いよいよ年の瀬も押しせまってきました。
劇列車では、いまだ「どんぐりと山猫というはなし」改作のために稽古が続いています。
さて、恒例の1年の振り返りをやってみたいと思います。
最初にあげたいのは、なんといってもパペットシアターPROJECTのひろがりと深まりです。
この「困難を抱える子どもへの人形劇観劇体験支援事業」は、様々な方面へ影響を広げています。
この事業展開の中で、私たちは困難な壁に阻まれた人々の息づかい、それでも前に進もうとしている希望と勇気に直接触れることが出来ました。
それは、私たちの表現創造にも深く影響を与えています。
そしてこの事業を実施していくために、上演団体=受け入れ団体=助成団体との協同が発展しました。
また何よりもパペットシアターによって、私たちは私たちのNPOミッション「どんなこどもにも劇を!文化を!」に、魂を吹き込むことが出来たのでした。
「どんなこどもにも」とは、文字通り「どんなこどもにも」です。
難しいことは何もありません。
しかしそれを愚直に実行しようとすれば、「貧困や虐待、差別によって、社会の外縁に排除されているあらゆるこどもが子どもである」という厳しい現実に直面します。
彼らに劇を届ける必要があります(その理由は後述しています。直接書いているわけではありませんが)。
私たちはパペットシアターを通じて、NPOミッションを具体的に可視化した形で展開出来るようになりました。
次に4回にわたった「親子人形劇がっこう」をみてみます。
ここで私たちは、創造的あそぴが人間の心に与えるプラスの影響を確信しました。
親子がっこうでは、手作り紙コップ人形を使って人形劇あそびを楽しむ親子の姿がありました。
どの回でもです。
あえて断言しますが、人形劇あそびでは会場の空気が温かく和むのです。いつの回でもそうです。
そこから透けてみえるのは、親子のふれあいの時間を十分にとれず、時間にあくせくと追われる私たちの日常の姿でしょうか。
あらためて親子がっこうの意義を再確認しました。
親子がっこうとは、人形劇のツールを借りた「親子の親密なふれあい回復の場」だと思います。
私たちは、それを可能とするプログラムの開発にやっと成功しました。それが2022年の成果の一つです。
止まれ。
とはいえ、親子がっこうには、私たちがパペットシアターで訪れている親子の皆さんの多くは参加されないと思います。
親子二人でワンコインで済む程度の参加費なのですが、それでも参加されない方々が多いだろうというのが実感です。
それは経済的障壁が原因ではありません。心理的障壁が厳然とあるようです。
それも無理はありません。抑圧的な社会の中で、文化芸術も抑圧の一端を担っているのですから。乱暴なくくりかたですが、縁遠い人々には「ありがたく高級感溢れた息が詰まるもの」でしかない。
しかし、本来文化芸術には自己の内面を見つめ進化させ、自己と周囲の関係を組み替える働きがあります。
文化芸術は、自己の「意識化(世界に埋没している自己から、世界を対象化し批判的に介入する自己への変化のこと)」に必須のものです。
それが抑圧的な社会の中で、人々の「意識化」を誘発するものでなく、人々を「眠らせる」ものへと転化してしまっている…。
ここから「誰のための文化芸術か?」という問いが自然と生まれるわけです。
最後になりますが、私たちのこの1年、創造分野での仕事は、上述の自問を繰り返した試行錯誤の日々でした。
大したことが出来たわけではありません。
「さちのまだみぬ物語」
という脚本を産み出し、稽古にとりかかりました。
「どんぐりと山猫というはなし」の全面改作に取り組んでいます。
はなはだ心もとない歩みですが、私たちはこれを「民衆的な人形劇の創造」と呼んでいます。
民衆。
時代錯誤的な言葉に聞こえる皆さんもいらっしゃると思います。
しかし「大衆」でも「人民」でも「庶民」という言葉でもとらえられない何かが込められた言葉です。
私たちはこの言葉の上にしっかりと立ちたい。
この言葉に立たないと見えてこないものから、創造の仕事を進めたい。
年の瀬に大きなことを言いましたが、これが私たちの創造ベクトルの方向であります。
どうか私たちのつくりだす作品を手厳しく御批評下さい。
人も団体も大きなことを思い描き、手厳しく叩かれることでしか成長しないのですから。
言い尽くせないことも多いのですが、長文になりすぎます。
これをもって1年の振り返りとさせていただきます。
それでは今年も残すところ2日。
皆様、よいお年をお迎えください。
【釜】
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