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自分の感受性くらい…

2014.04.17 (木)

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自分の感受性くらい自分で守れ…とは、茨木のり子の詩の一節だ。
自分の感受性を自分で守る、あたりまえのことだ。だが、あたりまえのことをするには、闘いがいる。
最近とみに思うのだが、この国では感受性の画一化が、ひどく進んでいると思わされる。放射能のことしかり。戦争と平和のこと、地域文化のこと、しごとと人生のこと。

借り物の言葉を自分の言葉とし、借り物の感受性を自己の感受性と信じて疑わない。それが強く、同調圧力となって、自分の感受性を守ろうとする行為に襲いかかる。

茨木のり子の詩は、闘いの詩なのだ。そう思えてならない。

表現することは、人とつながることだ。自己と違う他者とつながる回路を必死に求めることこそ、表現行為の本質だ。
同時に、自己の感受性を守る闘いであることも、表現行為の本質だ。

この一見相矛盾することの、でこぼこでガサガサした不器用な統一行為こそ、表現行為そのものなのだ。そう思う。

写真は、春らしいキンポウゲの群落です。
【釜】