記事一覧

子どもの体験喪失について思う

2022.04.23 (土)

新しい年度がはじまり、劇列車も今年度事業および新作について思考し、話し合う日々が続いています。
2022年度事業を確定させるために、当然、昨年度までに実施してきた事業をふりかえることになります。

2020年、社会がコロナ禍に見舞われてから、一つひとつが手探りでした。
公演準備の方法、上演者と観客との関係性、ワークショップにおけるプログラムのあり方…など、感染拡大予防対策をとりながら実施するにはどうすればいいか、何度も検証し試行錯誤してきました。

私たちも、社会も、常時マスク着用やフィジカルディスタンスの確保など、この2年間でコロナウイルスとの付き合い方にだいぶ慣れてきたように思います。

その一方で、ふと思うのです。
付き合い方に“慣れ”ることで、“喪失”したものがあるのではないのか、と。

虐待を受け続けた被虐待者は、感情を失っていきます。
感情を表出しないことが自分を守ることにつながる、ということを学習していくのです。
それは自己防衛のためであり、生きていくために必要に迫られて無自覚に行われる学びなのです。
感情の喪失だけでなく、思考することも放棄していきます。思考しても答えがでず、思考すればするほど自身が辛くなっていくからです。
感情を失い思考放棄に陥っている被虐待者は、たとえ自身の置かれている環境が劇的に改善され、良い環境のなかに何十年と身を置いたとしても、“自然と”回復することはありません。

この2年間、フィジカルディスタンスを保つため、グループでの活動は敬遠されてきました。それはもちろん、やむを得ないことです。
感染拡大予防対策をとりながら、どう仲間と活動をする喜びを体験できるか、それぞれの現場で試行錯誤が行われてきたことと思います。私たちの事業も、同じように試行錯誤してきました。

2年前の子どもたちは、落ち着きがなく、内側に溜まった負のエネルギーを発散させようともがいていました。
1年前の子どもたちも、同じような様子がみられました。

直近で出会う子どもたちは、ずいぶんと状況に慣れ、受け入れ、従順に、当たり前のように過ごしています。
表情筋がほとんど動かないマスク越しの顔を見合わせながら、マスク越しにとても小さな声でしゃべりながら、日常を過ごしているようなのです。

この2年間で、子どもたちは感情を表出できる機会がどれほどあったでしょうか。
人との関わりをつうじて、苦悩し思考し喜びを感じあえる機会がどれほどあったでしょうか。

子どもたちが体験喪失によって得られなかったものは、『コロナが落ち着いたら』自然と回復するのでしょうか。

たった2年。何が失われたのか、あるいは、失われていないのか。

昨年度の事業をふりかえり、新しい年度の事業を計画するにあたって、思考することは山積みです。

【尚】






コメント一覧

コメント投稿

  • コメントを入力して投稿ボタンを押してください。
投稿フォーム
名前
Eメール
URL
コメント
削除キー