本日、頓田の森ぴーすきゃんどるナイト終了しました。
今年は久しぶりに平和花園をメイン会場としての野外開催でした。きゃんどるナイトと言いながらも、コロナ感染と周辺に住宅が建て込んできた環境変化によって、本年は昼に開催しました。
燎原太鼓の子どもたちの歌声、とても愛らしいものでした。菜の花合唱団の皆さんの美しい歌声、心に響きました。
また、戦争体験者として久留米からお招きした、旧制南筑中学勤労動員部隊「高良隊」の隊員でありました山口様、西鉄電車銃撃事件の貴重なお話しを、ありがとうございました。
昨年はコロナ禍のため参加出来なかった中野様、お話しとハーモニカ献奏、心に染みわたりました。
頓田の森事件の体験者、板部様、現地で命を落とした子どもたちの名前の呼名、あらためて感謝しております。
朝倉青年会議所からも参加いただき、ありがとうございました。平和花園整備のクラウドファンティングのご成功を祈っております。
毎年のことながら、様々な方々が関わることで成り立ってきた頓田の森ぴーすきゃんどるナイトです。今年で14回目を無事に終えることが出来ました。関係各位の皆様に、あらためてお礼申し上げます。
さて、14年の間に、戦争の記憶は一層薄れて、その分戦争の足音が近づいたように思えてなりません。これは、足元の記憶に価値をおかず、石ころのように足蹴にしてきた私たち日本人の当然の報いなのでしょうか。
もう10年ほど前になりますが、「おまえは、誰も見向きもしないゴミ箱をあさって、ゴミもおいしいよと言っているようなもんだ」と言われたことがあります。
しかし、私はこう思います。誰かにとってはゴミであっても、私にとっては宝石なのだと。
足元の悲劇の歴史をゴミとして認識する人々が増えれば増えるほど、戦争が忍び寄ると思うのです。
日頃、戦争のことを考えずに暮らせることは、きっと幸せなことなのでしょう。しかし、日頃に戦争のことを考えないということは、恐ろしいことでもあります。
また話しは変わりますが、頓田の森には1945年3月27日に命を落とした子どもたちの魂が宿っているようです。
今日の1日、久しぶりに森をメイン会場としたきゃんどるナイト開催に、森で命を落とした子どもたちの魂が喜んでくれていたらよいのですが…。いや、きっと喜んでくれているはずです。
なぜなら、笑われるかもしれませんが、そう確かに感じたからです。
【釜】
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