扈する日本社会。
そんな中で「子どもの体験格差是正は、実現が難しいから仕方ないよ」と、放置しておいてよいのでしょうか?

私たちは、実際に昨年度、現実にこの実現にこぎ着けたのです。
今年だって出来ないはずはないのです。
今、準備をはじめています。

最後に…。
人形劇は、誰に対しても魅力的な表現形態です。そのような人形劇の性格を、私たちは人形劇の「民衆的性格」と呼んでいます。
その人形劇の民衆的性格は「子どもの体験格差是正」にとって、有効な武器となるはずです。
人形劇に慣れ親しんでなくても、面白いと思えるのですから。
これは凄い武器です。

そうして、私たちは「パペットシアターPROJECT」という アファーマーティブアクションに、今年め踏み出します。

ここには、新しい可能性が開けています。
その可能性とは、私の喜びがあなたの喜びとつながる可能性。
私の喜びがあなたの喜びを奪わない可能性。
分断を越えて手をとりあう可能性。
そんな可能性に満ちているのです。

【釜】