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記事一覧

テラコヤプラス様ありがとうございました

2021.08.19 (木)

夕方にはヒグラシの声とともに、鈴虫や秋の虫たちの声が力強く交じり、とても賑やかです。
夏の静寂な一時です。

さて、皆様に紹介させていただきます。
「テラコヤプラス」という企業様から、舞台アート工房・劇列車を紹介していただきました。

「劇と文化を届ける『舞台アート工房・劇列車』を取材!困難を抱える子どもたちへの思いとは」というタイトルのウェブ上の記事です。
テラコヤプラスのライター様からみた私たちの劇列車の事業(活動)が、丁寧に紹介されています。
皆様、よかったら覗いてみて下さいね。
【劇列車インタビュー記事-テラコヤプラス】
https://terakoya.ameba.jp/a000001467/

他にも、路上で生きる子どもの生活者を支援する団体や、子どもの自然体験を支援する団体など、たくさん紹介してあります。
よければそちらの記事の方もどうぞ。
様々なところで、様々な人や団体が活躍してあるのですね。
私も興味深く拝見しました。

テラコヤプラスの皆様、私たち舞台アート工房・劇列車の活動を紹介して下さり、ありがとうございました。
ズームによる一時間余りのインタビューと、その前後でのやりとりに、丁寧に応答くださり、感謝しております。
厚く御礼申し上げます。

テラコヤプラス様のHPアドレスを、劇列車HPからアクセス出来るようにリンクしております。
テラコヤプラス様に御関心をお持ちの方々は、どうぞアクセスしてみて下さい。
【テラコヤプラスHP】
https://terakoya.ameba.jp/

さて、劇列車は今、子どもゆめ基金助成事業「市民人形劇学校~実践編」「市民人形劇学校~研究・実践交流編」の準備を進めております。

ですからなかなかに忙しいのですが、夏の巡回公演がコロナ禍で中断したために、少しはゆとりが出来ました。

これは財政的にはとても打撃なのですが、くよくよしてはいられません。

今年度の「困難を抱えた子どもへの人形劇観劇体験事業~パペットシアターPROJECT」のために、着々と理論学習も進めています。

そもそも「困難を抱えた子ども」の「困難」とは、何を指している概念なのか?
貧困とは何か?
その問題に向き合う「作品創造」にあたって大切なことは?

複雑に絡み合った問題群です。学びながら実践を構想していくことは、様々な分野の研究に沈静していく営みでもあります。

それらの先行諸研究を読みといていくことは、「フゥ…」とため息をつきたくなる程の気が遠くなりそうな作業です。
同時に「頭の中がスッキリと整理されていく」作業でもあります。
視界を遮っていた目の前の霧が、スーと晴れ渡るような。

誤解のないように述べておきますが、劇列車は「パペットシアターPROJECT」に特化した事業を展開しようとしているわけではありません。

「どんな子どもにも」という劇列車ミッションには、お金持ちで環境に生まれた子どもも、もちろん含まれています。
通常の巡回公演や手打ち公演も、大切に考えています。

さて、私たちは徒手空拳ながらも、人形劇の「民衆的性格」に助けられながらも、子どもたちが喜んで食い入るように見てくれる作品を生み出してきたことには自信があります。

(自信があることと、表現課題に謙虚であることを両立させてきました。自信があっても自信過剰にはなっていないつもりです)。

だから、自力で巡回公演を途切れることなく続けてこられたのです。
毎回手打ち公演では「満席で入れません」と心ならずもお断りする事態が生まれてきたのです。
今は全く手売りをしていません。けれども満席になるのです。

そうして、ようやく気づいたのです。「劇場」に足を運ばない子どもたちがいることに。
がく然としました。

劇場に来ないのは、個人の好みの問題ではないと直感したからです。
(好みの問題ならば放置しておけばよいのです。私たちも、そんなことにがく然とはしません)

なぜ来ないのか?そこに越えがたい障壁があるからだ。
そのことを直感したから、がく然としたのです。

そこには、ブルデューのいう「ハビトゥス(後天的に形成された人間の指向性)」の問題があることに気づいたのです。
そしてその「ハビトゥス」の土台には、拡大する「貧困」問題があることに気づいたのです。

とするならば…。
「アファーマーティブアクション」を組織していかなければならない。
そう考えたのが、「パペットシアターPROJECT」構想の発端でした。

そこに気づくと、後戻りは出来なくなりました。

パペットシアターの構想を実現する努力を払わなければ、「どんな子どもにも」という自分たちのミッションを、自分たちで信じられなくなるではありませんか。
平たくいえば、「欺瞞」になってしまうと考えたのです。
だって、現実に「どんな子どもにも」届いてないのですよ、私たちの人形劇が。
そんな不都合な事実に、目を瞑ることになります。

そこに目を瞑るならば、不可視化(見えなくされている)された人々の存在に鈍感になっていき、私たちは無自覚なうちに「いいことしてるとイイ気になっている裸の王様」に堕ちてしまう…。
そう考えたのです。

不可視化された人々を視野に入れない実践は、地に足がつかないものになっていきます。
それは、無意識のうちに社会的排除と結びついていくのではないか?

不可視化された人々を視野に入れない創造は、地に足がつかないものになっていきます。
それは、無意識のうちに恵まれた人々の「娯楽」に奉仕するものに成り下がっていくのではないか?
そう考えたのです。

いや、ブルデュー風に述べるならば、私たちに刻まれた「ハビトゥス」によって「そう考えるように導かれた」といえるのかもしれませんが…。

いささか倫理的観点に重きを置きすぎたかもしれません。
また小難しい文章になりました。
このような主張と小難しい文章が、今の日本社会で浮き上がることは、よく承知しています。
ですが、無視してはならない課題であり、今までの演劇運動や文化運動の盲点となってきた問題なのだと思うのです。

三回続いた「子どもの貧困」に対する考察でした。
もしかしたら不愉快に感じられる方々がいらっしゃるかもしれません。ブログをお読みの皆様のお気持ちを逆撫ですることにになりましたら、お詫び申し上げます。
私たちは、一団体の努力では無力でなくても微力すぎる大きな問題を、問題提起したいと思っているのです。

そして、最初に戻ります。
テラコヤプラス様は「象徴資本(権威名声名誉など)」とは縁遠い私たちを紹介下さり、「見えない問題」であるがゆえに関心を引きにくい「困難を抱えた子どもへの観劇体験支援」について、丁寧に聞き取って下さいました。
もちろん、私たちの事業の文脈がそのまま記事に再現されているわけではありません。
しかし、ライター様が私たちの事業を苦労して読みとり、温みある文章にしていただいたと理解しております。

記事にしていただいたテラコヤプラスの皆様には、心から感謝申し上げる次第です。

次回ブログは、「市民人形劇学校~実践編」の御案内を致します。

【釜】