ある自治体での提案公募型協働企画の一次審査を通過した劇列車のアート体験企画「アートであそぼ!」。
二次審査(プレゼンテーション)に向けて、目下準備中。
さて、準備の中で肝に銘じていることは、こんなことです。
子どもの参加型アート体験企画は、習い事の入門編であってはならないということ。
子ども時代は、どんな子どもにもかけがえのない大切なもの。それは大人になって「いい生活をするための準備期間」であってはなりません。
塾で学力をつけ、習い事で塾で足らない力をつける。何のために?「立派な大人」になるために。でも、立派な大人って、どんな人のことをいうのだろう?
そういうことのための準備期間のために、子ども時代が従属していてはならないと思うのです。
最近芸術家の学校派遣事業も、だんだん増えてきました。
コミュニケーション力をつけるための演劇ワークショップ、○○ののための○○ワークショップ、などなど。それは、とても大切なことです。
けれども、私はこんなことを考えてしまうのです。コミュニケーション力って、子どもにそんなに必要なの?黙っている自由だって大切なのに。何がしかの効用を目的としたワークショップって、ホントに子どもに必要なの?
そんなことを考えてしまうのです。
人とコミュニケーションがとれないから、演劇ワークショップ。○○だから、○○ワークショップ。それは対症療法みたいなもの。
コミュニケーションがとれない原因、○○な原因をとらえて、その原因を解消することが王道です。それはワークショップに関わるアーティストがやるべきことではありません。教育に携わる大人たちがやるべきこと。
そして、教育にせよワークショップにせよ、大切なのは、子どもが生きていることが<肯定>されていること。
つまり、子どもの視点で、子どもに大人が関わること。
子どものアート体験の価値は、教育の効用にあるのではなく、思いっきりかけがえない「子ども時代」を保障することにある。私は、そう思うのです。
さて「子ども時代の保障」とは、大人になる準備期間を、塾や習い事で充実させるのではなく、そこから解放された思いっきり遊べる時間と場を保障することが大切なのだと思うのです。
そんな観点で、私たちの「アートであそぼ!」企画を練り上げています。
写真は、あとりえ山猫亭近くの秋月の風景。空の青がもう夏空の色に近くなってきました。
【釜】
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