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市民人形劇学校、無事終了

ほんとに日が長くなりました。冬至の頃より日没が30分は長くなっています。春の兆しがちらほらと出始めていますね。

さて、本日で市民人形劇学校~実技編が終わりました。
毎日曜日ごとに、3週連続のワークショッブでした。
参加された皆様、お疲れさまでした。
十分なコロナ感染防止対策をとっての開催でした。

市民人形劇学校~実技編は、短編人形劇「なかよし」を大人が演じることが出来るようになる。
そのことを目的としたワークショッブです。

1日目は、レクチャー「人形劇とは何か」 と「人形工作」。
2日目は、短編人形劇「なかよし」を実演出来るまで。
3日目の今日は、「人形劇舞台の作り方」講習でした。

参加された皆様が充実した学びが出来たようで、ホッとひと安心です。
早速、学んだことを生かして、御自分の守備範囲でいろんな実践を構想される方々も現れています。

そんな波及効果が生まれたことが、嬉しくてしかたありません。
そのような波及効果を狙って開催したワークショッブなのですから。

大海に垂らす一滴の滴のような市民人形劇学校ですが、始めなければ、一滴の滴すら落とすことは出来ないのです。

短編人形劇「なかよし」をツールと使って、子どもに関わる大人が増えてくれることを願ってやみません。

市民人形劇学校は、10月に開催した研究実践交流編と、今回の実技編でワンセットとなった企画です。

実技編では、人形劇というツールを使って子どもと関わる(実践する)大人たちを増やす。
研究実践交流編では、実践の相互交流と研究を進める。
そう考えると、確かにワンセットになった企画なのです。

さて、劇列車は今回の実技編を終えて、「どんぐりと山猫というはなし~一郎くんの立つ丘からみえるけしきはどんなけしき?」の仕上げに向かいます。
どんな仕上がりになるのか、ワクワクしています。

そして次のワークショッブは、3月の「人形劇であそぼ!Inあさくら」(子どもゆめ基金助成)です。
2月には募集開始となります。
皆様、奮って御参加下さい。

【釜】

チケット販売開始

葉っぱの落ちた裸木の枝が、空に映えて美しい。枝の先まで凛としています。
今は裸木でも、春に葉をつけようとする命の力強さを感じます。

さて、今日は「春のおやこ人形劇場」(芸術文化振興基金助成)のチケット販売開始日です。

3月6月日(日)久留米シティプラザCボックスでの上演となります。
演目は、人形演劇「どんぐりと山猫というはなし~一郎くんの立つ丘からみえるけしきはどんなけしき」です。

チケット販売は、石橋文化センター、久留米シティプラザ情報サテライト。劇団HPからもお申し込み出来ます。

コロナ感染防止対策を徹底するため、各ステージ71名定員です。
1日3ステージで、合わせて定員数213名。

御関心をお持ちの皆様は、早めのチケット御購入を、お薦めいたします。

最近の劇列車の催しは、チケット販売開始後に、1週間程度で売り切れてしまうことも多々あります。
今回の公演は、定員を増やしているため、さすがに1週間で売り切れという事態はないと思います。
一方では、早めのお申し込みでなければ、チケットが手に入らないということになりかねないと思うのです。

それであれば、お早めのお申し込みがもっとも安全だと思います。

さて今回作品は、昨年夏の第22回定期公演「どんぐりと山猫」を、大幅にブラッシュアップした人形演劇作品です。
いろんな意味で、興味深い作品だと思います。

皆様のお越しを御待ちしております。

【釜】

市民人形劇学校~実技編開催

冬の凍てつく夜空、オリオン三つ星がきれいに並んでいます。
まるで、夜空から音楽が降ってきているようです。

さて、「市民人形劇学校~実技編」が、いよいよ明後日からに迫りました。
3日間のワークショッブです。

保育士の方々、小学校の先生、高校の先生、関心のある市民の皆さんと、参加される皆様は多様です。
どんなワークショッブになるのか、とても楽しみにしています。

内容は、子どもが好きな鉄板短編人形劇「なかよし」を実演できるまでになる3日間のプログラム。

短編人形劇「なかよし」を実演できるようになるだけでなく、人形劇表現のもつ豊かさを知り、上演を支える舞台の考え方までを知ることが出来る、充実した学べるワークショッブを企画しています。

準備は万端です。
参加を御検討中の皆様、まだ参加受付は締め切っておりません。
「面白そうだなぁ」という気持ちで参加できます。御参加いただければ幸いです。
劇列車HPからも、お申し込みが出来ます。

久留米の地で、子どもの前で人形劇を演じる大人たちが増えること。
いろんな方々が人形劇に親しむことが出来るようになること。
それは、私たちの夢の1つのです。

子どもが人形劇に親しむには、まずは大人が親しむことから。

そんな、少し遠い目標を掲げた市民人形劇学校~実技編がはじまります。

【釜】

新年を迎えて

明けまして、おめでとうございます。
新しい年を迎え、皆様の御多幸をお祈り申し上げます。

さて、舞台アート工房・劇列車は、第二次中期ビジョン(2GP)到達に向けて、新しい年を歩いて行きます。

(私たちのいう「中期ビジョン」とは、「5年後」という中期スパンでの目標のことを指しています。
そろそろ完成年度が近づいてきました)。

劇列車2GPは、コロナ禍の影響を受けて、2020年に修正を加えました。
この修正内容は、劇列車を「職業化する」方向への大きな転換でした。

しかしこれは、ちまたでよく言われるような「演劇(人形劇)で飯を食う」ためのものではありません。

「好きなことで飯を食う」。
そんなことに価値があるとは、全く思えないのです。
社会の中で、どれ程の人が「好きなことで飯を食っている」でしょうか。

「だから私は幸せ」などと錯覚することは、その人の自由です。

けれども、それを客観的に言えば、「たまたまそれが可能な境遇にいた者が、自らの特権的地位に胡座をかいている」ことだと思います。
困難を抱えて生きる人々にとっては、「好きなことをして生きる」など、夢のまた夢なのです。

アマルティア・センは貧困を「人間の選択肢が狭まること」と定義しています。
特に経済的困難を抱えて生きる人々にとって、「好きなことして生きてる」ことなど、とても贅沢なことに思えるのではないでしょうか。
私たちは、そこに価値は置いていません。

(2GPから話がずれましたが、職業化議論の前提として、どうしても述べておく必要があることです)。

さて、話を進めましょう。
一方で、社会的な事業を責任を持って遂行していくためには、片手間で事業がやれなくなる時がやってきます。

また、そうならなくては、その団体の事業は意義がありながらも「停滞している」ということになるのではないでしょうか。

ですから、いずれ片手間でやれなくなることを予想して、「職業化」路線を打ち出したものです。

簡単に言ってしまうならば、NPO組織に専従者をおいていく。
その方向での「職業化」ということなのです。

正確を期していうならば、「職業化」路線ではなく、「専従者設置」路線と言ってよいものと考えています。

とはいえ、事務所兼アトリエの年間維持費、2020年に購入した運搬車両の年間維持費など、年間固定費の支出も増えています。

まずは、赤字経営状態であることから脱却し、自立した事業基盤の強化を図りたいと考えています。
それが2022年度劇列車運動の最大課題です。

私たちは、本気で「どんな子どもにも劇を!文化を!」というミッションの実現への道を歩いてきました。
ですから、「専従者を設置して事業の充実を図る」時が、必ず到来すると考えています。
ミッションと事業に責任を持つためには、その準備を開始しなければならないのです。


次に、かれこれ1年半取り組んできた宮沢賢治「どんぐりと山猫」(改称「どんぐりと山猫というはなし」)を、2月中旬までに今回の大幅ブラッシュアップを完成させます。

これは、2022年主力巡回作品としていく予定です。
2月~3月には、はやくも6公演が決まっています。
ですから、今はこのブラッシュアップに大忙しです。

観ていただける皆様に、最良の作品を届けること。
これは年末に述べましたように、運動(事業)発展のイロハにあたる大原則です。
今の私たちに出来る最良の作品を、2月にはお届けします。
皆様、御待ちください。


さて、具体的な記述はこの辺りにして、新年の抱負に入ります。

2022年が始まりました。
新しい年を、劇列車は、上述の2GP到達に向けて、ひた走りに走ります。
そして、今年もいろんな子どもたち、いろんな親たち、いろんな大人たちに出会うでしょう。
ほんとうに楽しみです。

そして、私たちはこう思います。
子どもや親の苦しみと喜び、大人たちの喜びと苦しみに出会たらいいなぁと。

喜びだけでなく、苦しみにも出会うのです。
いや、苦しみと喜び、それを丸ごと受けとめなければ意味がないのです。

芸術文化体験が受け手にとって、「社会的了承行為の網の目変更」になる。
そのことが大切だと思います。
ですから、提供する側も、相手の苦しみまでも受けとめる覚悟がいると思うのです。

私たちは、私たちの作品、私たちの声が届かない地点で苦しんでいる人々に、作品を届かせたい。

だから、私たちは作品創造に妥協しないのです。
それはなぜなのか。

半端な妥協をしていて、厳しい地点で生きる人々に届くはずないではありませんか。
彼らの苦しみと響きあう。
そのために、半端な作品を作ってよいはずない。

自らを取り囲む厳しさを跳ね返して生きる人々は、甘ったれた根性で作った作品など跳ね返してしまいます。

私たちは、どこか遠くの偉い権威から認められたいのではない。
そんなものは、あえてありていの汚い言葉を使えば「そんなものは犬にくわえろ」なのです。

私たちが表現の向上を目指しているのは、苦しんでいる人々がいるからなのです。
これは偽善ではありません。

よく言われることがあります。
「あなたたちは、何でそうなのか」って。
「その動機がよくわからないよ」とも。

それへの解答は、じつはとても簡単なことなのです。

私たち自身が苦しんで生きてきたから、苦しんでいる人々に届けたい。
たったそれだけのことなのです。

(もっとも、これは「開き直り」にも聞こえるでしょう。
しかし、あえて「開き直る」ことで解放されることもあるのです。
ドンと腰の座ることもあるのです)。


さて、うららかにあけた新年。
こんな劇列車ですが、今年もお付きあいいただければ幸いです。
皆様、どうか本年もよろしくお願いいたします。

【釜】