15日日曜日、秋月の着て民祭で、野外上演させていただいた時の話だ。
上演させていただいたのは、「そばと山姥」15分。
全く野外での大道芸的な上演で、無料だ。
見ていただけるだけで、ありがたい。
路傍での上演は、とても鍛えられる。
だから、楽しくてたまらない。
だが今日は、そういうことを言いたいのではない。
上演が終わって、見知らぬ方から「珍しいものを見せていただいたお礼に」と言って、千円札を渡されたことについて書きたい。
いまでこそ、少しはましになったと思うが、私たちは、とても下手であった。上演するごとに、顔をしかめられてきたものだ。
(今だって上手いわけではない)
人を楽しませたいのに、顔をしかめられる。こんな辛いことはなかった。
だから何年も、石にかじりつくようにして、精進してきた。
「ごめんなさい、次はもっと楽しませることができるようにがんばりますから、許してください」と、いつも心の中で謝ってきた。
精進で自分たちを支え、恥ずかしながら上演してきたのだった。
だから、今も精進を欠かさない。
今やっていることは、そんな日々の積み重ねの上にある。
秋月でいただいた一枚の千円札。
私たちのやることに、顔をしかめられてきた日々を振り返ると、万感の思いがこみ上げる。
人から見れば、たった一人の方から、お札一枚いただいただけのこと。
けれども私たちには、とてもありがたい、かけがえのない千円である。
千円札で現されたお気持ちをいただけるくらいには、人様のお役に立てることができるようになったのだから。
さあ、また明日も、元気にがんばろう!!
【釜】
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