新作「さちの物語~貧乏神と福の神とさちの物語」の脚本書き直しが、いよいよ大詰めとなってきました。
昨年9月に脚本を仕上げていた新作の稽古ですが、4月中旬に稽古がストップしてしまいました。
理由は、主として脚本の甘さにあります。
何を書きたいのか?
格差と貧困の告発か?
それとも、それを題材にしながら別の何かなのか?
そんな脚本の詰めが甘いまま稽古に突入していたため、稽古が進むに従って頓挫してしまうのも、当たり前と言えば当たり前のことですね。
それから一ヶ月半。
ミーティングをしては脚本書き直しの作業が続きました。
書き手としては、私たちが置かれている一切の制約を無視して書き進めました。
(もちろん、今回の上演班2名という制約だけは守りましたが)。
それ以上の制約を考えていては、脚本の自己規制となってしまい、ロクな脚本に仕上がらないという判断の共有の下、思いきって書き進めてきたわけです。
そうして。
出来上がりつつあるのは、傷みを背負った人間の回復とは?ということに、光をあてた(焦点を絞った)作品です。
傷みは言葉にならないものです。
哀しみ、憤激、怒り。
そのような感情に言葉を的確にあてはめることは難しい。
そして言葉を持った時、言葉を発することの出来る場を得た時、人は傷みから回復していく…。
脚本のネタは以前と同じ。
しかし、全く違った脚本になりました。
回復とは?
それはどういうこと?
延々と続いたミーティングを経て、言葉に強さのある脚本に仕上がりそうです。
表現とは、自己の内側にあるものと、自己を取り巻く世界との接点に生まれるものです。
それは書くいう表現でも同じことです。
自己と世界の接点に生まれた緊張こそが、ドラマの核であり、いのちなのだと思います。
詩的な表現となってしまいましたが、創造のこんなことを書こうとすると、このような方向での文章でしか表せないことが多くあります。
どうか御容赦を。
「さちの物語~貧乏神と福の神とさちの物語」は、12月に名古屋ひまわりホールで初演予定です。
久留米では、3月に石橋文化会館小ホールにてお披露目となる予定です。
【釜】
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