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稽古雑感②

2021.06.22 (火)

前回のブログは、メモ書きで書いたため、いささかわかりにくく、散漫な文章になってしまいました。
しかし、そのようなことを感じ考えていることは事実なのです。
伝わりにくい表現になってしまったという問題はあるのですが…。

さて「どんぐりと山猫」では、様々な実験をしてきました。

舞台もそう。1ミリ単位でのパーツの組み合わせに四苦八苦し、仕込みバラシの簡便さを担保しながら、舞台美術としても妥協しない。両立しがたいものを両立させるのに苦労しましたが、なんとか及第点には達したようです。

人形もそう。差し金使いや、胴体のない人形(胴体は布だけの人形)を造り、今までにない動きの効果をどう創りあげるのか?
人形美術担当者の苦労がありました。
特に馬車別当の顔の造形は、二転三転しました。人間社会の価値観の外にいる人間(馬車別当)の顔を、どう造形するか?

そこでアジアやアフリカ先住民の仮面文化を参照系としたのですが…。
そこに美意識の違いと文化の違いであることを発見†
農耕を基盤とする東アジアの日本文化にドップリと浸かった私たちは、アジアアフリカ先住民文化の感性を持ち得ていない…。
ガツン!とやられました。先住民仮面文化の模倣ては、馬車別当は造形できないのです。
考えてみると、あたりまえですね。
私たちの手持ちであるなけなしの感性では限界がある。そのことを自覚出来た次第です。

人形演技では、徹底してサブテキストを入れていかないと、劇が面白くならないことを痛感…。

人形劇は集団創造です。サブテキストの重要性を共通土台としてシェアすることが、人形表現の質を担保します。
集団創造と個人創造の歯車の噛み合わせが大切だと痛感しています。
この歯車の噛み合わせがうまくいくと、稽古は俄然創造的に面白くなるのです。
それが、私たちの今までにない人形劇表現を生み出すのです。

脚本は、現在第6次稿。ラストシーンに手が加わったために、第7次稿が上演台本となる見込みです。
脚本は、劇作家養成講座8月例会に提出予定です。いろんな観点から意見をいただくと、ブラッシュアップの方向性が見えてくるのでは、と思っています。楽しみです。

そんな一つひとつが組み合わさって、作品が出来上がりつつあります。
大切なことは、一つひとつにこだわり抜くことなのでしょう。
こだわり抜くことは、私たち自身の限界を超えていかなければならないために、苦しい作業です。この苦しい作業に背を向ければ、私たちの表現は、そこで止まるのです。

そうやって造ってきた「どんぐりと山猫」。一口にいって今までを超えた作品になりそうな予感がしています。

ザワザワとした高揚感がチームに醸成されてきています。
「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」といった状況に追い込まれていますから、ヘロヘロになっています。ですが、この高揚感が稽古を支えているように思えます。
これが実際の上演成果につながるかどうかは、これから次第なのですが…。

作品が出来上がるにつれて、課題も見えてきていますが、これらの課題は初演後に、ブラッシュアップを図ることになりそうです。

【釜】