いよいよ明後日、さちの物語公演

杏の花も咲きました。
こぶしの花も、ゆきやなぎも。
いよいよ春ですねえ。

さて、3月17日(日)のP新人賞受賞記念久留米公演「さちの物語」が明後日となりました。

12月名古屋公演で見いだされた課題をクリアする稽古も終えました。
といっても、課題を解決したら次の課題が視野に入ってきますから、実は稽古に際限はないといえるのですが…。
表現としてまだまだ「さちの物語」は、先へ行ける感触を持っています。

これは、現在の表現が悪いわけではありませんよ。
人間と人形の表現は、ハッと息を飲む瞬間を見せます。
それは、人とモノの関係で創る表現が、人と人との関係で創る表現より、もっと強いインパクトを
もつ瞬間です。

人間同士の表現もヒリヒリするほどの質感を造り出しています。

ですから、ここで言っている次の課題とは、「上演班が上演を重ねる中で気づいて改善を加えていくもの」という次元での課題だといえます。
ある段階で慢心する自己満足をすれば「表現者としての魂が死ぬ」といった次元での課題だといえます。

さて今回の久留米公演では、少ないですが各市民活動団体の皆様もいらっしゃいます。
ご多忙の中ご都合をつけていただき、ありがとうございます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

そしてご観劇をご検討中の皆様、当日券の販売もございます。
よかったらいらっしゃいませんか?

「観劇と対話のひろばでワンセット」という新しい観劇スタイルを提示出来るもの、といささか意気込んでおります。
(もちろん観劇のみでお帰りになっても構いません。どちらの選択も可能です)。

さて対話のひろばとは、どこか哲学対話と似ている…、と感じる瞬間があります。

えっ?てつがくぅ?
何なのそれ。

そんな声が聞こえてきそうですね。
ここで言う哲学とは、永井玲衣氏のいう「手のひらサイズの哲学」のことです。
特に説明はしませんので、ご関心のある方は彼女の著書「水中の哲学者たち」をお読み下さい)

もちろん、私たちは哲学対話を模倣しようとかこれっぽっちも思っていま
せん。

今回で9回目となる観劇後の対話のひろば積み重ねを振り返ると、アフタートークでもなく批評対話でもない対話のひろば独特の特質が見えてきたことを伝えたいだけなのです。

アフタートークでも批評対話でもない、対話のひろば。

それを形容する時に、「哲学対話が似ている」と説明したりするのもありかな。

ふと、そう思ったりする時があるのです。

いや、哲学というものが一般に馴染みがないため、この形容をするともっと人を遠ざけてしまうかもしれませんね。

対話のひろばでは、難しいことを話そうとか人を感心させることを話そうとかは、全く関係ありません。
心配いりません。

大切なことは、他者の心から出たつぶやきを聴くこと。
そこから、自分だけでは発見できなかった(到達できなかった)ある視野を発見すること。
その事を楽しむこと。

出来るだけ落ち着いたフンイキで、静かに展開出来たら理想的だと思っています。
どうぞお越しください。

【釜】