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実践報告を皆さんと学びたい

2021.09.27 (月)

市民人形劇学校~研究・実践交流編まで、あと1ヶ月を割りました。

毎日、毎日、宣伝活動に頑張っています。
毎日、いろんなところに電話し、いろんなところに呼びかけに出かけていく。すると、いろんなことが見えて来ています。

今の日本社会の断面といってよいもの…、そんなものが見えてくるのです。
一つだけ例を挙げてみると、人と人がダイレクトに、正面から、バシンと出会うことが、ほんとうに減ったなぁ…。
そんな感覚的なものですが、確かに感じてしまうのです。

さて、演劇教育とは、子どもの人間性の解放と、豊かな発達を目指すものです。
また豊かな文化環境に育まれることは、子どもの権利でもあるのです。
人が正面から出会うことが減った寂しい時代だからこそ、じつは大切なことだと思われます。

それにしても、市民人形劇学校~研究・実践交流編で報告される実践報告は、二本ともたいへんレベルが高いと思います。

子どもの成長・発達を育むことに対してぶれない眼差しを持った大人たちと一緒になって、逞しく変化していく子どもたちの姿。

子どもの芸術体験保障は人権保障につながる。そんなたまなざしから行われた、ささやかながらも示唆に富んだ実践。

これら二本の演劇教育実践から学べることは、たくさんあるのだと思われます。
それは、いまの日本社会をより人間的に変えていく一石になり得ると思うのです。

そして思うのです。二本の実践が共通してもつ爽やかさは、いったいどこから来るのかと。

それは、たぶん実践者個人の欲望(名誉欲・地位上昇欲・金銭欲・その他もろもろの利己的欲)から無縁であり、子どもの利益から(子どものまなざしから)出発しているからなのでしょう。

それが、実践に稀有なイノセント(純粋)性を帯びさせているのでしょう。だから、爽やかに感じるのだと思うのです。

私たちは、純粋であることを心のどこかで軽蔑してしまう心性を、いつの間にか身に付けてしまいました。
自己の欲望に忠実であることを善とする心性を、いつの間にか身に付けてしまいました。

そうして、純粋であることが格好悪いことであり、泥臭いことであり、間抜けなことの代名詞のようになって、幾年月も過ぎ去ったようです。

しかし、この二本の実践には、確かに純粋性が宿っているのです。凛とした印象があります。

それは、周りからの評価がどうであれ、子どものまなざしを保つ大切さ(教育の原点)を手離さなかったからではないでしょうか?
自己の欲望から出発せずに、子どものまなざしから出発して実践を育んでいるからなのではないでしょうか?

これは広義の教育活動すべてが忘れてはならないことです。
あらゆる教育活動は、子どもから出発しなければ、いとも簡単に自己の名誉欲なりを達成する手段へと変質するのです。

始末の悪いことに、そのような変質に気づきにくいのです。
そのようなニセモノが、まるでホンモノのような顔をして、鎮座ましましているのです。

さて、そんな社会状況下で稀有なイノセント性を保持しているのが、この二本の実践報告です。
だから、爽やかな印象となり、凛とした印象になっているのでしょう。

繰り返しになってきました。
ブログをお読みの皆様と、学びの場を共にしたいと切に願っています。
皆様、実践報告をぜひお聞きください。

【釜】