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8月と戦争

2011.08.01 (月)

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8月がやってきた。
言わずもがなであるが、日本が敗戦した月であり、マスメディアも毎年恒例のように、特集記事(番組)を組む。

そういえば、私たちもNHK第一テレビの番組で、15分ほど紹介していただいたことがあった。ありがたいことだ。

さて、兵士であった以外の日本国民にとって、戦争は「空襲」であり「欠乏」であったという。戦争体験は、そんな被害体験として語られてきた。
私が父母から聞いて育った体験談も、そうであった。

その結果、被害体験に一面化した記憶は、多くの場合、「あの時はあんなに大変だった」という苦労話で終わったともいえる。

だから、戦争責任問題の国民的議論も広がらなかった。
戦争をくぐり抜けた世代がそうであれば、戦後世代が「戦後責任」を考えなかったからといって責められまい。

「戦後責任」とは、戦後世代には戦争を起こした責任はないが、戦争を記憶し、非戦社会をつくる責任があるという考え方である。

こんな考え方は、固くて古いとして、大衆次元では1980年代にコケていったように記憶している。

変わって、高度消費社会に適合したモノが、もてはやされるようになったとも記憶している。

だが時代は反転した。
90年代になって急に、日本国と日本国民が、忘れてしまったはずの「戦争」が立ち上がってきたのだった。
立ち上げたのは、アジアの民衆だった。

従軍慰安婦の国家賠償問題などを筆頭に、次々とアジアから「忘れるな!」という異議申し立てがあげられたのだった。

その時、もはや日本国民の多数派は、アジアからの異議申し立てを受けとめる能力を喪失していたと思う。

そこから、幾多の歴史認識問題や外交問題が発生した。

さて、私たちは「土地に埋め込まれた悲劇」の声を聞き取って、朗読劇にしてきた。
だから、空襲のお話を昔の苦労話として取り上げてきたつもりはない。

土地に堆積して埋もれた声を聞いて、イタコの役割を果たしてきただけなのだ。

ただ、これだけは考えてきたつもりだ。
土地の声を聞くことは、地域発見の心の旅であるとともに、戦後責任の実践なのだと。

名もなき一つの泉も、地下水脈で広大につながっている。
イタコとしての、戦後責任実践としての私たちの朗読劇は、頓田の森から、被爆児童張萬相くんを通じて、朝鮮海峡を渡る心の旅でもあるのだ。

それが、アジアの人々と食い違ってきた「戦争体験」のすり合わせの一滴になれば、こんなにうれしいことはない。

また、それが出来るだけの力を、まだまだ蓄えよう。
まだまだ足りない。

8月に、そんなことを思うのだ。

【釜】