投稿者「やなが なおこ」のアーカイブ

新しくなった劇列車ホームページ!

本日、劇列車の新しいホームページを公開しました!

劇列車の現在が、見やすく分かりやすいホームページになっています。
私たちの団体が目指すビジョンや劇列車の取り組み紹介などが、わかりやすく充実した内容になっていますよ~(^^)
そして、スマホやタブレットからも見やすいデザインになっています。
ぜひご覧ください!

また、facebookも劇列車のページを作成しました。みなさま、こちらもぜひフォローお願いいたします!

リニューアルした劇列車のホームページへアクセス
facebook/新しく作られた劇列車のページへアクセス


※リニューアル前と同じホームページが表示される方は、ページの再読み込みもしくはブラウザのキャッシュをクリアしてご覧ください。

9歳以上の人形劇の楽しみ方

昨日おとといの土日は、小学校3~6年生を対象にした人形劇ワークショップ。
参加してくれたみなさん、送迎や昼食の対応をしてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。

『人形劇といえば、小さい子どものもの』。これは多くの国の、一般的な見解です。
日本も例外ではありません。

人形劇はとても奥が深い。

ウグイスの鳴き声に春を感じ、キンモクセイの香りに秋を感じ、スズメの鳴き声で朝だと判断する。
日本人は、時刻や季節を判断するために聴覚や嗅覚までも道具としてつかい想像力をはたらかせます。
社会に流通している記号表現を組み合わせて人形劇を創っていく。この魅力はもしかしたら日本人にとってとても馴染みの深い手法かもしれない、なんて考えてしまいます。

『社会に流通している記号表現を組み合わせて人形劇を創っていく』
ちょっと抽象的な言い方をしてしまいました。

たとえば、人間の形をした人形が2体並んでいます。

この二人の関係性をどう想像しますか?

次に、三角形と四角形を足してみます。

いかがでしょうか。この二人の関係性は、多くの人にとって『家族』に見えるのではないでしょうか。

単純な例を出しました。
「三角屋根の建物の中に2人の人間が居る」という記号の組み合わせは、社会に流通している概念として「そこに2人家族がいる」という表現になります。
(これは、私たち日本人の多くがそう見るということです。社会に流通している文化が異なれば、この表現は通用しません。)

…なんだか文章で伝えるのってむずかしいですね。書きながらそう思っています。

9歳以上の子どもたちは、前述した内容のことを踏まえて創る人形劇にとても興味を示します。個人差はありますが、8歳までの人形劇の楽しみ方から大きく飛躍していくのです。
文章で理解するのは少し難しく感じることでも、ワークショップの中で人形をつかいながら「やる」「みる」を繰り返すとあっという間に理解できます。
理解すると、おもしろくなる。難しいことがおもしろくなるから、挑戦したくなる。

小学3年生以上を対象にしたワークショップを終えて、改めてそのことを感じました。
2日間つづけて参加してくれたみなさんにとって、人形劇表現の奥深い魅力を感じる2日間になっていたら、とても嬉しく思います。

【尚】

不足している?幼児期における他者との経験

昨日・おとといの土日は、「こども人形劇がっこう」。小学1~2年生を対象とした人形劇ワークショップでした。
参加してくれた子どものみなさん、送り迎えやお弁当の準備をしてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。

現在の小学1~2年生は、コロナ禍初の緊急事態宣言が出された2020年当時、年少・年中だったこどもたちです。
このとき3密回避ということで、ごく親しい間柄の人以外、手をつないであそぶこと、ままごとあそびで道具を共有すること、「おいしいね」とおしゃべりしながら食事すること、たくさんのあそびが制限されていました。

しょうがないといえば、しょうがないのです。あのときは、どうやって子どもたちを守るのか、一生懸命に考えて試行錯誤して、心を痛めながら、自然と接近してあそびたがる子どもたちのあそびを制限していました。
はじめは反発や戸惑いの反応を見せていた子どもたちも、「コロナだから」を合言葉に順応していき、制限のかかったあそびに次第に慣れていきました。

コロナ禍が落ち着き、徐々に日常に戻っているように見えます。
わたしたちも、3密回避で中止していた、こどもワークショップを再開しています。

しかし、子どもたちの様子は、コロナ前と全く変わっているように感じます。
圧倒的に、“主体的なあそび”の経験が不足しているように思えてならないのです。

満足するあそび方で、満足する時間まであそび、ときには友だちという他者とぶつかり合いそして仲直りをする…
このような主体的なあそびの中で、体験的に“自分の輪郭”をなぞることができ、自分の輪郭をなぞることができた経験から、“他者の輪郭”に思いを馳せることができる。

『自分が何を好むのか分からない』
『他者と気持ちがぶつかり合うことを必要以上に恐れる』
コロナ前の6~8才の子どもたちにはそう多くは見られなかったこれらの様子。
今現在6~8才のこどもたちに多くみられるこういった反応は、他者との満足のいく“主体的なあそび”の経験が圧倒的に不足しているからとしか思えないのです。
(もちろん、全員がこういった反応をみせるというわけではありません。また、コロナ前にこういった反応の見せる子どももいました。しかし、年少・年中時期からはじまったコロナ禍によって、いずれの児童も幼児期に必要な他者とのあそびの経験が不足していることは間違いないと思われます。)

日常生活の中では、こどもたちの経験に何が不足しているのか、気付きにくい。
けれども、“自由にあそべる”ひとときを設定してみると、驚くほど、見えてくる。
こどもたちにとって、たった4時間半のワークショップではありましたが、不足している体験をちょっとでも補完することができる楽しい体験になっていたら、こんなに嬉しいことはありません。
低学年向けワークショップを終えて、そのようなことを考えてしまいました。

さて、来月は小学校3~6年生を対象とした人形劇ワークショップです。
もうすぐ、小学校を通じて皆様にご案内差し上げます。
(ホームページにはすでに情報を掲載しております。ご関心のある方はこちらからのぞいてみてください。)
どうぞみなさん、こちらもお楽しみに。お申し込みお待ちしております。

【尚】

2時間は短い?長い?~親子であそぶ人形劇がっこうinちくしの終わりました

昨日は親子であそぶ人形劇がっこうinちくしの。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
3連休最終日が、親子の皆様にとって素敵な1日になっていましたら幸いです。

このワークショップは2時間のプログラムです。簡単な工作から遊んでみるまで。
終わった後の感想には、子どものみなさん大人のみなさん、それぞれのたくさんの気持ちをいっぱい書いてくださっています。
「おもしろかった!」「家でもまたやってみたい」「子どもが自由な発想をしてくれて嬉しかった」「想像することの奥深さを感じた」
言葉に書ききれない気持ちは、身体で表情で私たちに伝えてくれます。帰り際、人形劇あそびでやっていたことを身体表現で表したり。

最近よく、大人の感想の中にとても興味深いものが見受けられます。
「2時間という短い時間でこんなに楽しめるなんて」
「2時間という長い時間をこどもと遊ぶなんて、めったにない機会になった」

前者の感想、全くもってそのとおりです。
人形をつくるところから始めて人形劇であそんでみるところまでを2時間でやってみるというのは、とってもとってもとっても短いのです。
2時間で親子のみなさんに人形劇の面白さをどう体験してもらうことができるのか…プログラムの組み立てや材料選び、工作手順、とても試行錯誤しています。
誰でも参加できる親子向け自主ワークショップをはじめた10年前は、『人形劇をやるためには時間がかかる』ということに理解が得られず苦労していたものです。(体験された方々にはいうまでもありませんが、この『時間がかかる』ことに人形劇の魅力が詰まっているのです。詳しくはまた改めて。)
2時間を短い時間と評価してくれた前者の感想に感慨深く思いました。

後者の感想は、わりとよく言われます。
”わりとよく言われる”ということに、保護者の方の日々の忙しさが想像でき、胸が締め付けられます。
毎日の暮らしの中にある「余白」が、とても小さくなっていると感じます。この「余白」のなさが、狭量で排他的な人間関係につながっているように感じてなりません。
では、「余白」をつくるために保護者ががんばればいいのか?いえ、そうではありません。
精神的「余白」をつくりだすことは、いち個人の努力だけでなんとかなるものではないのです。

人形劇ワークショップにおいて、2時間はとても短い。
でも、毎日一生懸命くらしている親子のみなさんにとって、2時間は短いのか?

時間の感じ方はひとそれぞれだと思います。短く感じる方、長く感じる方、どちらの感じ方でも全く問題ありません。
いただいた感想の裏側に、参加された親子のみなさんの、『毎日のがんばり』が透けてみえる。
だからこそ、わたしたちのワークショップが、親子の皆様にとって素敵な1日になっていましたら、こんなにうれしいことはありません。

【尚】

チケット販売開始。3/17「さちの物語」

P新人賞受賞記念久留米公演「さちの物語」のチケット販売がはじまりました。
石橋文化センター、久留米シティプラザ情報サテライト、弊団体ホームページで販売しております。
公演詳細はこちらからチケットお申し込みはこちらから

「さちの物語」は中学3年生の女の子「さち」が主人公です。中学3年生といえば、14~15歳ですね。
さちは、DVが吹き荒れる家庭で育ちます。父が母に暴力をふるう光景が、彼女にとっての”日常の風景”なのです。
10歳のころに目撃した”面前DV”が、特にさちの心に印象深く残ります。その日のDVのきっかけは、学校でさちが受けた”いじめ”でした。

――DVを受けたら、すぐに周りにSOSを。
その通りですよね。
でも、ちょっと想像してみてください。

――学校での自分の行動が原因で、DVを受ける母。
そう感じている「さち」が、学校の先生に相談できるのでしょうか。

「さち」の”こころ”はどう動くのか。
幼少期より繰り返し傷つけられている”こころ”を回復させるとは、どういうことなのか。
ご覧いただいたみなさんに、たくさんのご感想とご意見をいただけたら嬉しく思います。

さて、この作品の初演は愛知県名古屋市にある「ひまわりホール」で行いました。
初演に先駆け、お申し込みいただいた方々に作品を観ていただく機会を設けました。
観ていただいた方のお一人、竹島由美子様からの感想を一部引用させていただきます。全文は、チラシ裏面に記載しております。

『やがてその言葉はさち個人というよりも、いまの社会の中で「生き辛さ」を抱える多くの子どもたちの声に聞こえてくる。
「負けるな、さち!」と観客席から応援していたはずなのに、いつの間にか舞台上のさちから、背中を押されたような爽快感を覚えた。
きっと誰もが勇気づけられる作品だ。』

どうぞ皆さま、この作品を観に、ぜひお越しください。
公演詳細はこちらからチケットお申し込みはこちらから

【尚】

『対話のひろば』が目指すもの

昨日はパペットシアターPROJECT。ボナペティ様と連携して「一郎くんのリスタート」観劇と対話のひろばを実施いたしました。
当日の運営をお手伝いくださったみなさま、ありがとうございました。
また、ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。

「一郎くんのリスタート」は、宮沢賢治童話「どんぐりと山猫」から着想を得て創ったスピンオフ作品です。私たちの作品の主人公一郎は、学校に行っていない(学校に行けない)少年と設定しています。彼の感じている閉塞感・孤立感、そして“出口”を見つけたあとの心理的開放感を、この作品で描いてきました。

不登校を経験した当事者・家族は、大きく頷きながらこの作品を観ます。ある方は、一郎が出口を見つけたことに共感し「私も出口を探し続けたい」と。時には登場人物の両親に心を寄せて「最初のころはこうだったよね」と。

一方で、不登校当事者以外の方々の感想は、両極端に分かれる傾向にあります。「不登校は経験していないけれど、涙が出るほど一郎の苦しみがよく分かる。」という感想と、「どう観ていいか分からない。」という感想です。

このお話は、寓話です。たとえ話のスタイルを取っていますので、観客にとっての経験の引き出しと結び合わせて観る作品です。そのため、個々人の人生経験によって受け取り方が大きく変わります。

自分の感想は、自分だけの大切なものです。
ところが、観劇後のおしゃべり会「対話のひろば」の時間に、自分の感想と他者との感想を聞き合うことで、とたんに深みのある感想になっていくのです。

対話のひろばが終わると、ある方がこんな感想をおっしゃってくださいました。
「自分は“こういう話だろう”と理解して観ていたけれど、他の方は“ひっかかるポイント”が違っていて、それがおもしろかった。」

そうですよね。他者の感想を受けて再び自分の感想を思い返してみると、“なぜ自分はそう感じたのか”“どうして他者はそう感じたのか”と、劇を観た直後の感想よりさらに深い思考に入ることができます。
「対話のひろば」は、参加者同士のそのような化学反応をねらっています。
このような化学反応の場では、私たち上演班もいち参加者にしかすぎません。みなさんのご感想から、私たち自身も思考が深まっていきます。そこには、“一方的に発信する上演者”と“受け身の観客”という境界線なんて生まれるはずがありません。誰もが自分自身の思考の海に潜り込み、自己内対話を行いはじめるのです。

対話のひろばの時間は、“算数の時間”“体育の時間”のような「こうしなければならない時間」ではありません。参加したみなさんにとっての自己内対話のひとときとなることもあれば、参加したみなさんが苦しみを言語化するカミングアウトのひとときになることもあります。

一郎の苦しみに自分の人生で経験してきた苦しみが共鳴し、しゃべりたくなる。聞いていた別の方がその方の心の琴線に触れ、自分もしゃべりたくなるという連鎖が生まれることもあります。
言語化することは、とても大切なことです。他者に向かって発信するときに、「あぁ、自分が苦しんでいた事柄はこれか」と自分の中の苦しみが輪郭をもってはっきりと見えるようになるのです。私自身が、その経験をしてきました。

はっきりと輪郭が見えてくると、「ぼんやりと漫然とただひたすら苦しんでいる」心の状態から、「苦しんでいる理由が分かる」心の状態に移行します。
苦しいことには変わりないのですが、本人の心理状態には雲泥の差があるのです。

誰かの苦しみのカミングアウトに背中を押され、自分の苦しみもカミングアウトできる。それは、「これを発言しても大丈夫」と思える場が成立したときに生まれる結果です。強制されて話せるものではありません。

自分自身や家族が不登校経験者ではないと、“不登校”に含まれる具体的な問題は分からないかもしれません。でも、学校に行けなくて苦しんでいる子・家庭の苦しみには、自分の苦しみの経験をもって共鳴することができるのです。

ボナペティ様と連携して実施したパペットシアターPROJECTでは、ほんとうにたくさんの、多様な化学反応があちこちで起きていました。
参加されたみなさまにとって、「あぁ、参加してよかったなぁ」と思える時間となっていましたら、こんなに嬉しいことはありません。

最後に、今回の実施に当たり、フリースクール関係者や学校に行けてない子どもがいる家庭の方々など、あちこちに声を掛けてくださったボナペティ様。
催しの終了後もひっきりなしにボナペティ事務局長T様と話し込んである参加者の方々の様子を拝見しながら、食材支援を超えた“心の支援”の実際を目の当たりにさせていただきました。
ボナペティT様ならびにスタッフのみなさま、本当に、お疲れ様でした。

【尚】

御礼~「さちの物語」名古屋公演

17日日曜日に損保ジャパン人形劇場ひまわりホールで行われたP新人賞2022受賞記念公演。
無事に終え、昨日夜帰着しました。

愛知人形劇センターのみなさま、大変お世話になりました。
また、会場に足をお運びくださいましたみなさま、ありがとうございました。

「さちの物語」は、わたしたち劇列車上演班にとって大切な作品です。
この作品を名古屋のみなさまに観ていただけたこと、大変うれしく思います。

公演当日は、ふじたあさや様が「さちの物語」の脚本賞賞状授与のために駆けつけてくださいました。
写真は、公益社団法人日本児童青少年演劇協会主催「児童青少年演劇のための劇作家養成講座」脚本賞(2023年度賞)賞状を拝受しているところです。

観劇後にお寄せくださったコメント、この作品を磨き上げるために非常に示唆に富んだお言葉でした。
「さちの物語」は、もっと磨き上げていきたい。そんな気持ちでいっぱいです。

久留米でのお披露目は、3月17日日曜日。
さらに磨き上げていきます。

【尚】