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記事一覧

市民人形劇学校~研究・実践交流編、参加呼びかけ

2021.09.08 (水)

落ち葉が風にカサカサと音を立てて、転がっていく風景が見られるようになりました。

今日は「市民人形劇学校~研究・実践交流編」について、内容の紹介をいたします。

演劇(人形劇)の力を活用して、子どもの発達に寄与する営みを演劇教育と言います。
「市民人形劇学校~研究実践交流編」は、学校や地域での演劇教育への理解と普及を意図したフォーラムです。

学校をより「人間的な発達の場」にするために、孤立化が進む地域空間をより人間的なつながりのある空間に変えていくために、演劇(人形劇)のもつ力を活用することの有効性と可能性を、学びあいたいとます。

それが、フォーラム「市民人形劇学校~研究・実践交流編」なのです。

■午前の講演では、学びと討論の基調を創ります。

演劇のもつ力が、青年期の若者(高校生)に至るまで、発達に有効に働くことは、疑問の余地はありません。
しかし、はたして人形劇はどうなのでしょうか?
思春期から青年期の子ども・若者の発達に対して、どのような有効性を持っているのでしょうか?

そこが午前中の焦点になるのかな…。個人的にはそのように考えています。

日本ウニマ会長のくすのきさん講演に対して、私立高校で演劇教育を実践してこられた竹島さんが、講師との事前打ち合わせなしで、質問に挑みます。

午前の講演はどんな展開になるのか?
予測がつかない、スリリングな展開になるかも知れません。


■実践報告1
「こどものえんげきひろば×居場所」(加賀田報告)は、地域公共ホールにおける演劇教育実践です(そう理解しています)。

どのようなプログラムで子どもに働きかけているのか?子どもの様子はどのように変化しているのか?
ユニークな地域演劇教育の実践に、とても関心がそそられます。

地域で児童劇団を組織されてある方々にとっては、興味深い報告ではないでしょうか?

そして、地域公共ホールの努力と地域のもつ教育力を、学校の先生方に理解していただけたら、と願っています。

子どもを、学校の枠内にスッボリと入った見方で見ていればいけないのです。地域での子どもも学校での子どもも、同じ同一人物なのですから。

教職員、教育行政の方々、公共ホール関係者の皆様への参加を呼びかけます。もちろん、関心のある市民の皆様の参加も大歓迎です。

きっと参加された皆様、それぞれにとって貴重な学びになると思っています。

■実践報告2
「困難を抱える子どもに人形劇を!~バペットシアターPROJECTの試み報告」(弥永報告)では、久留米市K小学校における人形劇観劇体験支援の実践報告です。

これは、社会の周縁に置かれがちな子どもたちが抱える「体験格差」是正に挑んだ実践です。

社会福祉に携わる方々、人権教育に携わる先生方、困難を抱えた子どもへの支援に様々な形で取り組んである市民の皆様に、参加を呼びかけます。

きっと、子どもの抱える困難と課題についての理解が促進されるのでは?そう思います。

■この2つの実践に対する参加者討論の後、討論を踏まえて、助言者勝山さんと古賀さんから、それぞれの実践のもつ成果と課題を整理してもらいます。


一日がかりのフォーラムです。
充実した内容が、たっぷりと詰まったフォーラムです。

参加された皆様が演劇(人形劇)教育について理解を深め、明日からのそれぞれの実践の糧にしていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

参加お申し込み、受付中です。

【釜】






市民人形劇学校~研究・実践交流編お申し込み受付開始

2021.09.01 (水)

9月になりました。蝉の声はつくつくぼうし一色に。あんずも梅の木も、葉を色づかせ、葉っぱを落としはじめています。
残暑の中に、秋の気配が色濃くなってきました。

さて、市民人形劇学校~研究・実践交流編のお申し込みを受付開始しております。

市民人形劇学校~研究実践交流編は、「演劇・人形劇と教育をつなぐ実践のゆたかな可能性を求めて」をテーマとして開催されるフォーラムです。

全体講演「人形劇が子どもにもたらす力」を、日本ウニマ会長のくすのき燕氏。
講演コーディネーターは「野球部員、演劇の舞台に立つ!」の著者竹島由美子氏。

サザンクス筑後での長年にわたる地域演劇教育実践報告「えんげきひろば×居場所」を、加賀田美沙子氏から報告。
人形劇団による子どもの文化格差是正の実践「困難を抱える子どもに人形劇を!~パペットシアターPROJECTの試み報告」を、当団体事務局長弥永尚子氏から報告。

実践報告分析のための助言者は、古賀弥生氏(アートサポートふくおか代表・九州産業大学教授)と勝山吉章氏(福岡大学教授)。

充実した講師、報告者、助言者の皆さんです。

演劇(人形劇)のもつ力は、想像する力、共感する力、協同する力を育む力にあります。

そんな演劇(人形劇)の力を活用する演劇教育に関心をお持ちの皆様、10月24日(日)に、久留米市石橋文化センター小ホールに集いませんか?参加費500円です。

きっと学びの喜びに溢れた場になると思います。



お申し込みはこちらをクリック。

【釜】






市民人形劇学校~実技編:子どもがよろこぶカンタン人形劇

2021.08.25 (水)

「子どもがよろこぶカンタン人形劇」と題した市民人形劇学校~実技編。
9月26日日曜日から、毎週日曜日に3週連続で開催します。

プログラム内容は、手遣い人形をつくって「なかよし」を演じてみるというもの。
つくる人形は、発泡スチロールを材料にあっという間に作れる人形です。
演じてみる「なかよし」は、コツを押さえれば誰でも演じることができます。難しくありません。

市民人形劇学校~実技編『子どもがよろこぶカンタン人形劇』の詳細は、下記画像をクリックしてご確認ください。


子どもたちは、人形劇が大好きです。
机の影から突然飛び出した人形に釘付けになって見続けます。
保育の現場で、地域の子どもたちとのかかわりの中で、人形劇を活用してみませんか?
みなさまのご参加をお待ちしております。

お申し込みはこちらをクリック。


【尚】






テラコヤプラス様ありがとうございました

2021.08.19 (木)

夕方にはヒグラシの声とともに、鈴虫や秋の虫たちの声が力強く交じり、とても賑やかです。
夏の静寂な一時です。

さて、皆様に紹介させていただきます。
「テラコヤプラス」という企業様から、舞台アート工房・劇列車を紹介していただきました。

「劇と文化を届ける『舞台アート工房・劇列車』を取材!困難を抱える子どもたちへの思いとは」というタイトルのウェブ上の記事です。
テラコヤプラスのライター様からみた私たちの劇列車の事業(活動)が、丁寧に紹介されています。
皆様、よかったら覗いてみて下さいね。
【劇列車インタビュー記事-テラコヤプラス】
https://terakoya.ameba.jp/a000001467/

他にも、路上で生きる子どもの生活者を支援する団体や、子どもの自然体験を支援する団体など、たくさん紹介してあります。
よければそちらの記事の方もどうぞ。
様々なところで、様々な人や団体が活躍してあるのですね。
私も興味深く拝見しました。

テラコヤプラスの皆様、私たち舞台アート工房・劇列車の活動を紹介して下さり、ありがとうございました。
ズームによる一時間余りのインタビューと、その前後でのやりとりに、丁寧に応答くださり、感謝しております。
厚く御礼申し上げます。

テラコヤプラス様のHPアドレスを、劇列車HPからアクセス出来るようにリンクしております。
テラコヤプラス様に御関心をお持ちの方々は、どうぞアクセスしてみて下さい。
【テラコヤプラスHP】
https://terakoya.ameba.jp/

さて、劇列車は今、子どもゆめ基金助成事業「市民人形劇学校~実践編」「市民人形劇学校~研究・実践交流編」の準備を進めております。

ですからなかなかに忙しいのですが、夏の巡回公演がコロナ禍で中断したために、少しはゆとりが出来ました。

これは財政的にはとても打撃なのですが、くよくよしてはいられません。

今年度の「困難を抱えた子どもへの人形劇観劇体験事業~パペットシアターPROJECT」のために、着々と理論学習も進めています。

そもそも「困難を抱えた子ども」の「困難」とは、何を指している概念なのか?
貧困とは何か?
その問題に向き合う「作品創造」にあたって大切なことは?

複雑に絡み合った問題群です。学びながら実践を構想していくことは、様々な分野の研究に沈静していく営みでもあります。

それらの先行諸研究を読みといていくことは、「フゥ…」とため息をつきたくなる程の気が遠くなりそうな作業です。
同時に「頭の中がスッキリと整理されていく」作業でもあります。
視界を遮っていた目の前の霧が、スーと晴れ渡るような。

誤解のないように述べておきますが、劇列車は「パペットシアターPROJECT」に特化した事業を展開しようとしているわけではありません。

「どんな子どもにも」という劇列車ミッションには、お金持ちで環境に生まれた子どもも、もちろん含まれています。
通常の巡回公演や手打ち公演も、大切に考えています。

さて、私たちは徒手空拳ながらも、人形劇の「民衆的性格」に助けられながらも、子どもたちが喜んで食い入るように見てくれる作品を生み出してきたことには自信があります。

(自信があることと、表現課題に謙虚であることを両立させてきました。自信があっても自信過剰にはなっていないつもりです)。

だから、自力で巡回公演を途切れることなく続けてこられたのです。
毎回手打ち公演では「満席で入れません」と心ならずもお断りする事態が生まれてきたのです。
今は全く手売りをしていません。けれども満席になるのです。

そうして、ようやく気づいたのです。「劇場」に足を運ばない子どもたちがいることに。
がく然としました。

劇場に来ないのは、個人の好みの問題ではないと直感したからです。
(好みの問題ならば放置しておけばよいのです。私たちも、そんなことにがく然とはしません)

なぜ来ないのか?そこに越えがたい障壁があるからだ。
そのことを直感したから、がく然としたのです。

そこには、ブルデューのいう「ハビトゥス(後天的に形成された人間の指向性)」の問題があることに気づいたのです。
そしてその「ハビトゥス」の土台には、拡大する「貧困」問題があることに気づいたのです。

とするならば…。
「アファーマーティブアクション」を組織していかなければならない。
そう考えたのが、「パペットシアターPROJECT」構想の発端でした。

そこに気づくと、後戻りは出来なくなりました。

パペットシアターの構想を実現する努力を払わなければ、「どんな子どもにも」という自分たちのミッションを、自分たちで信じられなくなるではありませんか。
平たくいえば、「欺瞞」になってしまうと考えたのです。
だって、現実に「どんな子どもにも」届いてないのですよ、私たちの人形劇が。
そんな不都合な事実に、目を瞑ることになります。

そこに目を瞑るならば、不可視化(見えなくされている)された人々の存在に鈍感になっていき、私たちは無自覚なうちに「いいことしてるとイイ気になっている裸の王様」に堕ちてしまう…。
そう考えたのです。

不可視化された人々を視野に入れない実践は、地に足がつかないものになっていきます。
それは、無意識のうちに社会的排除と結びついていくのではないか?

不可視化された人々を視野に入れない創造は、地に足がつかないものになっていきます。
それは、無意識のうちに恵まれた人々の「娯楽」に奉仕するものに成り下がっていくのではないか?
そう考えたのです。

いや、ブルデュー風に述べるならば、私たちに刻まれた「ハビトゥス」によって「そう考えるように導かれた」といえるのかもしれませんが…。

いささか倫理的観点に重きを置きすぎたかもしれません。
また小難しい文章になりました。
このような主張と小難しい文章が、今の日本社会で浮き上がることは、よく承知しています。
ですが、無視してはならない課題であり、今までの演劇運動や文化運動の盲点となってきた問題なのだと思うのです。

三回続いた「子どもの貧困」に対する考察でした。
もしかしたら不愉快に感じられる方々がいらっしゃるかもしれません。ブログをお読みの皆様のお気持ちを逆撫ですることにになりましたら、お詫び申し上げます。
私たちは、一団体の努力では無力でなくても微力すぎる大きな問題を、問題提起したいと思っているのです。

そして、最初に戻ります。
テラコヤプラス様は「象徴資本(権威名声名誉など)」とは縁遠い私たちを紹介下さり、「見えない問題」であるがゆえに関心を引きにくい「困難を抱えた子どもへの観劇体験支援」について、丁寧に聞き取って下さいました。
もちろん、私たちの事業の文脈がそのまま記事に再現されているわけではありません。
しかし、ライター様が私たちの事業を苦労して読みとり、温みある文章にしていただいたと理解しております。

記事にしていただいたテラコヤプラスの皆様には、心から感謝申し上げる次第です。

次回ブログは、「市民人形劇学校~実践編」の御案内を致します。

【釜】






パペットシアターPROJECTを考える②

2021.08.15 (日)

前回ブログは、劇列車の「パペットシアターPROJECT」を、アファーマーティブアクションの観点から述べてみました。

しかし、読み返すと理論的整理が弱いようです。この弱点は、どうして生まれたか?

私自身がかつて「困難を抱えた子ども」の一人であり、大学進学によってささやかな「階層上昇」をした一人であり、従って「階層上昇」に対して心にうずき続ける「後ろめたさ」抱えているからでしょうか?

またそこから、「子どもの体験格差」に強い怒りを感じるという個人史履歴を背負っているからなのでしょうか?
自己に刻印された履歴(個人史)が、押さえつけていた感情を溢れさせからでしょうか?

それとも、過去の個人履歴が「どんな子どもにも劇を」というミッションを掲げさせて、「パペットシアターPROJECT」に取り組むモチベーションになっているからなのでしょうか?

どうしても平静に書けない感情的衝動に流されてしまいました。

しかし、それではダメなのです。
理論的整理が必要なのです。

なぜなら、この事業を実現するためには、助成団体或いは行政関係者を説得する「言葉と説得的論理」を獲得しなければならないからです。

「演劇(人形劇)は生きる力と勇気につながります」等のスローガン的言葉で、助成団体や行政が動かされることは、まずあり得ません(そう思います)。

そんなスローガン的言葉で何かを語った気分になるとすれば、創造団体側の手前勝手な言い分以上にはなりません。
それは、相手に通じる言葉ではないのです。

助成する側の相手は、限りある貴重な助成金を出来るだけ有効に使いたいと考えます。
ですから実施団体に、課題を正確に把握、的確な実践と具体的成果を求めてきます。

当然です。
責任ある仕事をしている助成団体や行政担当者ならば、そう考えるのがあたりまえなのです。
ですから、こちらも相手を説得できる「言葉と論理」を持たないといけないのです。

そこで、前回よりも理論的な整理を行ってみましょう。

■経済格差が「子どもの貧困(相対的貧困)」を生み出しています。
それは社会的・政治的に解決されなければならない問題です。
ここに異論のある方は少ないと考えます。

■「子どもの貧困」を解決するためには、経済的格差の縮小だけでは極めて難しいといえます。
では、それは何故なのでしょうか?

■それは。「子どもの貧困」は「子どもの学力格差」「生活格差」や「子どもの体験格差」、貧困状況にある家庭の「孤立状況」と複雑に絡みあっているからなのです。

■「子どもの体験格差」とは、様々な体験格差の総称です。
その中でも、フランスの社会学者プルデューが明らかにしたように「文化資本格差」が大きな問題と認識される必要があります。

ここで「文化資本」という聞きなれない概念を説明してみます。

資本とは、そもそも利潤を生み出す投資に使われる生産手段を指す概念です。

例えば、工場でモノを生産し、それで利潤が生まれれば、工場は資本であるといえます。
工場がなくても工場を建設出来る貨幣があればいいわけですから、利潤を生み出す投資に使用される貨幣も資本であるといえます。

社会学者ブルデューは、それを経済的資本といいます。

ここからがブルデューのユニークなところです。彼は「個人が身に付けた文化は資本として機能する」と考えました。
その概念に「文化資本」と名付けをしたわけです。

(この「文化資本」という概念は、現在ブルデューを離れて広く流通する言葉になっています)。

さて、経済的資本は利潤を生み出します。文化資本もそれに近い性格を持っています。

学歴・資格など「制度化された文化資本」、社会の上層に受け入れられる作法・言葉使い・センス等の「身体化された文化資本」を個人所有すると、それは社会的地位・高い収入・社会的尊敬などの、個人的な利得に結びつくというわけです。

それは経済学的意味での「利潤」そのものではありません。
しかし、上述した「制度化した文化資本」も「身体化した文化資本」も、「金を稼ぐ能力」と結びついているがゆえに、「利得」と名付けられます。

■いささか乱暴にまとめてみます。
経済的格差は子どもの「文化資本」獲得格差と結びつき、それが学力格差や社会的孤立の土台を形成していくのです。

そして、「文化資本」格差は、家庭や地域環境で形成されるハピトゥスを原動力として、親から子へと「自然に」再生産されていくのです。
そうやって、「文化資本」格差は「階層」固定化と結びついていくのです。

■これらの問題は目に見えません。表現されることも稀です。
そのことを、ブルデューは「社会は表だって表現されることのない苦しみであふれている」と述べています。

■結論です。
「子どもの貧困」は、親の経済的格差の是正だけでは解決しません。
(もっとも軽視してはいけないし、重点課題であります)。

「子どもの体験格差」、特に「子どもの文化資本」格差を是正していかなければ、世代を超えた貧困の連鎖(階層固定)の解決は困難であります。

「子どもの貧困」対策としての社会的実践「子ども食堂」は、食糧支援を主たる任務としています。
しかし、行政がそこにのみ目を奪われ、そこに満足していてはならないと
考えます。

社会的孤立を防ぐ「子どもの居場所づくり」や、当面の応急処置としての「無料子ども塾」のみならず、出来る限りの「文化資本」格差是正含めた多面的対策が長期的に必要であるといえます。

※以下は補足です。

ブルデューのいう「文化資本」という概念によって、見えないことが明らかになることは事実です。見えないことが、くっきりと見えた時の爽快感さえ味わいます。

しかし、一方で複雑な思いも過ります。
文化や芸術が「文化資本」として機能しているのであれば、そうではない文化芸術はありえるのだろうか?と。

1950年代日本の「サークル運動」や、その末期に彗星の如く出現した谷川雁の「サークル村」実践は、文化芸術を個人が文化資本として「所有する」ことから解き放ち、「そうではないもう一つの文化を集団的に共有する」を指向した実践ではなかったか?と。

いささかユートピア的な発想と実践に思えます。
しかし、これは大切な視点(切り口)だと思います。
1950年代のサークル運動は、歴史の屑籠に捨てられました。
いま、屑籠から取り出して、現代の課題から読みとくことが必要です。
芸術が「芸術界」という特権的な「界」から解き放たれ、民衆のものとなるためには。

しかし、それはいまの「子どもの貧困」という現実を切り開く社会的実践の喫緊の課題とはいえないと考えます。

文化芸術とサークル運動に対する、そのような問題意識を忘れてはなりません。ですが、いまは、そっと寝かせて温めておきましょう。

さて、「パペットシアターPROJECT」は、劇列車の実践固有名詞ですが、同じ質と指向性をもった取り組みは、各地で同時多発的になされる必要があると考えます。
1団体で賄える問題ではないのです。

【釜】






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