明けましておめでとうございます。コロナ禍の中で明けた2021年ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
昨年の劇列車は、一昨年度までと比べて、公演数激減に見舞われました。もちろんコロナ禍のためです。
少ないながら公演オファーもあったのですが、いまのところその全てがキャンセルになっています。
突然の不意討ちに、活動を成り立たせる財政基盤が大きく揺らぐ事態を迎えました。
一方で、公演数激減で出来たゆとりを活かして、理論と創造の土台を高くしていきました。
理論面と創造面では、新しい局面を切り開きつつあります。
首都圏への緊急事態宣言検討というニュースが飛び交う中で迎えた2021年も、なかなか先が見通せません。
しかし今年は不意討ちではありません。財政困難打開の対策も打っています。
さてコロナ後も、多分社会は元には戻らないと思われます。
2011年福島第1原発事故後の日本社会は、確実に変わりました。どんなに事故の影響が隠蔽されようとも、何かが確実に変わり、もはや元には戻っていないのです。
例えば、あれほど自然エネルギーに不熱心な政府を持ちながら、自然エネルギーは、確実に日常生活に根付きました。風車も日常の風景と化したのです。
ではコロナ禍は、何を変えつつあるのか?
それは、格差のひどい拡大と可視化なのではないかと思います。
30年続く新自由主義政策によって、そもそも経済格差が耐え難い程に拡大していた日本社会なのです。
そこにコロナが直撃。仕事を失うのも、経済的に困窮するのも、社会的に孤立するのも、多くが社会的弱者です。
株価が下がらずむしろ上昇しているなか、それで潤っているのは、多くが富裕層です。
従ってそもそも存在してひらきつつあった経済格差が、耐え難い程に拡大しつつあります。またそれが見えるようになってきました。
ウィルス感染は終わっても、一度変化した社会はなかなか元には戻りません。
その中での私たちです。私たちの文化運動です。
子どもの困難も深化しているようです。
家庭文化、地域文化が解体している中で(それも格差社会を反映して不平等に)、例えていうなら丸裸で無防備にマスコミから垂れ流される商業文化にさらされている子どもたち。
私たちは、そこを視野に入れた運動を展開していく必要に迫られています。
原理的にいえば、文化から疎外された子どもたちが、自らの手で自らの文化を奪還していかなくてはならないのです。
それが「子ども時代の保障」なのだと思います。
さて、微力ながら劇列車はそこに踏み出しました。この一歩が、今後どこまで続く旅となるのか?劇列車の創造と運動と組織を、どう変えていくのか?
本当に楽しみです。
苦しみながら楽しむのです。それが本気というものだと思います。
それでは皆様、今年も劇列車をよろしくお願いいたします。
【釜】
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