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パペットシアター、学童保育所公演終わる

2021.03.30 (火)

28日パペットシアターPROJECT公演と、29日久留米市内学童保育所公演(いずれも演目は「ちょうふく山のやまんば」)を、無事に終えました。

パペットシアターでは、ワールド学級の子どもたちと保護者の方々が、にぎやかに観てくれました。活発に出てくる反応に私たちも楽しくなりました。
終演後、カタコトの日本語で「こんなの見たのはじめて」と話しかけてくれたお母さんの感想に、パペットシアターPROJECTの実施意義が集約されて表現されていたといって過言ではありません。
この一言は、ほんとうに嬉しいものでした。

また筑後川コミュニティ財団の視察、ありがとうございました。わずか30分足らずのヒアリング時間で失礼しました。いろんなお話しをもっとお聞かせいただきたいところ、短い時間でとても残念でした。

そしてワールド学級の担任の先生、日曜日に関わらず子どもたち受付に出てくださり、ありがとうございました。
先生が子どもに声をかけている口調や仕草から、先生と子どもたちとの間に、日頃の温かい人間的な関係が作られていることが透けてみえておりました。

教育の場にほんとうに必要なもの、今の学校ではどんどん薄れていっているものを目の当たりにみて、私も教師のはしくれを長年してきた身ですから、たいへん貴いものを見せてもらったと思っています。いろんなお世話を、ありがとうございました。

学童保育所公演は、ほんとうに久しぶりの巡回公演でした。
まだ治まらないコロナ禍の中、今年いっぱい巡回機会も少ないと思われます。
そんな中、子どもたちの集団の前で演じる機会は、心浮き立つものがありました。
終演後の感想発表で、自発的にたくさんの子どもたちが手をあげて、人形劇の感想を聞かせてくれました。とても楽しい時間でした。
「あいかわらずの素敵な作品ですね」とは、指導員の先生の感想。
これも嬉しい一言でした。

さて、「ちょうふく山のやまんば」は手打ち公演以外では、初御披露目でした。とくに新バージョンは勿論初御披露目。
あらためてお客様の前で演じる機会をいただいた時、この作品が生き生きとお客様の心に届いていっていることがわかりました。

作っている時には、それなりの確信をもって作っているのですが、作品が観ている方々にどう受け止められるかは、やはり実際上演してみないとわからないのです。

「ちょうふく山のやまんば」新バージョンが、子どもたちや大人たちを引き込んでいることを実感したことは、やはり新鮮な嬉しい驚きでした。

それは、きっと民話のもつ力と人形劇のもつ力が合わさったからでありましょう。

民話とは、民衆が産み出した口承文芸、人形劇は、様々な演劇形態の中でもっとも民衆的な演劇形態です。

民衆の物語がもっとも民衆的な表現形態で表現される時、人形遣いと観ている観客(民衆)の中に、何かが通いだし、お互いの間に力を産み出すのでしょうね。

今回の「ちょうふく山のやまんば」上演で、感覚としてそれを実感しました。
その感覚を踏まえて言うのですが、私たちに出来ることは、次のことくらいでしょうか。

民話の中に潜む「民衆の健全な物語」としての本質を取りだし、現代との接点を探りだしていく綿密な作業をすること。

(何が「健全」なのでしょうか。何をもって「健全」というのでしょう。
それは「民主主義の精神」からみて「健全」ということです。
民話には権威主義的な社会秩序と男尊女卑社会に染まって歪んでしまったものもあります。民衆の精神が歪めば、当然民話も歪みます。
例えば、差別を肯定する民話には、差別を肯定する民衆の精神が土台となっています。
それを民話だからという理由で無批判に肯定してはならないのです。

そんな民主主義の精神は、どんなに古くさいと言われようと固いと言われようと、決して手放してはならないものだと思います。
そのような価値観(哲学)なき表現は、フワフワして地に足がついていないと私には見えています。

現代日本社会は「決して手放してはならない宝石を、ゴミとしてポイ捨てしてきた社会」なのではないでしょうか?

私は、ポイ捨てされてきた価値観を大切にしてきましたし、ポイ捨てされた価値観に美意識を感じてきました。
分かりやすく言うならば、私は店で売られるチューリップよりも、工場の片隅に人知れず咲くタンポポを美しいと感じてきたのです。
それはかつて、誰もがもっていた美意識だったと思います。
それがだんだんと人に話すことが難しくなってきたものです。
そんなことを話すと「あの人変わっている」などと、後から周囲で囁かれたりするようになってきました。
ですから、私はずいぶんと今の日本社会に違和感と疎外感をもって生きてきたのでした。

それなのに、私の哲学と美意識からスタートして、上演チームの力でひとつの作品に結実された人形劇が人に受け入れられる、人が喜んでくれるのは、私自身にとっては、深いところで自己を肯定できる喜びでもあるのです。)

話しがずれました。
次に、私たちに出来ることは、人形劇表現に潜む民衆性に自覚的に気付き続けること。
私たちには、それくらいのことしか出来ないのでは、と思います。

しかし、「それくらいのこと」に一生を賭けるくらいの値打ちがあると思うのです。

なぜそれほどの値打ちがあるのでしょう?
物語の素材を前にして考える0スタート地点、なにもないところから始まり、観客の皆さんとの人形劇を通じて心のふれ合いを産み出すに至る長い道程。

それは、私たちの心に深い充実感をもたらしてくれる道であるからです。
モノを買う消費行為からは、決して見えてこなかった風景さえ見えてくるのです。

月並みな表現で恐縮ですが、幸福はお金では買えないのですね。人間自身が造り出すものです。
私たちにとって人形劇とは、幸福に至る道なのかもしれません。
人と喜びを分かちあいながら歩む幸福への道…。

さて様々な皆さんと出合い、表現で人とつながる。それが少しは出来たかなぁ、と実感したパペットシアターと学童保育所公演です。

また21日の「人形劇であそぼ!」以来、8日間で4つの企画を駆け抜けてきました。
そこで出合った皆様と、お手伝いいただいた皆様に、あらためて厚くお礼申し上げます。

【釜】