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パペットシアターPROJECTを考える②

2021.08.15 (日)

前回ブログは、劇列車の「パペットシアターPROJECT」を、アファーマーティブアクションの観点から述べてみました。

しかし、読み返すと理論的整理が弱いようです。この弱点は、どうして生まれたか?

私自身がかつて「困難を抱えた子ども」の一人であり、大学進学によってささやかな「階層上昇」をした一人であり、従って「階層上昇」に対して心にうずき続ける「後ろめたさ」抱えているからでしょうか?

またそこから、「子どもの体験格差」に強い怒りを感じるという個人史履歴を背負っているからなのでしょうか?
自己に刻印された履歴(個人史)が、押さえつけていた感情を溢れさせからでしょうか?

それとも、過去の個人履歴が「どんな子どもにも劇を」というミッションを掲げさせて、「パペットシアターPROJECT」に取り組むモチベーションになっているからなのでしょうか?

どうしても平静に書けない感情的衝動に流されてしまいました。

しかし、それではダメなのです。
理論的整理が必要なのです。

なぜなら、この事業を実現するためには、助成団体或いは行政関係者を説得する「言葉と説得的論理」を獲得しなければならないからです。

「演劇(人形劇)は生きる力と勇気につながります」等のスローガン的言葉で、助成団体や行政が動かされることは、まずあり得ません(そう思います)。

そんなスローガン的言葉で何かを語った気分になるとすれば、創造団体側の手前勝手な言い分以上にはなりません。
それは、相手に通じる言葉ではないのです。

助成する側の相手は、限りある貴重な助成金を出来るだけ有効に使いたいと考えます。
ですから実施団体に、課題を正確に把握、的確な実践と具体的成果を求めてきます。

当然です。
責任ある仕事をしている助成団体や行政担当者ならば、そう考えるのがあたりまえなのです。
ですから、こちらも相手を説得できる「言葉と論理」を持たないといけないのです。

そこで、前回よりも理論的な整理を行ってみましょう。

■経済格差が「子どもの貧困(相対的貧困)」を生み出しています。
それは社会的・政治的に解決されなければならない問題です。
ここに異論のある方は少ないと考えます。

■「子どもの貧困」を解決するためには、経済的格差の縮小だけでは極めて難しいといえます。
では、それは何故なのでしょうか?

■それは。「子どもの貧困」は「子どもの学力格差」「生活格差」や「子どもの体験格差」、貧困状況にある家庭の「孤立状況」と複雑に絡みあっているからなのです。

■「子どもの体験格差」とは、様々な体験格差の総称です。
その中でも、フランスの社会学者プルデューが明らかにしたように「文化資本格差」が大きな問題と認識される必要があります。

ここで「文化資本」という聞きなれない概念を説明してみます。

資本とは、そもそも利潤を生み出す投資に使われる生産手段を指す概念です。

例えば、工場でモノを生産し、それで利潤が生まれれば、工場は資本であるといえます。
工場がなくても工場を建設出来る貨幣があればいいわけですから、利潤を生み出す投資に使用される貨幣も資本であるといえます。

社会学者ブルデューは、それを経済的資本といいます。

ここからがブルデューのユニークなところです。彼は「個人が身に付けた文化は資本として機能する」と考えました。
その概念に「文化資本」と名付けをしたわけです。

(この「文化資本」という概念は、現在ブルデューを離れて広く流通する言葉になっています)。

さて、経済的資本は利潤を生み出します。文化資本もそれに近い性格を持っています。

学歴・資格など「制度化された文化資本」、社会の上層に受け入れられる作法・言葉使い・センス等の「身体化された文化資本」を個人所有すると、それは社会的地位・高い収入・社会的尊敬などの、個人的な利得に結びつくというわけです。

それは経済学的意味での「利潤」そのものではありません。
しかし、上述した「制度化した文化資本」も「身体化した文化資本」も、「金を稼ぐ能力」と結びついているがゆえに、「利得」と名付けられます。

■いささか乱暴にまとめてみます。
経済的格差は子どもの「文化資本」獲得格差と結びつき、それが学力格差や社会的孤立の土台を形成していくのです。

そして、「文化資本」格差は、家庭や地域環境で形成されるハピトゥスを原動力として、親から子へと「自然に」再生産されていくのです。
そうやって、「文化資本」格差は「階層」固定化と結びついていくのです。

■これらの問題は目に見えません。表現されることも稀です。
そのことを、ブルデューは「社会は表だって表現されることのない苦しみであふれている」と述べています。

■結論です。
「子どもの貧困」は、親の経済的格差の是正だけでは解決しません。
(もっとも軽視してはいけないし、重点課題であります)。

「子どもの体験格差」、特に「子どもの文化資本」格差を是正していかなければ、世代を超えた貧困の連鎖(階層固定)の解決は困難であります。

「子どもの貧困」対策としての社会的実践「子ども食堂」は、食糧支援を主たる任務としています。
しかし、行政がそこにのみ目を奪われ、そこに満足していてはならないと
考えます。

社会的孤立を防ぐ「子どもの居場所づくり」や、当面の応急処置としての「無料子ども塾」のみならず、出来る限りの「文化資本」格差是正含めた多面的対策が長期的に必要であるといえます。

※以下は補足です。

ブルデューのいう「文化資本」という概念によって、見えないことが明らかになることは事実です。見えないことが、くっきりと見えた時の爽快感さえ味わいます。

しかし、一方で複雑な思いも過ります。
文化や芸術が「文化資本」として機能しているのであれば、そうではない文化芸術はありえるのだろうか?と。

1950年代日本の「サークル運動」や、その末期に彗星の如く出現した谷川雁の「サークル村」実践は、文化芸術を個人が文化資本として「所有する」ことから解き放ち、「そうではないもう一つの文化を集団的に共有する」を指向した実践ではなかったか?と。

いささかユートピア的な発想と実践に思えます。
しかし、これは大切な視点(切り口)だと思います。
1950年代のサークル運動は、歴史の屑籠に捨てられました。
いま、屑籠から取り出して、現代の課題から読みとくことが必要です。
芸術が「芸術界」という特権的な「界」から解き放たれ、民衆のものとなるためには。

しかし、それはいまの「子どもの貧困」という現実を切り開く社会的実践の喫緊の課題とはいえないと考えます。

文化芸術とサークル運動に対する、そのような問題意識を忘れてはなりません。ですが、いまは、そっと寝かせて温めておきましょう。

さて、「パペットシアターPROJECT」は、劇列車の実践固有名詞ですが、同じ質と指向性をもった取り組みは、各地で同時多発的になされる必要があると考えます。
1団体で賄える問題ではないのです。

【釜】