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公演前に考えたこと

2021.07.12 (月)

7月に入りました。セミが鳴き始めています。

さて、18日の新作定期公演「どんぐりと山猫」に向けて、3週間連続の土日稽古が終わりました。公民館にフルで舞台を組んでの通し稽古。そして抜き稽古。その反復でした。

人形劇はモノを蘇生させる演劇です。またモノには、人形も小道具も舞台装置も含まれます。
ですから、舞台がフルで組まれて稽古しないと、モノ同士の関係を作れない。
人形同士はまだしも、それ以外のモノとの関係構築には、どうしてもフル舞台が必要なのです。
その関係の構築の作業が、苦しくも面白いものです。

さて、新作稽古が佳境に入ってくると、劇列車はもっとも劇団らしく?なってきます。

劇列車は子どもの発達にコミットする文化運動体ですから、劇団ではありません。
一方で、自分たちで作品を創造することを中核とする文化運動体ですから、その観点から劇列車を眺めれば、劇団にも見えます。

劇列車という団体が「よくわからない」と言われることがありますが、それは上記のように、文化運動体と創造団体の二重性を帯びた集団であるからなのです。

藤原惟人氏は文化運動の発展原則について、次のように発言しています。

「すぐれた理論がなければすぐれた運動はありません。そして、その理論と運動を象徴するすぐれた作品が生まれたときに、運動が飛躍し新しい段階に入ります」と。

私たちがすぐれた作品づくりに精魂傾けるのは、藤原氏のいう文化運動の発展原則に首肯し、その原則に沿おうとしてきたからです。
なぜなら、藤原氏の発言には、私たちの体験から生まれた実感が語化されていると感じるからなのです。

そこで考えてみましょう。
すぐれた作品をどこか他所から仕入れてくれば、運動そのものに専心できます。
すぐれた作品を運動体の中から生み出そうとすれば、これはじつに大変なことになります。

しかし、思うのです。
今は、人間の危機がどうしようもないほどに深まった時代です。行き詰まった時代です。
そのような時代には、次のことが求められていると思うのです。

自らの人間性を回復する創造と、〈世界〉に働きかけて他者と関わる運動の二つの領域。
それを一つに統一して展開することが、求められていると思うのです。

運動と創造の二つの領域を、横断的に一つのものとして展開する。
そのことではじめて、人間は「人間になり得る可能性」を手にいれるのではないかと思うのです。

これは哲学的思考の領域の話しです。これが「理論」なのです。
理論は、すぐれた作品に直接に結びつくものではありません。
直接に文化運動の発展につながるものでもありません。
理論だけで、すぐれた作品も生み出せず、運動もしりすぼみということもあり得ます。
これを理論倒れというのでしょう。

しかし、人間性とは何か?その回復とは何か?という思考は、表現と運動の土台を耕します。
理論倒れを恐れずに、理論は構築されていかなくてはならないと思うのです。

話しを戻しましょう。
この新作製作の佳境4か月間、私たちは存分に表現を創るよろこびにひたりました。
存分に表現を創る苦しみにひたりました。
体力的には体重が減るほどの負担がありました。ホントに顔がげっそりとやつれていきます。
(もっとも、これは私だけのことかもしれません…)
それが創造です。

そして、表現のよろこひと苦しみのごった煮の「ごちそう」を味わってきた日々は、劇列車がもっとも劇団らしくみえた日々でもありました。

新作「どんぐりと山猫」、いまの私たちの精一杯の作品であることは事実です。
まだまだ表現を突き詰めて、追求できることがある。
そのことを、自分たちで分かっていることも事実です。
そのせめぎあいの緊張の中で創られてきた精一杯の「現在」を、皆様に御覧いただくことになります。

願わくば、御覧いただける皆様とつくる時間が、「創るよろこび」と「観るよろこび」が出会う場になれば…。
こんなことを、心から願っております。
【釜】