さて、今日は前回使った言葉「前人未到」について述べてみます。
じつはブログにアップして、一つ反省したことがありました。「前人未到」ではなく「前人未踏」の方が正確な言葉使いではないか、と考えたのです。
「前人未到」では、「まだ誰も達することが出来ていない」という意味になりますが、「前人未踏」では、「まだ誰も歩いたことがない」という意味になります。
もちろん「前人未踏」でも、或る集団なり個人が或る経験の蓄積から、或る高みに至っていなければ、誰も歩いたことのない道など歩けはしません。誰もが、誰かが歩いた道を歩きたがります。
誰も歩いたことのない道は、歩ける力がないと歩けないのです。
その意味では「前人未到」でもよいのでしょうが、やはり正確な言葉使いとはいえないと思うのです。
結成当初から、劇列車は「どんな子どもにも劇を!」と看板を掲げてきました。元々は「あらゆる子ども…」だったのですが、より主張を正確にするために、「あらゆる」から「どんな」へと言い替えているのです。
けれども、この看板言葉は珍しくもなんともありません。
言葉は違えど、いろんな児童演劇の劇団が掲げてきたでしょうし、社会的にも流通しやすい言葉でしょう。
劇列車は、この看板の下で巡回公演を主体に活動してきたし、上演料金やチケット料金も低額に抑えてきました。
これもそれなりの数の劇団が実践してきたことでしょう。
私たちの実践は、他の団体でも行っている実践だったと思います。
しかし、「どんな子どもにも」に「困難を抱える子ども」を含み込んだ時、様相が変わってきたのだと思います。
論理的には、「どんな子ども」に「困難を抱える子ども」を含むことは、まったくまっとうですし、誰でもがそう言うでしょう。
けれども、それを実践課題として正面から取り上げた時、様相が変わりだしたのです。周りをみても、このことを実践課題としている他の集団は見当たらなくなりました。
(これはあくまで表現団体に限定した話ですが)。
ここからが「前人未踏」なのだと思います。
そして、具体的に「困難を抱える子どもへの巡回公演」を企画し、そこに助成もいただいて実現可能となった時、もはや私たちの周りには、類似団体がなくなったのです。
(もちろんこれは、私の見聞の範囲での話です。アンテナは張り巡らしているつもりですが、キャッチ出来ていません。もしかしたら、同じような実践に踏み込んだ団体があってもおかしくないのですが…)。
これはブログで紹介しましたように、「パペットシアターPROJECT」として具体的に動き出しました。無料子ども塾や子ども食堂への巡回公演です。
このことを指して「前人未踏」といっているのです。
私たちは、この企画第一段を成功させて、孵化させていくことに努力していきたいと願っています。
さて、とするならば「前人未踏」とは、いろんな「前人未踏」があるということです。道は違えど、誰も歩いたことのない道を歩くこと、それが「前人未踏」なのですから。
劇列車は、そのような「前人未踏」の域に入ったということです。
誰も歩いたことのない道ですから、自らの理論を構築しながら、道を切り開いていかなくてはならない段階に入ったということです。
【釜】
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