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1年を振り返る

2021.12.26 (日)

冬至が過ぎました。
今からは、少しずつ日が長くなりますね。まずは日没時間が遅くなっていきます。

さて年の瀬です。

今は作品ブラッシュアップでてんてこ舞しています。
また「市民人形劇学校~実技編」準備も同時に進行しています。
なかなかに暇がないのですが、恒例の一年の振り返りをしてみましょう。
今年は「運動」の振り返りをしてみたいと思います。

時々ブログで書いてきましたが、舞台アート工房・劇列車は、いわゆる劇団ではありません。「演劇教育実践の運動体」なのです。
もちろん通り名がよいので、「人形劇団」と自ら名乗ることも多いのですが…。

私たちは作品創造に心血を注ぎますが、それは運動の発展には良質な作品創造が必要だからです。
私たちは表現者であろうとしていますが、同時に運動者であるのです。
決して作品創造のための創造を目指してはいないのです。

社会を少しでも人間的な社会に変えていくために(子どもを中心に据えた社会に変えていくために)、表現がどう寄与していけるのか。
私たちは、いつもそこを大切に考えています。

というわけで、私たちは「どんな子どもにも」というミッションを掲げて、演劇教育運動をやってきたのです。

教育のしごとの本質は、「魂」に触れるしごとであることです。

職業教師、アマチュア教師、生涯教育実践者、地域で子どもに関わる大人たち、それぞれがそれぞれに、深さ浅さの程度も様々でしょうが、それぞれに子どもの(あるいは大人の)「魂」に関わっているのです。

だから、子どもに関わる人々は、子どもの「魂」に対する尊敬を持っていなければなりません。
(これは私の長い職業教師としての体験から導き出された私見です)。

そして思います。
ようやく、様々な方々が「子どもを真ん中において」と発言しだしたなぁと。
今年は、特に増えたなぁと感じます。

一方では、「どんな子どもも真ん中において」と主張することは、じつはとても困難なことでもあると思うのです。

子どもは、大人や他者への攻撃的言葉や行動、自己への攻撃(リストカットや頭の毛を激しく抜き取るなどの自傷行為)を繰り返すこともあります。

彼らは、関わってくる大人が信用するに足りる存在なのか、まずは試し行動に出てきます。
子どもの受けた傷が深ければ深いほど、試し行動もたいへん激しいものとなります。

彼らの表面の行動や言動に惑わされずに、大人が子どもの「魂」の声を、自らの「魂」で聞き取ることが大切なのです。

次に、様々なSOSを発する子どもたちは、社会の片隅に追いやられていることが多いのです。
言い替えれば、社会の片隅に追いやられている子どもほど、深刻な危機的状態にあるということです。
こんな子どもたちは、片隅に棲んでいるがゆえに、「見えない存在」となり勝ちです。
社会のど真ん中に棲む大人たちからみれば、不可視の存在となり勝ちです。
大人には、見えなくなっている人々を「見る力」が求められます。

子どもは「社会の反映」なのです。
そのような感受性と視野を保持していななければ、大人たちの「子どもを真ん中において」という言葉は、単なる美辞麗句となってしまいます。

美辞麗句としてではなく、ほんとうに「どんな子どもも見捨てない」社会が、具体的に構築されいくことを望みます。

さて、運動という言葉を使って書いてきました。
「運動」とは、人と人が出会い、関係を組み替え、システム(目に見える制度)を少しずつでも動かしていくことです。

「教育運動」とは、子どもの魂に触れる畏れを忘れずに、触れることから生まれる希望を土台にしています。
その上で、人と人が出会う。
子どもの魂にそっと触れ、そして人と人の関係を組み替える。
目に見えるシステム(制度)を少しでも人間らしいものへと動かしていく。
それが「運動」なのです。

以上、長々と一般的原則論を述べました。

さて具体的には、劇列車は今年3月からバペットシアターPROJECTを開始しました。
これは、たいへん大きな一歩でした。
困難を抱え込んだ子どもたちへの芸術体験支援を、具体的に開始できたのですから。

この事業に助成をいただいた「ちくご川コミュニティ財団」の皆様、地域創造基金「さなぶり」の皆様、ほんとうにありがとうございました。
バペットシアターPROJECTは、助成をいただけなかったら、持続不可能な事業です。
とてもありがたい助成です。
深く御礼申し上げます。
この事業は、来年も継続拡大をしていく予定です。

そして「市民人形劇学校†研究実践交流編」。
実践報告や助言で関わられた皆様、ありがとうございました。

この参加呼びかけには大変苦労しましたが、様々な方々と新しく出会うことが出来ました。

特に、子ども食堂に奮闘する大人、フリースクールの維持に頑張る大人、子どもの文化運動に関わる大人、そんな皆様との出会うことが出来たことは、私たちにとっても学びの機会となりました。
また、私たちが決して孤立していないことを実感させられる機会でもありました。

来年は、地域で様々に行われている演劇教育の現場を見学させていただければなぁ、と目下構想中です。
せっかく出来た小さなネットワークです。
地に足がついた広がりを作っていきたいと思うのです。まずは、皆様方の実践から学ばせていただけたら、と思うのです。

こうして振り返ってみると、コロナ禍であっても劇列車運動は、バペットシアターPROJECTという具体的な形を生み出し、助成という形態で協同を生み出しました。

また、子どもと向き合い奮闘する大人たちと出会い、私たちが孤立しているわけではないことを痛感しました。

またコロナ禍であっても11回出来た巡回公演や様々なワークショッブで出会った皆様のことは、ここでは書ききれません。
いろんなことがありました。
私たちにとっては、これらの事業も、一つ一つが運動なのです。
ここで出会った方々からも、様々なことを学ばせていただきました。
ありがとうございました。

来年は、私たちの運動はもっと広がりが出るだろうと思えてなりません。

忘れてならないことは、
私たちの喜びは、出会う皆様の喜びであることです。
この原則を肝に命じて歩まねば、いとも簡単に「私たちの喜びは私たちだけのものとして完結する」事態に陥ります。
これは「運動」の堕落以外の何物でもありません。

地に足をつけて、決して驕らず、惑わされず、誹謗中傷は聞き流し、黙々と万を越すチラシを数え、寒風に負けじと外で金槌をふるい、汗まみれになって地道にしごとをし、時に毒舌を吐き、逆風が吹いても一歩一歩歩んでいきたいと思います。

一見「運動」とは無関係に見えるこれらのことも、じつは「運動」なのです。
これらのしごとを黙々とこなしていくことが、「地に足をつける」ということなのです。


随分以前になりますが、岩手ぶどう座の川村氏より年賀状をいただいたことがあります。
そこには、こんなことが書かれてありました。

「ふぷきが吹いたら人は前を向いて歩けなくなる、だから人は風に背を向けて歩いていく。
前を向いていなくても後ろを向いていても、人は確かに歩んでいる」。
そのようなことが書かれてありました。

とするならば、どんな逆風が吹いても、なにも怖がらなくていいということです。歩んでいけるのです。

どんな風が吹こうが、来年も一歩一歩歩んでいきます。
一見すれば蝸牛のような歩みですから、歩いているとは見えないかもしれません。

蝸牛の歩みは、人間の歩みよりもずっと遅い。
しかし、ちゃんと歩んでいますから、暫く目を離していると、姿を見失います。

蝸牛のようにゆっくりと、全力で力を出しきって、笑顔で(内側は必死の形相で)、確かに歩んでいきます。

皆様、よいお年をお迎えください。

【釜】






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