さちの物語久留米公演近づく

3月になりました。
寒の戻りもありましたが、今週は暖かくなりそうですね。

さて、3月17日(日)のP新人賞受賞記念久留米公演「さちの物語」が近づいてきました。
再稽古も佳境です。
12月名古屋公演で見いだされた課題をクリアするために思いの外時間がかかっていますが、それもまた「苦しくも楽しい」ものです。

今回の久留米公演では、各市民活動団体の皆様とつながりたいというねらいの下に、制作活動を展開してきました。
演劇公演とは様々な方が集う「ひろば」なのですから、そのひろばに各市民活動団体の皆様に集っていただき、困難を抱えた子どもたちの回復について語り合えたら…と考えていたのです。

でもこれは冒険しすぎたのかもしれません。
現実には、市民活動団体はそれぞれの活動に忙しく、少し反応が鈍い状況です。
それもあたりまえです。
それぞれが、少ないスタッフをやりくりしながら、大きな課題に立ち向かってあるのですから。
よくわかります。
私たち劇列車も御多分にもれません。
各市民団体に働きかけを行った事実、そこからしか始まらないと思っています。

さて、私たちは演劇のもつ「ひろばづくり」の力を活用して、終演後に「対話のひろば」を開催してきました。
もちろん開催が可能な機会を活用してですが…。
今回公演で8回目の対話のひろば開催となります。

「対話のひろば」も、開催しながら進化してきています。
そして、いろいろなことを発見してきました。

それは…。

観劇しての感想は個人が所有するものだけど、個人で所有し続けている限りでは、ゆたかに膨らみにくいということ(所有の問題の発見)。

いつもいつも、こちらの予想を裏切る展開が、いい意味でも悪い意味でも待っているということ(他者性の発見)。

などなど…。

こう書いてしまうと「なぁんだ」と思われると思いますが、これがなかなかスリリングで刺激的な出来事であり、新しい問いと発見を生んでいきます。

パペットシアターPROJECTでみられたある対話の風景を紹介してみます。

「一郎くんのりスタート」後の対話のひろばで、中学生同士がおしゃべりしてました。
ある中学生が言います。
「一郎くんの赤いTシャツに描かれた1の字は、きっと親がつけさせたんだ」。

小学生の女の子が問い返します。
「なんでなんで?」
「だってさ、あの親ならそれくらいするだろ」
「へえ…。そっかあ」

それを聴いていた私たちはこう思いました。
「ムム…。おぬしら鋭い」と。

その中学生たちの一人は沖縄からきた子。
その後の舞台裏見学の時に、何気なくこんなことを言いました。
「沖縄はね、日本でないんだ」。

他の子たちは一瞬あっけにとられて、
「…。」

一瞬で放たれた鋭い矢。
虚をつかれて、それを受けとめきれない子どもたちの沈黙。
それは子どもたちの心に静かに新しい問いの波紋を生んだのでした。
(きっとそうだと信じたいところです)。

対話のひろばは、このように何が起きるか予想出来ないことがフツーに起こります。
その意味で、対話のひろばは参加者みんなで何が起きるかを楽しむ、そんな場を育てているのだと思います。
それが一人では気づけない気づきを生んでいく…。

皆様、よかったら3月17日は、さちの物語公演にいらっしゃいませんか?
そして対話のひろばまで参加してみませんか?

これは業界の人々がよくやる「アフタートーク」でも「批評対話」でもありません。
演劇教育関係者がよく言う「コミュニケーション力をつける取り組み」でもありません。
そんなものではなく、全く違ったもの。

あくまで参加者でつくりあげていく気づきの場。それが「対話のひろば」なのです。

面白いですよ!
よかったら来てみませんか?
その場で発言するも、聴くに徹するも、いらっしゃった方々の自由にまかされる場。
それが対話のひろばです。

【釜】