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記事一覧

演劇と教育研究委員会~第二回

本日は、演劇と教育研究委員会の第二回開催日でした。

参加された皆様、お疲れさまでした。
特に実践報告をされたMさん、ありがとうございました。

報告に際して、Mさんにおかれては、膨大な準備の時間をかけられたことと思います。
あらためて感謝申し上げます。

Mさんの実践は、バワフルで稀有な地域での実践です。
今後の継続的なとりくみを期待しております。

一方で、実践報告については、研究会で厳しい「たたきあい」の時間になりました。

「たたきあい」の主な焦点は、大人(指導者)の都合(やりたいこと)だけでは、実践は成り立たないのではないかということ。
そこに議論が集中しました。
指導者の「やってみたい」興味だけでは、実践は成立しないのです。
実践は、対象となる子どもたちの実態把握と子どもたちの「必要と要求」の把握が出発点です。
そこから子どもたちの活動が生まれます。

子どもの発達にかかわる意図的な活動、それも子どもと大人の協同で行われる営み。
それが教育なのです。
Mさんの実践も、地域での立派な表現教育です。
ですが、自分のやりたいことに走る大人の存在ばかりが目だっており、子どもの姿と変化が見えてこない。
これが、言葉は違えど参加された皆さんに共通した発言の内容でした。

このような課題を抱えたMさんの実践でしたが、バワフルで実践を楽しんでいる大人がいます。
そんな魅力に満ちていることも事実です。
楽しんで子どもに関わる大人たちが、実際あまりにも少ない。
ですから、稀有な実践であることも事実です。

表現教育といえども「子どもの変化を意図したもの」という視点をMさんがしっかりと手にした時、この実践は質的に飛躍すると思えてなりません。
Mさんの今後の御健闘をお祈り申し上げます。

さて、演劇と教育研究委員会第三回は、12月25日(日)13時半から。
場所はアトリエ山猫舎です。
報告はTさんから。
タイトルは「聴くことで、話すこと、話し合うことの段階的指導」(仮称)です。
皆様、奮ってご参加下さい。
知的でスリリングな時間を一緒に創りませんか?

【釜】

秋の巡回公演~久留米の小学校にて

昨日は久留米市の小学校にて巡回公演。「どんぐと山猫というはなし」を上演しました。
コロナ対策のため、低学年と高学年に分かれて午前・午後の2ステージでの上演。担当の先生方には早朝仕込みからご対応いただき、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
そして観てくれた子どもたち、終演後の人形説明の時間まで含めて、熱心に観て反応してくれて、ありがとうございました(^^)

低学年と高学年に分かれて観ていただくのは、私たちにとって初めての経験。
低学年のみなさんに観ていただいているときと、高学年のみなさんに観ていただいているときの会場の空気感は、これほど変化するのか!と驚かされた公演でした。

もちろん、低学年のみなさんも、高学年のみなさんも、一生懸命観てくれたのがよく分かる公演でした。
空気感の違いというのは、発達段階によるものかと思われます。
こどもたちが、劇中のどの場面に反応し熱量が増すのかということは、当然、発達段階に応じて変わります。

劇というのは、ほとんどの場合“集団”で観ます。
観劇“集団”は、大きく二つに分けられると思います。その公演に限って集い・解散する臨時的な集団と、学校や幼稚園など日常的に一緒に過ごす集団の二つです。
巡回公演の場合、日常的に一緒に過ごしているこども集団のなかにおじゃまして公演することになります。

“劇を観る”という行為は、主体的な行為です。決して受け身になるだけの行為ではありません。
劇に同調して笑う、憤る、あるいは劇にそっぽ向いて手遊びをする。目の前で上演されている劇に対してとるポジティブな行動もネガティブな行動も、尊重されるべき主体的な行為です。

ですので、同じクラスの友人が、同じ小学校に通う上級生が、劇のどんなところで笑い、どんなところで息をのむのか…
それぞれの子がもつ感性を、観劇行為を通じて表現しているひとときは、集団で観劇する醍醐味だと思います。

低学年のみなさんと高学年のみなさんの反応の違いを受けて、改めてそんなことを考えさせられた公演でした。
呼んでくださった先生方、一生懸命観てくれたこどもたち、重ねてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

【尚】

パペットシアターPROJECT第一弾開催!

昨日は、今年のパペットシアターPROJECT(ちくご川コミュニティ財団子ども若者応援助成)第一段!

福岡市のフリースクール「みんなの学び館」に通う子どもたちへの人形劇観劇支援でした。
場所は、福岡市のふくふくプラザ。

午前は人形ワークショップ。
子どもたちの作る人形の、それはそれは個性的なこと!
今までのワークショップで、最も個性的な人形たちの数々。
楽しんで作る子どもたちのエネルギーで、会場にはムンムンの熱気が漂っていました。

午後は「どんぐりと山猫というはなし」観劇と対話のひろば。

特に劇の冒頭の「父と母」のシーンでは、息を殺してじっと舞台を見つめる子どもたち。
観劇している子どもたちの誰もが、同じような体験をしているようなのです。

観劇後の対話のひろばでは、打って変わって、積極的に自ら手をあげて発言する子どもたち。
そんな物怖じしない積極性に、内心ほんとうに驚きました。
「自分の中の固定概念が…」と発言する小学生。
とても感受性が鋭く、語彙も豊富。
とても小学生とは思えない優秀さ。
こちらも舌を巻きました。

けれども観劇アンケートを読むと、文字の行間にそんな子どもたちの心の痛みが読みとれるのです…。
隙間から透けて見えてくるのです。
痛々しいほどに傷ついている、当事者にしかわからない。
そんな痛みが読みとれるのです…。

そんな風に進んだパペットシアターPROJECT第一段、「みんなの学び館」公演。
楽しんでいただけましたか?

人形ワークショップから観劇と対話のひろばまでのフルバージョン。
私たちもヘロヘロになりましたが、みんなの学び館スタッフの皆様も、大変だったと思います。
いろいろありがとうございました。

やるまではとても大変なのですが、やってみると、やはりその意義がダイレクトにからだに入ってきます。
そして、いい時間が流れ出すのです。
そんなステキなパペットシアターPROJECT。

関係された皆様、ボランティアの方、そして何より参加してくれた子どもたち。

ありがとう。

じつは、君たちが熱心に観てくれて、心を開いて生き生きと発言してくれたから、作品を創った私たちも深く呼吸が出来るようになるのです。
ここだけの話しだけどね…。
(これは内緒です)。

だから、子どもたちに御礼が言いたいのです。
私たちは子どもたちを支援しているつもりです。ですが、じつは子どもたちから支えられているのかもしれません。
いや、きっとそうなのでしょう。

だから、子どもたちにありがとうと言いたいのです。

【釜】

P新人賞2022最終選考会出場へ

秋が真っ盛り。柿の実が色づくにつれて、秋も深まってきているようです。

さて劇列車は、現在の巡演作品「どんぐりと山猫というはなし」で、応募していた「P新人賞2022」の第1次選考を通過しました。
よって、今年の新人賞を決める最終選考会に出場(出演)することになりました。
以上、お知らせいたします。

最終選考会の日程は、2023年2月18日~19日。
場所は愛知県名古屋市ひまわりホールです。
今年の新人賞獲得に向けて、第一次選考を通過した3団体が名古屋市ひまわりホールでの作品上演で競いあいます。

「P新人賞最終選考会」出場は、P新人賞2019に続いて二度目になります。
そもそもP新人賞とは、「人形劇ジャンルの明日を担う斬新な才能を発掘するため」(応募呼びかけチラシ文より)に開催されています。
今年で12回目となる全国的なコンクールです。
主催は愛知人形劇センター。

人形劇分野では、このようなコンクールはP新人賞を除いてはありません(あくまで私の知る範囲でということですが…)

2019年度に出場した時は、どんな空気が漂う場なのか何をして臨めばよいのか、見当もつかず右往左往していました。
ほんとうに。
しかし、ほんとうに様々なことを学んだ機会となったことは間違いありません。

そこには、人形劇という表現形態の可能性にギリギリと挑戦する人々の表現がありました。
そして様々な人々と会話する機会を得ました。
それは活字で学べないダイレクトな学びの機会だったと思います。

例えていうならば、春の山散策を楽しむハイキングをする人々ではなく、冬の日本アルプス槍ヶ岳登頂を目指して完全装備で登山する人々との出会い。
そこから、様々なことを学んだといってよいと思います。

私たちの創造は、この機会を咀嚼することから大きく変わりはじめたのです。
抽象的な言い方になりますが、「表現する行為」の本質を深く深く考えるようになってきた。
それは言えると思います。
これくらいP新人賞2019出場は、私たちにとって大きな意味を持ったものでした。

今回のP新人賞2022の最終選考会では、どんなことを学べるのでしょうか?
たぶん学ぶためには、自らの創造を、ギリギリと突き詰めていることが前提条件となってくる。
そう思えてなりません。

「これ以上は出来ない!」というまでの突き詰めた作業。

(それでもたどり着いてみると、さらに先が見えてくるから不思議なもののですね)

そんな作業を厭わないことが、学ぶ土台を創るのだと思います。

次が最後になります。

P新人賞2022最終選考会出場に関連して、新作「さちのまだ見ぬ物語」は、3月初演を7月初演へと移動させることにしましたので、お知らせいたします。

「どんぐりと山猫というはなし」の練り直しと、「さちのまだ見ぬ物語」3月初演に向けた稽古の同時進行は、到底無理なことです。
どちらも中途半端な表現に終わってしまいます。
それは望むところではありません。

新作をお待ちの皆様、どうか7月までお待ち下さい。
御迷惑をおかけします。御理解をお願い申し上げます。

【釜】

申込受付、始まっています~親子であそぶ人形劇がっこうinくるめ

『親子であそぶ人形劇がっこう』とは、身近な材料を使って劇人形をつくり、物語であそんでみるワークショップです。
今年度は“3匹のこぶた”を題材に、お昼ご飯をまたがって、じっくりやってみるプログラムです。
9月の筑紫野開催を皮切りに、11月に久留米開催、12月に朝倉開催を予定しております。

久留米開催は11/13(日)と11/27(日)。昨年、受付開始からあっという間に定員に達してしまったため、今年は2日開催です。
どちらの日程にご参加いただいても、実施する内容は同じです。ご都合のいい日程でお申し込みください。
『親子であそぶ人形劇がっこうinくるめ』の詳細はこちらから。
受付スタートから早くも定員に近づいてきております。
参加をご検討の方は、お早目のお申し込みをお勧めいたします。

日本で携帯型ゲーム機が大流行して30年以上が経ちました。電子ゲームが持ち運びできることになり、「子どもたちの遊びが細切れになってしまう」と警鐘がならされていました。
じっくりと集中して“あそぶ”体験が珍しいことになってしまった現代。
そんな現代だからこそ、じっくりと集中して人形劇で“あそんで”みませんか?

皆様のご参加、心よりお待ちしております。

【尚】

遺贈とパペットシアターPROJECT

段々と日が短くなってきました。もう秋です。

さて、10月2日の日曜日、バペットシアターPROJECTのボランティア研修会を開催しました。
バペットシアターの全体像、10月第1回目の当日の動きなど1時間の研修会。
参加されたT様、ありがとうございました。

さて、この研修会でも説明させていただいただいた本事業の資金について、このブログでも皆様にお伝えしておきたいと思います。

この事業の資金は、今年はちくご川コミュニティ財団様の「子ども若者応援助成」から賄われます。
以前簡単に紹介しましたが、この「子ども若者応援助成」は、ある方の遺贈によって賄われています。

つまり、御自分の御遺産を「困難を抱えた子どものために使って欲しい」との強い願いで遺贈された方の遺贈資金を、私たちは使わせてもらっている。
そういうことです。

しかし、それでは大切な何かが伝わりにくいのも事実です。
私たちが、ちくご川コミュニティ財団様の学習会に参加して学んだ具体的事実は、次のようなことでした。

遺贈された方は末期ガンの痛みと闘いながら、それでも遺贈の手続きを進めるために、痛みを緩和するモルヒネも打たず(意識が朦朧とするからです)、手続きを進められたそうです。
そして、遺贈の手続きが全て終わった数日後、息を引きとられたとのことです。

最初は、世界中の困っている子どもやホームレスの方々のために使って欲しいということで、遺贈を考えられるようになったとか。
そして、ガンと闘いながらそれを具体化していった結果が、「子ども若者応援助成」なのです。

その事実を学習会で学んだ時、私はあの「夜と霧」書いたフランクルを連想しました。
「夜と霧」は、ナチスの強制収容所に囚われたオーストリアの精神科医フランクルの書いたあの本です。

「夜と霧」を書いたフランクルは、強制収容所の体験から、次のようなことを主張するようになります。

人生には「創造価値」「体験価値」「態度価値」があると。

「創造価値」とは、何かを創造する価値のことです。
論文を書く。芸術を創造する。おいしい作物を育てる。人を育てる。人の役にたつ。
それらの価値が創造価値です。

「体験価値」は、文字通りの意味。

しかし強制収容所に入れられたフランクルは、創造価値と体験価値の全てを奪われてしまいます。

しかし、フランクルは言うのです。
創造価値と体験価値が奪われても、私から態度価値を奪うことは誰にも出来なかったと。

態度価値とは、どう振る舞うかという価値のこと。
例えば、ある囚人が別の飢えて衰弱した囚人の横を通る時、このパンを差し出して与えたら自分が衰弱して死ぬ。
そのことがわかっていても、ぞっと自分のパンを衰弱した囚人の横に置いていく。
そのような選択制をする囚人たちが確かにいた。
フランクルはそう言います。
これが振る舞いの価値、態度価値です。

フランクルは、強制収容所の中であっても、人間は日々無数の選択を迫られると言います。
向こうから押し寄せてくる無数の選択との応答関係、それが態度価値です。
これは、何も強制収容所の中だけの話ではありません。
あらゆる人間は、日々向こうから押し寄せる無数の選択をしながら生きている。
フランクルは、そう言います。

話を戻します。

遺贈された方の振る舞い方を聞いた時、私はフランクルのその話を連想したのです。

末期ガンの激痛と闘いながら遺贈の手続きをされた方。
その方は、最後まで御自分の態度価値(押し寄せる痛みの中で自分が何を選ぶかという選択の価値制)を手離さなかった。
そう連想したのです。
見事に生き抜いた方です。
人間は死の瞬間まで、自分の人生の意味を創造することが出来るのです。

私はその方の御名前を知りません。
その方が遺贈者の名前を明かさないようにお願いして亡くなったので、私は知ることが出来ないわけです。

でも、このようにして生まれた資金を活用して、バペットシアターPROJECTが開催されること。
それは、ブログをお読みの皆様に伝えることが出来ます。

さあ、10月になりました。
バペットシアターPROJECT†困難を抱えるこどもへの人形劇観劇支援事業が、いよいよ開催を迎えます。

【釜】